第15話
結局、獣医師の人達は島の公民館で寝泊まりすることになった。島で唯一の動物病院を拠点に活動するという。
僕は少しでも彼等と島の人を近づけるべく、積極的に交流を図ろうとした。その一環として考えたのが、島のグループと獣医師達の会合を開くことだった。この島と猫を救うためにどんなことが出来るのか。今のところ、島の猫たちに大きな変化は見られない。とは言え油断は禁物だというのが一致した意見だった。
「このまま何も起きないならむしろそれでいい。それでも準備はしておくべきだ」
獣医師の言葉にみんなが同意した。国会の議論は結論が出ず、PCR検査の機材もまだ整わない。その状態で何かやれることはないだろうか。
「この島では猫を放し飼いにしている。これが原因で感染が広まることを防ぐために、猫を家に置くようにすることは出来ないか」
獣医師達が出した意見に対し僕たちは首を横に振った。島の猫は野良、あるいは半野良だ。外に出るのが当たり前の生活をしており、閉じ込めようとすれば暴れ出す。そんな僕たちの話を、彼等は辛抱強く聞いてくれた。
それならばと考え出されたのが、猫の首輪にGPSを着ける案だった。猫たちの行動記録を録ることで、後々感染の経路を調べる時に役立つに違いない。購入費用について僕が交渉をしてみると言うと皆が驚いた。姉が役場に居るから、ということで話を誤魔化したが、実際は叔父さんに相談するつもりだった。
ここ最近、ネット会議用の様々な機材が部屋に増えていることを僕は知っていた。集めた糞を運ぶためのケースも、当初の手作り感溢れるそれから高価な既製品に変わっているのだ。これはきっと、何かお金の出所があるに違いない。頼めばなんとかしてくれるだろう。それぐらいの軽い気持ちで僕は話を切り出してみた。
「猫のGPSか。それぐらいなら調達して貰えるだろうけどね」
叔父さんはあっさりとそう言った。すげー。本当になんとかなるんだと僕は驚く。一個3千円ぐらいするから、100個で30万円。多分、その数倍は必要になる。
「サンプルの収集は君が思うよりずっと評価されているんだ。活動の一環ということで申請すれば数日で届くと思う」
少し寝不足気味の目。海外とのやり取りが多いせいなのか、叔父さんは昼夜問わずにPCのカメラに向かっていた。30分後には次の会議が始まるという。
いつの間に買ったのか、手引きのミルを取り出してコーヒー豆を挽きだした。インスタントとは違う良い香りが流れてくる。叔父さんは断りも無しに棚から勝手に適当なカップを取り出した。随分と遠慮が無くなってきたなあとは思ったが、僕の分のコーヒーも差し出して来たのでチャラということにしておく。
「だけど、良いのかい?」
そう叔父さんが問いかける。
「だってほら、島の猫は誰かから餌を貰っている奴がほとんどだから」
叔父さんは黙って自分のコーヒーを啜った。
「脱脂綿を喉に突っ込むのと違って猫も暴れないし。餌をやっている人に協力して貰えればそれぐらいのことはすぐにできるよ、きっと」
叔父さんの沈黙をどこか不安に思いつつ、僕は話を続けた。
「獣医師さん達も、島の人達が主体の方がずっと早く進むから、是非やって欲しいって言ってるんだ」
「現地の人々にとってはなんでもないことでも、外から来た人達にとっては難題というケースは多い。互いの長所を活かして協力するのは良いことだと思う」
「でしょ」
糞を集めるのは結局は叔父さんに言われた始めた作業。でも、この件は僕たちの発案だ。自分達の力で何事かを前進させたい。そんな感情が僕を後押しする。
「何かあったときには、それのデータを元に感染経路も割り出せるって言ってたよ」
だけど叔父さんは、そんな僕の気分に冷や水を浴びせかけた。
「このウイルスは人間を経由して感染するルートがある。猫だけじゃ無くて、人間のGPS情報もなければ余り意味がないように思えるね」
僕はむっとした。叔父さんの意見は正しいのかも知れないけれど、どうにも人の心というものを無視する悪い癖がある。そして、無慈悲な論評が続いた。
「中途半端な情報で感染経路の推測をするのはある意味危険でもあってね。実際、COVID-19において日本の保健医療部門が全力を傾けて作成したクラスター発生経路のデータは、最終的に半分以上がデタラメという評価を下されてしまった。スーパー・スプレッダーに関する妙な空想も産んでしまったし」
