第26話
翌日から正式に猫の捕獲が開始された。宣言通り、まずは定まった家を持たない半野良達が標的となる。
相変わらず、SNSでの評価は真っ二つに割れていた。対応が遅すぎる、あるいは外に出ている猫だけを対象にするのはヌル過ぎるという主張。島に住む全ての猫を殺し、この問題を終わりにしろという人々も多い。
一方では、生き物の権利の重大な侵害だとして、猫の捕獲に批判的な人々。どちらもそれぞれの主張を引っ込める兆しはなく、ひたすらに罵り合いが続いている。
捕獲に効果を発揮したのは僕たちが猫に着けたGPSだった。猫が立ち寄る家は基本的にいつも一緒だ。既に行動パターンを把握されていた猫たちは人間の待ち伏せに遭い、次々とゲージの中に入れられていった。
島の中にも猫の捕獲に賛成する人達と、反対する人達がいる。反対の立場である人々からすれば、GPSを着けて回った僕たちは町長の回し者も同然だった。老人の中にはそもそもGPSが何であるかも分からず、猫を殺すための機械を騙して着けられたと泣きながら僕たちを非難する人もいた。気づけば獣医師との協力に積極的だった僕は、恐ろしく微妙な立ち位置になっている。
そんなつもりじゃなかった。そう伝えたくても、伝える手段はなにもない。正直なところ僕はウツ気味というか、何もする気が起きないままここ数日を過ごしていた。
玄関のチャイムが鳴った。父と姉は仕事。母は不在。まさか叔父さんに対応させるわけにもいかない。僕は仕方なく部屋を出て玄関へ向かった。こんな状況で家に訪問してくるなんて、どうせろくなやつじゃないだろうと思いつつ。
その通りだった。
「どうも。役場の者です」
やってきたのは男性の二人組だった。首から提げた名札をこちらに見せる。
「すみませんが、この家では猫を飼っていたと思うんですけど、GPS信号が受信出来なくなっているので確認に来ました」
僕はどきりとする。
「え、はい。ウチの猫、そんなもの着けてたかな」
「何言ってんの。猫にGPS着け始めたの君でしょ。知ってるんだから」
僕の安直な嘘はあっさりと暴かれた。
「登録番号A-003。電池切れなら交換しておいて下さい。動作不良なら新しいGPSを渡しますから」
「分かりました。でも、別にこれって義務じゃないですよね」
愛想笑いを浮かべる僕。しかし二人の顔は急に険しくなった。
「この島がどういう状況か分かるだろう。猫を外に出していたら、私達はずっとここに閉じ込められ続けてしまう」
「全国にこの病気を広めないためにも、協力をお願いします」
あ、これは。
態度で分かる。二人は駆除に賛成する人達のようだ。
「申し訳ないが、島民が一致団結しなければこの危機は乗り切れないんです」
「子供の遊びじゃないんだ。義務なのかと言うなら、島の人の義務だよ。まさか自分だけ特別扱いして欲しいなんて言い出したりはしないだろうね」
目がマジだった。
そしてその表情から伝わってくる。彼等は悪意を持って嫌がらせや強要をしているつもりはないのだ。本気で、それが島を救うための方法だと信じている。
どこかでハルが鳴いた。散歩に出たいとせがんでいるのだ。僕の心臓が強く鳴る。
「猫、居るじゃないですか」
「悪いが、上がらせてもらうよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
僕は慌ててそれを止める。だけど二人は強硬だった。
「猫を可哀想だという気持ちは分かります。しかしもうそんなレベルの話じゃない」
「まさか感染しているんじゃないだろうな。だとしたら直ぐにでも捕獲しないと」
強引に僕を押しのけて家に入ろうとする。
圧力と恐怖。僕はパニックになりかけた。
「えーと、済みません」
場違いに穏やかな声が割って入った。叔父さんがのんびりと右手を差し出す。
「GPSが壊れているんだと思います。代わりを渡してください」
声を聞いた二人から、殺気めいた雰囲気が消える。
「あ、ああ」
何やら我に返った様子で、取り繕うような声を叔父さんに向ける。
「えーと、失礼ですがあなたは」
「この子の親類です。訪問中にこの騒ぎに遭いまして。ああ、因みに検査は陰性でしたよ。島に残っているのは大学の調査に協力しているためです」
そう言って検査結果の紙を見せる。
「私が感染していないということから考えて、この家の猫も陰性だと思います」
理路整然とした態度で説明をした上で、再度手を差し出した。
「では、GPSを」
一人が慌ててカバンの中を探る。
「ええと、はい。これです」
「有り難うございます」
叔父さんは一礼してそれを受け取った。
「お仕事ご苦労様です。様々な意見の方がいるでしょうから、大変ですね」
「ええ、まあ。そうですね」
その返事に軽く頷いてから、少し困ったような表情を浮かべて見せる。
「その点は理解している積もりですが、出来ればあまり子供を怖がらせないで下さい。あんな勢いで迫られたら混乱してしまいます」
言われた二人はバツの悪そうな顔をした。
「すみませんでした。こちらも少々感情的になってしまったようです」
「いえいえ。重要性を考えたら、熱が入ってしまうのも仕方ないと思います」
ではこれで失礼します、いえいえ頑張って下さいなどといういかにもサラリーマン臭の漂う会話。玄関を出ようとした時、役場の人が振り返った。
「そうそう、忘れていました。このお宅に居るのは4人。いえ、あなたを含めて5人でよろしいですか?」
叔父さんが頷くと、別のカバンから何やら白いものを取り出す。
「サイズはLにしておきますね」
