第37話

 僕には良く分からなかったが、参加した科学者達はそれなりに高名な人が多くいたらしい。これだけの人物を集めて共同発表を行うこと自体が異例という話ではあったが、やはり日本での注目は高いと言えず、テレビでのライブ放送はされなかった。

 家族にも声を掛けてはみたが、誰もそれが重要な出来事とは思えず、結局僕は叔父さんと二人、居間でノートPCの画面で閲覧することになった。

「始まるね」

 コーヒーが差し出される。9時ジャストに会見はスタートした。ネット会議システムの映像であるため、34人が並ぶとノートPCの画面では狭くて顔がよく見えない。司会ということなのか、黒人の女性が画面の中央に拡大して表示された。

「人選はポリティカルコレクトを配慮してこうなった。白人男性の研究者がメインに立つと、ただそれだけで余計な事を言われるからね」

 番組の裏側を解説するような口調で言う。会見は英語のようだったが、きちんと日本語の字幕が下に流れている。始まりの挨拶は早々に終わり、女性は本題に移った。

『今回、我々が独自に行っていたCCOVID-24の調査結果について報告したい。西暦2024年猫コロナウイルス感染症。WHOの流儀から外れていることは承知しているが、分かりやすさを重視して仮にそう呼ばせてもらう』

 画面上の科学者達が動き出す。何かを手に持って画面に差し出している。アップの画面でなんとか判別出来た。アドレスを書いた紙のようだ。

『マスコミ各社には先に優先して公開していたが、今回の発表に関するバックデータはこれらのページでダウンロード可能だ。どのページでも同じ資料が用意されている。アクセスが集中しないよう配慮して頂けるとありがたい』

 学者の人数分だけページを用意したということらしい。叔父さんが解説を加える。

「これも演出の一つさ。全ての研究者が同格である、というね」


『時間短縮のためここでは概略のみを話す。詳細は資料で確認して欲しい。まず我々はCCOVID-24の原因となるウイルスを、COVID-19用ワクチンの遺伝情報を取り込んだコロナウイルス群として定義した。これらは人に対してはほぼ無害だが、現時点では未知の作用により猫に対して致死的な疾病を引き起こすことがある。日本を中心とした感染拡大が懸念される中、我々は早期からウイルスの遺伝情報を入手し、各国の状況を調査していた。その結果、34カ国全てで条件に該当するウイルスが検出された』

 画面に資料が映された。世界地図に点在する赤い点。

 僕は不安になる。なんだよ、大丈夫だとか言っておいて。むしろ状況は深刻なんじゃないか。だけど隣に座る叔父さんは、落ち着いたままコーヒーカップを傾けていた。僕も開き直って次の字幕を待つ。

『一見して分かるとおり、今年の3月に日本で新たにウイルスが発生し、伝播したという仮定には無理がある。汚染範囲が広すぎるからだ。そこでわれわれは採取したウイルスの遺伝情報を分析した。その結果、日本からの株が単一の起源である可能性は極めて低いと断定せざるを得ない。CCOVID-24の病因となるウイルスは少なくとも全世界の5カ所で独自に発生し、相互に影響し合いながら拡散されたと推測される』

 え、え? そこから先の話は統計だか医学だかの専門用語が入り、僕にはよく理解できない。

「ちょっと待って。話がおかしくない?」

 叔父さんが僕に顔を向けた。 

「この病気の特性が何か分かるかい?」

 突然の質問。僕は必死に考える。

「人間と猫の両方に感染する」

「コロナウイルスが人間と猫の双方に感染するのは、以前から知られていた現象だ」

「高齢の猫が死亡する」

「抵抗力の劣った高齢の個体は、どんなウイルスであれ感染すれば危険だ。それは単なる一般的な傾向でしかない」

 僕は考える。ダメだ。

「わかんないよ」

 叔父さんは美味しそうにコーヒーを飲んでから言った。

「ワクチンと同じ型の遺伝情報を持っている。ただそれだけなんだ」

 叔父さんはとびっきりのイタズラを成功させたような顔で僕を覗き込んだ。

「そして私達はこの地球上で、毎年何十億本ものワクチンを使用している。コロナウイルスがその遺伝情報を取り込むという偶然が、この島以外で全く起こらない・・・・・・そんな確率の方がずっと低いだろうと思ったんだ。だから世界中で、よく似たウイルスがないかを探してもらった」