「なにそれ。スーパーなんとかって」
「スーパー・スプレッダー。病気に感染した人が更に他人に感染を広げる経路を調べた場合、通常の感染症では平均して2~3人程度の範囲に収まる。しかしCOVID-19においては、たった1人の感染者が10人とか20人とかに病気を広げるケースが多数有るとされたんだ。例えばあるライブハウスの感染について、既感染者は1名。その場で感染した人が20人以上。たった1人が爆発的に感染を拡大させたという報告がある」
「さっき空想って言ってたけど。間違ってたの?」
「実際には当時の検査態勢がザルだったというだけの話なんだ。ライブハウスに入る前に感染していた事実を確認できた人物は1人だけだったが、おそらくその場にはチェックを漏れた既感染者が5人以上居た。彼等は全員、そのライブハウスで感染したことにされてしまったんだ」
えーと、つまり。
「本当は既感染者が6人居て、ライブハイスで14人に感染させた、というだけの話だったんだ。これならば一人当たり2.3人で、一般的な数値と変わらない。当時は政治的な理由から、未知の感染者が多数存在するという仮定を持ち出すことが許されなかった。だからそんな無理のある結論が導き出されたしまったんだ。データ解釈の歪みによって産まれた幻影で、今ではほとんどのケースが否定されている」
叔父さんはコーヒーを飲み干してカップを置いた。
「データを収集するだけならば手段は幾らでもある。重要なのはそれを正しく理解し、活用することだ。それは遙かに難しい行為なんだよ」
「ふうん。まあ、それはいいけどさ」
面白くない気分のまま僕は尋ねた。
「つまり叔父さんは、僕たちのやろうとしていることに反対なわけ?」
腹立たしくも全く無感動に、叔父さんは首を横に振る。
「いや、そんなことはない。当時の調査にしても、事実上の手作業で半分近くが正しかったのはある意味凄いことだったし、後の分析資料としては十分に役立った。なんであれデータは多ければ多いほどいいから、君たちのそれも将来的には貴重な資料になると思うよ。批判的に用いることを前提にすれば、だけどね」
ほめられているのかけなされているのか、良く分からない。
「それにGPSが最も効果を発揮するのは、感染者の位置を特定して強制執行をする効果の方だ。その点では強力だろう。先日も言ったが、猫は権利を主張出来ない」
何やら不穏なことを言い出す。
「ちょっと待って。何を言いたいのさ」
「中国や韓国、台湾といった国々では感染者のGPS情報を最大限に活用した。感染経路の割り出しよりも、確実に確保して強制隔離することの方が重要だったことは結果から見て明らかで」
「そうじゃないよ! 猫の権利とかいう方!」
僕は叔父さんを睨みつける。
「強制執行とか、なんとか言ってたでしょ」
「駆除という意味だよ。病気の動物は捕らえて殺す。ごく当たり前の発想だ。そうなった時、GPSは大きな効果を発揮するだろう」
そして静かに付け加えた。
「獣医師の人達もその可能性は認識しているだろう。と言うより、彼等の目的はそれだ。将来の布石を打つために、君たちを利用しているだけだよ」
怒りで顔が熱くなる。
「僕たちはそんなつもりじゃっ! あの人達だって!!」
彼等は島の猫たちを救うためにここに来たのだ。僕たちはそれを手伝っている。なのにそんな風に考えるなんてあんまりだ。
「君がそう考えるのは自由だが、そのまま推し進めた後でそういった事態が生じたら傷つくだろう。だから事前に警告をしておこうと思ってね」
「ああ、もういい! この話は止め、止め」
僕は強引に話を打ち切った。まったく、良くもそこまで悪意に満ちた予測ができるものだ。自分の部屋に戻ろうと腰を浮かしたところで携帯が鳴った。
SNSのグループに流れたメッセージ。それには先ほどの言い合いを吹き飛ばすほどの衝撃があった。
「叔父さん」
僕は緊張した声でそう告げた。
「猫の死体が見つかったって」
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