役場の人はそう言って布マスクを差し出した。僕に向けて軽く頭を下げる。
「悪かったね」
僕は奇妙な気分のままそれを受け取った。
役場の二人は去って行った。その態度と後ろ姿に先ほどの勢いはどこにもない。普段どこにでも居る島の大人。ただそれだけでしかなかった。
彼等の姿が見えなくなってから、叔父さんがふうと息を吐いた。
「正義を信じて頭に血が上っている人間に正面からぶつかるのは非効率だよ。力ずくで殴り倒せる自信があるならば別だけどね」
叔父さんは受け取ったGPSを軽く放り上げて弄ぶ。
「君が言う通り、猫にこんなものを着けておくのは義務じゃない。受け取るだけ受け取って、適当に話を合わせておけば済むことだ」
「助けてもらってこんなこと言うのはなんだけど」
安堵と共に湧き上がる反感。なぜかという理由も分からぬまま僕は口を尖らせる。
「叔父さんって、ものすごく詐欺師っぽいよね」
「酷い評価だなあ。私は嘘なんてついていないのに」
「そのGPS,どうするのさ」
「私が持っておくよ。家の中で少し動いていた方がそれっぽいだろう。静止したままだと確認に来るかも知れない」
「つまり、あの人達を騙したんでしょ」
叔父さんは首を横に振った。
「私は、壊れているなら代わりを渡して欲しいと言っただけだよ。猫に着けるなんて言っていない」
「だからそれが詐欺だって言ってるんだよ!」
思わず声を張り上げた弾みで、僕の目から涙が零れた。あれ? 僕は自分の感情を制御出来ずに戸惑う。今になって、心臓が激しく動いているのを感じた。
ぽろぽろと落ちる涙を拭う。叔父さんがどこからかティッシュ箱を探し出してきた。数枚抜き取って目元に押し当てる。涙が収まった僕は、当てつけるように派手な音を立てて鼻をかんだ。
少しだけ気分がすっとした。
「落ち着いたかい?」
叔父さんが穏やかな声で言う。
「恐怖や不安などのストレスに晒されると、人は精神のバランスを取るために攻撃衝動を高めることが多い。それ自体は進化によるメカニズムで、非難されるべきことじゃない」
相変わらずの態度で理屈を並べ始める。
「大事なのはそれを認識することだ。先ほどの二人もそうだったろう。彼等の抱いている負の感情に配慮して、それに過剰に拘っていることを自覚させればあっさりと正気に戻る。実際にはごく普通の人達なんだ。何でも無い日常であれば、子供を突き飛ばして他人の家に入ることなど頭の片隅にも浮かばないような」
「なんだよ、子供、子供って。それにさ、要するに僕が叔父さんに八つ当たりしたって言いたいの?」
「おや、違ったのかな」
くそ。腹は立ったが、その点は認めざるを得ない。僕はあの二人に感じた怒りと不安、そして無力感を叔父さんにぶつけただけだった。
「それにしても良い傾向じゃないな。前にも言ったとおり、現代における感染症対策はイメージが最重要だ。拡大する不安が巻き起こすトラブルは、社会に対して病気自体よりも大きな損害を与える」
そして妙なことを付け加えた。
「逆に人々が病気を怖れなくなれば、その時点で事実上、感染症対策は完了したと言っても過言ではない」
「ええ? それって変じゃないの」
「そう思うかい」
「うん。だってさ、ウイルスが残ってたら結局、猫は病気になっちゃうんでしょ」
怖れなくなったって病気は病気だ。原因となるウイルスが残っているのに、対策が終わるなんてあり得ない。
「COVID-19において、日本人はマスクを信仰することでウイルスに対する恐怖を克服した。集団の9割以上がマスクをしている状況ならば、感染リスクは許容できるレベルまで低下する。それを納得し、生活の一部として受け入れた時点でこの国の対策はほぼ終わっていたと言える。後はワクチンの開発を含め、時間の問題に過ぎなかったんだ」
うーん、そうなのかなあ。
「日常生活の再開が拡大にするにつれて、ネットやメディアにおける攻撃的言動の支持率が減っていったことは統計が示している。現代社会において、ストレスを溜め込んだ人々はまず自分を被害者と定義し、それを理由に自分の正義と無謬性を主張する。そして対話と妥協を拒否するというのがお決まりのパターンだ。こうなるともう議論の収集がつかなってしまうんだ。人々の頭を冷やして冷静な議論を可能にすることの利点は、どれほど強調しても足りない」
叔父さんの言葉には納得できない所もあったが、人々の不安が高まればロクなことにならないというのは良く理解できた。
多分、不安は人から待つという心の余裕を奪うのだ。一秒でも早くそこから抜け出したいという欲求が、全ての行動を正当化させる。
僕は確信していた。あの場にハルが居たら、二人は僕の反対など無視して強引に連れ去っていた違いない。
それどころか、その場で殺すことすらためらわなかったかも知れない。
近所に住んでいる、ごく普通の人達が。
「国もその点は理解している。前回のコロナウイルスでもその点は最重要とされ、対策には多くの努力が傾けられた」
叔父さんは僕が持つ布マスクを意味ありげな視線を送った。
「個別のパフォーマンスという点ではとんでもないピント外れもあったが、粘り強く人々の生活を日常に戻した言う点では合格点、というのが妥当な評価だろう」
「今回も、上手く行くと思う?」
「さあ。それは分からない。前回と同じように下手なパフォーマンスを打って、失敗しない事を祈るばかりさ」
本当にシャクなことに。叔父さんの予言はまたしても的中することになる。
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