第14話

 久々に晴れやかな気分で家に戻ると、玄関で母が誰かと話をしているのが見えた。

「どうも申し訳ありませんねぇ」

 母が頭を下げる。

「いえいえ。こちらこそ無理を言いまして」

 相手方の男性も頭を下げた。丁度僕と入れ違いの格好になる。その顔にはどこか見覚えがあった。確か、役場の人だったような。

「なんかあったの?」

「うーん、それがねえ」

 母は困ったように答える。

「なんでも、獣医さんたちがこの島に来てくれるらしいんだけど。ほら、猫の診察で」

「知ってるよ。その歓迎会に行くって言ったじゃない」

「あら、そうだったかしら」

 母はいつものように僕の話を聞き流していたようだ。

「それで、どうしたのさ」

 続く話は予想外のものだった。

「役場のほうで、その人達の宿泊場所を探しているそうなんだけど」

 母の困り顔が深くなる。

「ほら、獣医さんって病気の猫に直接触れる人達でしょう。ウチに泊まるとなると消毒とか色々考えないといけないし、これから来るお客さんだって気にするだろうから。引き受けるのはちょっとねぇ」

 宿泊所として使用できないか。そんな依頼を母は断ったらしい。僕は先ほどの獣医師の顔を思い出した。この島を助けるために、自分達のことを度外視して来てくれた人達。

 そんな話ってあるか?! 憤慨した僕が声を張り上げそうになったとき、後ろから両肩にぽんと手が置かれた。

「難しい話ですね。宿の経営としては簡単に了承できないのは分かります」

「ええ、そうなのよ」

 僕の顔を見た母は、どこか誤魔化すような笑顔を浮かべて台所へと逃げていった。その姿が見えなくなってから僕は低い声を出す。

「どーして止めたのさ」

 自分の親があんなことを言ったことが哀しくてたまらない。

「ウイルスに感染しているのは、まず島の人間や猫じゃんか。叔父さんや僕、ハルだって感染していない保証なんかない。なんで、なんでこの島を助けるために来てくれた人達の受け入れを嫌がるんだよ」

「金を稼いで家族を養うという立場からすれば、お母さんの判断も当然だよ」

 涙声になった僕を諭すような声。

「君の気持ちは立派だと思うが、正義感と理屈だけでは理解は得られない」

「だけど」

「正しいことをするためには、協力をするのが当然だ思うかい?」

「当たり前じゃないか!」

「だとすればこの島の人々は今の境遇を、つまり自分達がここに閉じ込められる運命を受け入れるべきだという結論になる」

「どうして!!」

「日本中にウイルスを広めないために協力するのは当然のことだから、だよ」

 そんな。理不尽だよ。そういう話じゃないだろう。そう思いつつ僕は理解していた。僕たちが放置され続けている理由を。

 きっと、島の外の人々は思っているのだ。僕たちが我慢することは当たり前なのだと。そのための協力を拒む方がおかしいのだと。

「対策の現場というのはこういうものでね。沢山の人の利害が絡む中で、面倒な話を一つ一つ潰して行かなければならないんだ。たかが数人の獣医師を受け入れるだけでも大事さ。何もかも簡単には行かない。画面をクリックすれば、人員の派遣を進められるようなものではないんだよ」

 僕はおぼろげに状況を理解した。人を派遣するならば彼等をどうやって運ぶか、島に来てからの生活をどうするか。滞在中の待遇に島から帰るときのことまで、細々とした話を全て決めていかなければいけないのだと。

 居間のテレビから、コメンテイターのふるう熱弁が聞こえた。

『未だに島に対する医師の派遣スケジュールも決まっていない。国は真面目にこの件について対応しようとしているのか。スピード感の欠片も感じられない。知事の行動を見習ってですね』

 知事は確かにスピード感のある決定をした。しかしそれは同時に、その後のことを島の役場に丸投げしたという意味でもあったのだろう。

 あんな歓迎会を開いておきながら、彼等は今夜の宿も決まっていないなんて。浮かれた自分が恥ずかしくてたまらない。

「そんなに沈むことはないよ。彼等も大人だ、多少の不備は受け入れてくれるだろう」

 そういうものだろうか。部屋に戻っていく叔父さんの後ろ姿を見ながら考える。せめて僕一人ぐらいは、彼等に対して誠実であろうと。

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