第35話

 国にも県にも移動を禁止する権限は無く、警察にも責任は無いという回答は国民を激怒させた。その無責任を問う声が日本中に溢れる。

「とは言っても、法的な権限を渡さないまま責任を取れという主張自体だって無責任だと言える。それでは法律を破るか、誤魔化すか。どちらの手段を取るしか無くなってしまうじゃないか」

 ごく一部の人が言うそんなたわごとのような意見を無視して、SNSはお祭り状態だ。各地で猫コロナのPCR検査が始まり、陽性反応が出たことでそれは加速する。島から抜け出した女性とその家族に対する敵意は信じられないほどに高まった。無数の殺害予告が出され、自宅では放火騒ぎが起きたという。

「やがてこの行動が集団ヒステリーだったということは明らかになる。言ったとおり、君が個人的な責任を感じる必要は無い。しかし特定の個人のせいで病気が広まったというストーリーは分かりやすく、人の記憶に残ってしまう。あの出来事は、絶対に口外しない方が良いだろう」

 話によれば、国は島の外にウイルスが流出していることを認める方向に軌道修正を始めたという。本州側での検査態勢を広げていけば、陽性反応はあちこちから出てくる。そうなれば、女性の行動を唯一の原因とする見方は否定されていくだろう、と。

「そうなればそうなったで、更に厳しい追及がされるんだけどね」

 数日の間にそれは現実となった。全国の各地で陽性反応者が見つかりだし、そもそも島の封鎖が完全ではなかったのではないか、という声が上がり始める。国や県はその可能性を否定しないまま、『今後も調査を続けて実態を把握する』という言い訳だけを繰り返すことになった。不満と不信が際限なく高まって行く。


 そして、海外メディアからも強烈な反応が起こりだした。日本からの渡航を規制すべきだという意見があちこちから噴き出したのだ。

『諸外国から見れば日本のやり方は滅茶苦茶で、非難されるのは当然です。前回の感染拡大における反省を全く活かしていないのですから』

 諸外国というのが具体的にどこを指しているのかは良く分からなかった。前回も感染症の封じ込めについて有能だった国というのはそんなに多くなかったと記憶しているのだけど、マスコミによれば日本はとにかく遅れた未開の国であるらしい。いやまあ、現在の状況を見れば、そう言いたくなるのも良く分かるけど。


 前回の動物実験のこともあり、猫を飼っている海外セレブからは特に激烈な意見が表明されていた。そしてそれは僕たちにとって、どこかで見た光景の繰り返しだった。

『最低だね。僕は日本という国が本当に嫌いになったよ。彼等は猫の病気であれば本気で努力必要が無いと思っている。動物の命も人間と同じように大切だという考えを持っていないんだ。時代に遅れたこんな国が世界に存在する価値はないと思うね』

『日本人は自ら責任を取ってハラキリすべきだ』

『ウイルスを広めないために、日本に核ミサイルを撃ち込もう。何億もの猫が死んでしまうことを思えばその方がマシだ。彼等には当然の報いだよ』

 他人を非難するときには自分が何やら道徳的に上であると主張する・・・・・・要するに自然と上から目線になるのは万国共通の流れであるようだった。


 それにしても、何かがおかしい。

 妙な話であるが、僕はやや心の落ち着きを取り戻していた。日本中の人々が非難されるようになったお陰でプレッシャーが少し減ったらしい。どうも人間というものは自分だけが不幸な時は落ち着かないが、周囲の全員が不幸ならば割と満足できるようだ。もちろん、同じ構図で僕たちを詰っていた人達が海外からの批判を浴びて慌てふためく様子を見る僕の心に、暗い喜びを感じる部分があったことも否定しない。ああ、嫌な考察。


 それはともかく、ウイルスが広まると猫が死ぬ。だからそれを防ぐために努力すべきだということは僕だってその通りだと思う。だけど、その努力が足りない人間を排除しても良いとか、核ミサイルで殺しても良いとかいう発言はどうなんだろうか。

 だってそれは、猫には生きる権利があり、それを考慮しない人間には問題がある、という前提に立っているのだけど。なぜか【問題のある人間の生きる権利は無視しても良い】という結論になっている。

