第17話

『ですから何度も言っていたように、政府の対応が遅すぎです。新たな感染例が出るまで事態を放置してしまった。犯罪的な怠慢ですよ』

 先日、給付金の支給が問題だとかなんとか言っていた番組の司会者が、偉そうな態度で語っていた。

 たった一匹の死体が見つかっただけで、世間の空気は大きく変わってしまった。政府側は法案の採決を急ぐという報道がされ、野党側からは『議論が尽くされていないと』という反対意見が表明されたと新聞に書いてあった。あの調子でどうやって議論を尽くすつもりだったのか、僕にはさっぱり分からなかったけれど。

 もっとも反対の意見は弱々しく、いかにもとって付けたような調子だった。マスコミの報道もあり、SNSなどでは迅速な対応を求める声一色に塗りつぶされている。その空気に逆らうわけには行かないのだろう。

 これまでのダラダラはどこへやら。急展開で法律の改正が決定された日、首相の声明が発せられた。

『明日、緊急事態宣言を発するための予備会議を開催することを決定しました』

 こうなったらもう驚きもしないけど、まだ何か手続きが必要らしい。念のために叔父さんに聞いてみる。部屋から出て来た叔父さんはマスクを二重に着けて、廊下で二メートル以上の距離を取って僕と相対した。初回の検査は陰性だったが、期間を置いて再検査する予定になっている。

「緊急事態宣言を出す際には、有識者から第三者的視点の意見を開かなければならないんだ。その会議にもう一日かかるって話だね」

「その有識者って、政府が集める人達なんでしょ」

「そうなるね」

「その人達が、宣言を拒否するなんてあり得るの」

「実に良い指摘だ。そんなことは万が一にも無い」

「だったら無意味じゃん。なんでわざわざ、余分な一日をかけるのさ」

「外国人が日本の政治は歌舞伎と評するのはこういう部分なんだろう。事前に定められた筋書きを延々となぞっているだけにしか見えないから」

「まったく馬鹿馬鹿しい」

「民主的な手続きを確保するための致し方ない損失だよ。将来を考えてのことさ」

 あほくさ。

「次の時は次の時のこととしてさ、すっぱり今の問題を早く片付けてくれればいいのに」

「強制的に進めれば当然に早くなるよ。例えばこの家を獣医師の宿泊場所として使うことについて、依頼ではなく県や国が命令して拒否出来ないよう法律を整える、とかね。諸外国は基本的にこの方式だ」

 うーん、それはそれで嫌なんだけど。妙な話だが、自発的に宿を提供するという話なら素直に賛成できるのに【国や県が強制して】という話になると違和感というか、なんか違うような気がしてくる。何されても拒否できないってことになるし。

「なんかこう、もうちょっと上手くバランスの取れたやり方というものがないのかな。大体にしてさ、その方法だとウチの家の負担とかが妙に大きくならない? もう少し公平って言うか」

「そういうことを言い出すといつまでたっても話が決まらないから、強制的にやるんじゃないか」

 叔父さんはあっさりと僕の意見を却下した。

「そもそも人間は自分勝手だ。君がもしも車に轢かれて片足が一生不自由になったとしよう。歩けはするが、走れない。賠償額として幾らを要求したい?」

「走れなくなるなんて嫌だよ。最低でも1億円」

「だろうね。ところが『自分が車を運転していて誰かを轢いた』という質問にした場合、1千万円も出せば十分だという回答がほとんどになる。要するに人は自分の損失を大きく評価する一方、他人の損失には無関心だ。このことだけでも、人々に公平と認められることがいかに難しいか分かるだろう」

 あーなるほど、と僕は理解する。ネットで好き勝手に書き込んでいる人達、そして役場に苦情の電話を掛けまくる人達は、自分が賠償を請求する立場だと思っているからあんなに被害を騒ぎ立てているんだろう。立場が逆になったらどんな態度になることやら。


 ともあれ法律による正式の対応が始まることになり、次々とその内容が発表された。まずは県によって5人の医師と看護師が派遣されることになった。準備ができ次第、人間と猫、双方のPCR検査が始まる。同時に島に残された観光客はPCR検査の上で陰性であれば帰ることが許されること、その滞在費用は原則として県から補償がされることなどが公表された。農作物や魚に関する輸送の条件、島民の外出規制と各種自粛のお願い。役場にはとても読み切れない量の通知メールが届いているそうだ。姉は悲鳴を上げていた。

 それは島の人々にとって待ち望んだ瞬間でもあった。やっとのことできちんとした対策が取られるという期待が周囲に溢れている。だけど性格の悪い人間に色々教え込まれてしまった僕は、どうせそう簡単にはいかないんだろうな、などと悲観的な予想ばかりを抱いてしまう。

 そしてやっぱり。数日後には島の人々の期待は裏切られ始めたのだ。

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