第27話

 政府の対策チームから、から猫コロナウイルスに対する重要な発表があるという報道がされた。これまでも似たような話は幾度かあったが、今回が特別なのは、科学者達によるウイルスの特性に関する調査結果が行われるというところが違っていた。

 このウイルスがどういうものであるのか、定かなところは分かっていない。人にはあまり害が無い一方で、猫が罹ると死んでしまうことがある。言えるのはその程度でしかなく、では本当のところどれぐらい危険なのか、という点は正直なところ全く分からない。だからこそマスコミ、そしてネット界隈では言いたい放題。僕たちが死亡した猫の数を隠していて、一日に何百匹も死んでいるようなことを言う人も多いが、この島にそんなたくさんの猫がいるわけがないじゃんか。全ての猫にGPSを着けてはいないけれど、島の猫は全部でも千匹を越えるぐらいだろう。

「多いと言っても、ここまでに捕獲されたのは精々約200匹だ。PCR検査で陽性が出たのは60匹で、死亡した猫は大体20匹。3分の1の猫が感染し、単純計算では全体の10%程度の猫が死亡するという話になる」

 日本には1千万匹の猫がいるという。だとしたら100万匹だ。その数字は僕を暗い気分にさせた。

「しかし単純計算というものは信頼出来ない。思考を一度整理するアンカーとしては有効だが、それに振り回されてしまうのは本末転倒だよ」

 叔父さんはそう言うが、どうしたって意識はしてしまう。そして100万匹の猫を救えという言葉は、人々に強烈な印象を残し。全てがそれを根拠に進められてしまうだろう。だからこそ、それが正しいのか正しくないのか。別の考え方が示されるのか。島の人々にとって、今回の発表には重要な意味があった。


 発表は穏やかに始まった。

 机に座って並ぶ面々の自己紹介の後、どこかの大学教授という人物が話を始める。

『今回、世間を騒がせている猫に対する感染症について、ある程度の科学的知見が得られましたのでここにそれを発表いたします。まず私達が重視したのは、損失係数からこの感染症を評価することでした。お手元の資料をご確認願います』

 テレビの視聴者へ配慮してか、画面の半分にはその資料とやらが映された。

『損失係数という言葉に馴染みの無い方もいらっしゃると思いますので、まずはその点について説明をさせていただきます』

 僕は傍らの叔父さんに話を振った。

「損失係数ってなに?」

「簡単に言えば、その病気で失われる人の余命を数値化したものだ」

 その辺りにある紙に簡単に数字を書き始める。

「平均寿命が80歳の国で、0歳児が1%の確率で死亡する病気があったとする。その場合、80年×1%×0歳児の人数で算出される。これを全ての年齢に対して行って足し上げるんだ。75歳の人が1%の確率で死んだとしても、5年×1%×人数だから、影響は0歳児の死亡よりもずっと小さいものとして判定される」

 ふうん、そんなものがあるんだ。僕は画面の資料をもう一度眺める。

「実際に使用するのは平均余命だし、重症化率や後遺症などの影響も考慮するから本当の計算はもう少し複雑だけど、基本的な考え方はそんな感じだ。高齢者の死亡を低く評価することや、平均寿命の低い国では損失が小さく見えるなどの批判も多いが、その国が実際に受ける社会的な損失から病気の脅威度を判定する手段として、海外では結構使われている。特に他の病気と比較して、対策費としてどれだけの税金を投入すべきかという議論には有効だ」

「理屈は分かるけどさ、なんか嫌だな。ハルもそれなりの年齢だもん。歳を取っているから死んでも問題ないなんて言われたくないよ」

「そういう反応が多いから、日本ではあまり使われていないんだ。今回は猫の病気だから数値化しても問題ないと判断したんだろう。いやむしろ、これを機会にこの仕組みを一般に広めたいと思っているのかも知れない」

 画面の教授も説明を終え、やがて具体的な資料の解説に移った。

『問題のウイルスは猫に対する感染力はやや強いと判断されますが、年齢の若い猫は重症化しづらい傾向が見られます。島で得られたデータから見ても、重症化・死亡に至るのは十歳を越える高齢の猫に集中しています』

 映し出される棒グラフ。それを見た叔父さんがなぜか不満げに首を傾げた。

『現時点での推測ではありますが、モデルから算出された損失係数により判断する限りではこの病気が猫に及ぼす影響は猫エイズなど他の感染症と比較して低い、そう言って良いと思います』

 会場で頷く記者達が見えた。

『主要な感染経路は飛沫感染が最も多いと考えられます。猫の生活様式から考えて、屋外における猫同士の感染は比率としてそれほど高くないと見られています。どちらかと言えば、人間同士が感染した後でそれを猫に広めるケースの方が多いのではないでしょうか』

 教授は一泊の間を置いてから、言った。

『つまり人と人、猫と人が接触する際にマスクを着用していれば、COVID-19と同様に大きな感染爆発の発生を防止できる可能性が高いということになります』

 会場にどよめきが広がる。


 ええ、はい。分かってました。

 はっきり言ってしまえば、それはほとんどの人が予想していた内容だったに違いない。結局はコロナウイルスなんだから、同じ対策が有効。だけどそれを科学者の口から明確に断定して貰えるのはやっぱり違う。

 病気に対して僕たちが無力ではなく、確かな対抗策があるという保証をしてもらえることは、こんなにも安心感を与えてくれるのか。僕は自分自身の心の変化に驚く。

 なるほどなあ。イメージが大事というのは、こういうことなのか。国の人達もそういう効果をしっかり考えているんだな。時間はかかるかも知れないけれど、マスクをしてしばらく待っていればいずれ病気は治まるのだろう。ワクチンとかだって、きっと急いで開発されるに違いない。