 権利とはなんらかの理由があれば取り上げても構わないものなのだろうか。もしそうだとしたら、どんな理由で、誰の権利を取り上げることが許されるのか。それを決める権利があるのは誰なのか。責任って、誰が負うべきで誰にそれを問う権利があるのか。

 でも僕にはダメだった。この辺りで頭はぐちゃぐちゃになってしまう。


 叔父さんはすっかり部屋に引きこもっている。内容は良く分からないが、見る限りではものすごく忙しいらしい。差し入れのおにぎりを持って行くと、いつもWebカメラに向かって英語を叩きつけていた。

 そんなある日、コーヒーを淹れるために台所に叔父さんが降りてきた。声をかけて良いものかどうか、僕は悩む。テレビではワイドショーが各国政府の反応について講釈をしていた。世界中から日本が責め立てられ、責め立てられた人々がなんとかしろと政治家や役人、そして周りの人々を責め立てる姿。

「あまりそういった報道ばかり見ない方が良い。気分が沈むばかりだ」

「うん、分かっているけど。でもさ」

「世の中というのは基本的に普通の人々から構成されている。言ってしまえば平凡で詰まらないのが当たり前なんだ」

 軽くあくびをしてからやかんを手に取った。

「しかしそれでは人の注目を集められない。だからメディアが報道するのは、いつだって普通じゃ無い【極端な何か】だ。なのに繰り返しそういったものに晒されていると、人々は映像として見たものを【普通】と勘違いしてしまう。そうするとメディアは更に極端なものを探し出して映像に流す。その繰り返しで起きるのは不愉快なハウリング現象だけだ。時々スイッチを切ってリセットした方が健全だよ」

 相変わらずの長い話。だけど言っていることはもっともだと僕は思う。番組で語られているのはもう聞き飽きた、しかも気の滅入るような内容ばかりだ。僕は素直にリモコンを取ってテレビを消した。

「叔父さんの方はさ、何か進展あったの」

 少しぐらいは良い話題を聞きたい、そんな期待を持って僕は聞いた。そしていつものように裏切られる。

「外には言わないでくれ。アメリカで感染例が見つかったそうだ。今夜、発表が出ることになった」

「もう、広まっているんだ・・・・・・」

 さっきのテレビどころではないほどに僕は凹む。

「どれだけの猫が死ぬことになるんだろう。それにアメリカで見つかったなら、きっと他の国だって」

「ヨーロッパ、アジア、アフリカ各地でも該当するウイルスは検出された。こちらも近日中に公表される」

「世界中から日本が嫌われるね、きっと」

「ああ。ここ数日が最後のチャンスだ」

 僕はその態度を不思議に思う。

「ここまでウイルスが広まったら、対策なんて立てられないじゃない。叔父さんは結局何をやっているのさ。解決する手段なんて本当にあるの」

 叔父さんはお湯を注ぐ手を止めた。

「君は今もまだ、自分がウイルスを広めた唯一の原因だと考えているかい?」

 少し考えてから、僕は首を横に振った。

「ううん。日本中でウイルスは見つかったんでしょ。責任はあるかも知れないけれど、僕が唯一の理由ではなかったと思う」

「だから、それをやるんだ」


 そして、不意にお湯を注ぐ手が止まった。

「この世はクソゲーさ」

 唐突に叔父さんは語り出す。

「幸せな結末に至る道などどこにも用意されておらず、初見殺しのトラップだらけ。なのにセーブもリセットも無い。システムが非公開な上に仕様は変わり続ける。どんなに調べても真のルールは私達に理解できず、クリアの条件は謎のままだ」

 どこかこの状況を楽しんでいるような声。

「それでも私達はこのゲームをプレイするしかない。だったら、クソゲーなりに楽しむだけのことさ」

「叔父さんの話、わかんないよ」

 僕の嘆きを聞く気など無い様子で、叔父さんは僕に笑顔を向けた。

「唯一の救いは、全てのイカサマが認められていることだ。誰もシナリオを用意せず、システムがいい加減なのだから、自分で勝手に書き換えてしまえばいい。この世界はね、チートを前提としたゲームなんだよ」

 手慣れた手つきでドリッパーを外す。

「まあ、もう少し待ってくれ。絶対とは言わないが、まだ勝ちの目は在るんだ」

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