第36話

 アメリカでの感染発表は大きな衝撃を持って受け止められた。その夜のうちに、大統領の非公式コメントとやらがネットに流れる。

『これは世界の流通に影響を与え、多大な経済的損失を生じかねない事態だ。そのために我が国に生じた損害について責任がある国があるのであれば、当然、断固とした態度を取らざるを得ない』

 続いて中国の報道官がメッセージを流す。

『我が国は感染症に対して果敢に立ち向かい、世界への拡大防止に重大な貢献をした。その立場からすれば、怠慢によりウイルスを流出させた国に対しては当然の賠償請求権があると言わざるを得ない」

 欧米各国からも似たり寄ったりの意見表明が出され、マスコミ各社は大騒ぎだった。日本の政府は相も変わらず『事実確認を行ってから対応を検討する』という意味の無い発表を繰り返すだけ。だけど映像を見れば分かる。首相も大臣も、パニックに陥りかけているのは明らかだった。世界の株価は大暴落し、非公式に伝えられた賠償金の試算は何百兆円という金額に達しているという。もうほとんど現実感が湧かない。


 これからどうなってしまうのか。姉はもうノイローゼ気味で、昨夜は仕事に行きたくないと泣き出していた。父も漁協の仕事の再開の目処が立たずに塞ぎ込んでいる。ああ見えて芯の強い母も、かなり参っているようだった。

 だから夜遅くになって部屋から出て来た叔父さんが脳天気なことを言った時、きつい口調になってしまったのは仕方ないと思う。

「なんとかなった。もう大丈夫そうだよ」

「大丈夫って、一体なにがさ」

「何がって、今回の騒ぎのことに決まっているじゃないか」

 僕は呆れるしかなかった。ひょっとしてこの人は何かの病気で、今まで語っていた内容も全て妄想だったのかも知れない。

 いや、あり得る。仕事を首になったショックとかで。だとすればこんな人になにがしかの期待を抱いた僕は、大マヌケということになる。

 だけど叔父さんは明らかな睡眠不足だが一応は正気を保った表情で、スマホの画面を僕に差し出した。

「これが、なんなのさ」

 画面には、世界34カ国の科学者による共同発表の記事があった。国連のような機関やどこかの国の研究機関ではなく私的な会合による発表ということで、一応は記事になっているものの、その取り扱いは小さなものだった。

「日本のマスコミはバックにある組織をやたらと重視するから扱いが小さいが、参加者はそれなりの面子だよ。海外サイトなら、もっときちんと報道されている」

「だけど、ここまで話が大きくなってるんだよ。いくら有名だとしても、数十人の学者が発表しただけでこの流れが変わるわけないじゃない」

「それは見てのお楽しみさ。発表は朝の9時だ。私はそれまで寝るから、起こさないで欲しい」

 そう言って叔父さんは部屋に戻って行った。仕方なく僕は、海外サイトにアクセスしてからブラウザで日本語に翻訳させる。グリニッジ標準時ゼロ時、世界34カ国の科学者による共同発表。発表はネット会議システムを使用。一般視聴はミラーサイトからの映像のみ。マスコミ各社は質問のためのアクセス権付IDを与えられ、抽選により質問が認められた場合は30秒間だけ会議に参加できる。うんぬん。

 僕は未だに誇大妄想の患者が語る話を信じているだけなのかも知れない。そうは思ったが、他にできることは何もなかった。

 僕は素直に布団に入り、明日の朝を待つことにした。

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