 それは久々に訪れたプラス思考タイムだった。


 明るい展望を感じていた僕は一つの事実を忘れていた。叔父さんの言っていた懸念。この国のお役人はパフォーマンスというものが絶望的に下手くそな人間の集まりだということを。


 話の流れが変わったのは質疑応答に入ってからだった。

『先ほどマスクが有効というお話でしたが、猫にマスクをさせることは難しいと思うのですが』

『基本的には人間の側がマスクをすれば問題ないと思われます。屋内飼いであれば猫が外からウイルスを持ち込む懸念はありませんし、また、猫は基本的に単独行ですから、発情期を除けばお互いにあまり接近しないのが通常です』

『今回、問題になっている島などでは猫が密集しているケースもあるようですが』

『あのように多数の猫が接近して生活をしているのは全体としては例外的です。勿論、我々としては猫を外に出さないのが一番だとは思います』

 むう。なんとなく島をディスられているような雰囲気を感じもしたが、それもさして気にはならなかった。僕は前屈みになって画面のやり取りに集中する。

 いくつかの比較的友好的な質問が続いた後で、その質問は飛び出した。

『今回の発表はかなり具体的かつ詳細な数字を挙げていますが、これはどのような手段で算出されたものなのでしょうか』

「気づいたか」

 叔父さんの短いコメント。振り返って僕は尋ねる。

「どういうこと?」

「計算が合わない。島で死んだ猫はたったの20匹と少しだ」

 画面でも同じやり取りが行われていた。

『実際に感染した猫の経過を観察した結果、得られたものです』

『しかしこれまで公表されている内容では、島で死亡した猫は20匹程度のはずです。その件数ではここまで詳細な資料を作成することは出来ないと思いますが』

 僕は改めてグラフを見る。猫の年齢区分別に描かれた棒グラフ。そのパーセンテージを出すには、年齢別に死亡数をカウントしなければならないわけで。確かにたった二十匹のケースから算出したにしては、やけに資料が細かい。

 秘密を掴んだ顔でその記者は続けた。

『これまで公表していなかった感染・死亡ケースがあるということでしょうか』

 教授がマイクを置いた。交わされる囁き。会場にどこか不穏な空気が流れる。

 後ろに立っていた、いかにも公務員然とした担当者がマイクを握った。

『ご説明します。今回の発表に使用したデータには、科学的な実験調査により得られたデータを使用しております。外部環境には影響を与えないため、感染数としてこれまで報告した内容には含まれておりません』

 僕の頭に疑問が湧く。科学的な調査?

「これはやばい」

 叔父さんがぼそりと呟く。

『重ねて質問しますが、今の回答は島の外部においてなんらかの実験を行ったというように聞こえるのでしょうか、そういう理解でよろしいでしょうか』

 嫌な予感が広がっていく。

 沈黙。そして再び内緒話。やがて意を決したかのように、中央に座る一番偉そうな人がマイクを取った。

『お答えします。レベル2以上の実験施設において、実際に猫に対する感染を観察して得た数字となっております』

『島の外で行ったということですね。それらの猫から、更に感染が拡大する可能性は無いのでしょうしょうか』

 叔父さんの暗い声が背後から響く。

「あからさまな引っ掛けの質問だが・・・・・・気づいていないな」

 ほっとした表情になり、偉そうな人は明るい声を出した。

『その点はご安心ください』

 妙に自信に満ちた声。

『実験に使用したのは保健所が捕獲した後に所定の期限が経過した猫です。最終的には予定通り殺処分の上、死体を焼却処理しておりますから、そこから感染が拡大する恐れはありません』


 会場が凍り付いた。

 静まりかえった空間に、外国人の記者が発した一言が響く。僕の貧弱な英語力だってわかる。おーまいがっ、とかそういうやつ。

 堰が切れたように、一気に質問があふれだした。

『国は大規模な動物実験を行ったということですか?』

『大量の殺処分を行うことに、法的・倫理的な問題はないのでしょうか』

『健康な猫にウイルスを感染させるという実験が現在において許されるのですか?』

 会場は一気に収拾の付かない状況に陥った。

「やってしまったな」

 叔父さんが頭に手を当てる。

「全く別次元の問題として注目を浴びてしまった。これはまずい。直ぐにでも調整が必要だ。・・・・・・済まないが私は部屋に戻る」

 コーヒーカップを握ったまま立ち上がり、思い出したように付け加える。

「夕飯も要らない。いや、おにぎりか何か簡単なものと、一緒にコーヒーを持ってきて貰えると非常に有り難い」

 僕は呆然としたまま画面を見続ける。これ、どうなっちゃうの?

 そして同時にある事実に気づかざるを得ない。僕だって捕まえた猫をそんな風に扱うのは反対だ。残酷だと思う。だけど同時に、この島に閉じ込められている一人としての感想も抱かざるを得ない。


 だけどそれはそれとして、猫ウイルスの対策の話をしていたんだよね、と。


 夢中になって追及を続ける記者達の表情が語る。彼等にとって、やっぱりこれはどこか他人事でしかないのだと。多数有る報道すべき案件の一つ。

 もっと注目を浴び、人々が反応するネタがあるのならば、あっさりと捨てられ、忘れられてしまうような。

 自分がそんな風に感じていることに驚きながら、僕は会場の混乱を見続けた。

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