「だってさ。前に言っていたじゃない。この島のウイルスは独自に発生したもので、他の国には無かったって」

 だったらこの島から各地に広がった。そうじゃないのか。

「そうだ。この島のウイルスと一致するものは無かった。だから考え方を変えた」

 画面の中の科学者達を満足そうに眺める。

「この島のそれと一致するウイルスではなく、【ワクチンと似た遺伝情報を持つ】【猫と人間の双方に感染し】【少々の厄介を引き越す】ウイルス、それを探したんだ。そういった条件で調査したら、各地で山ほど見つかったよ」

「いいの? それで!」

 叔父さんが浮かべる笑み。それはどうみても悪人の笑顔だった。

「今、猫コロナウイルス、そして【CCOVID-24とは何か】という定義が決まった。それはこの島で生まれたウイルスで発生する病気では無い。COVID-19用ワクチンの遺伝情報を取り込んだコロナウイルス群により引き起こされる病気だ。そう決まったがゆえに、このウイルスは【もう世界中に広まっている】ということになった」

 ちょ、ちょっと待って。その理屈は何かおかしい。僕は何か騙されている。そうは思うのだけど、何がおかしくて何を騙されているのかを言葉にできない。

「世界に数多有るウイルスのうち、何を同一としてカテゴライズするかは人間の都合でしかないんだ。要するに先に言った者勝ちでね。わざわざ別の病気とする必要も無いのだから、決めてしまえばそれが正しいということになる」

 叔父さんはコーヒーを飲み干し、お代わりの一杯を注いだ。

「まあ、この島で見つかったウイルスは比較的毒性が高いタイプではあるんだが、それも些細な問題でしかない」

 そんな無茶苦茶な。

「毒性が強い弱いって、結構重要な違いじゃないの?」

「COVID-19の時も、アジアで流行したタイプとヨーロッパで流行したタイプでは毒性に違いがあった。しかし、同じ病気であるという定義に疑問を持った人は誰もいなかっただろう。ウイルスに多少の変異があるのは常識だからね」

 それにしたって。僕は、浮かんだ疑問をぶつける。

「同じようなウイルスがもう世界中に広まっていたなら、どうしてこれまで誰も気づかなかったのさ?」

 叔父さんが得意げに語り出す。

「COVID-19の被害が大きかった国では、人間の平均寿命が1年近く短くなった。仮に猫にもこれと同じだけの影響があったとしよう。因みに猫は1年間で4歳分、年を取ると言われている。だとすれば換算して3ヶ月」

 センセイめいた口調で僕に問う。

「そこで質問だ。我々は猫の平均寿命が3ヶ月短くなったことに気づくだろうか」

 それは思わぬ答えだった。

「実は幾つかの地域で猫の寿命が短くなっていることが判明している。しかし世界の誰もそれを大きな異変とは考えなかったんだ。数ヶ月程度の時間は、人間の意識の中では誤差に入ってしまう。だから真面目に調べようとしなかったんだろう」


 画面では女性の話が終わり、マスコミからの質問に移っていた。最初に抽選に当たったのは、日本の新聞社だった。

「最初に質問する機会を与えて頂き、ありがとうございます」

 社名と自身の名前を語ってからその記者は続ける

「今回の件については、日本政府の無責任な対応が各国に多大な影響を及ぼし、同国民の一員として慚愧の念に堪えません。今回の発表では、同系統のウイルスが既に世界各国に広がっているということですが、やはりそうであったとしても、我が国政府の責任が免除されるものではないと私は考えます。そこでお伺いしたいのは、世界的なウイルス拡大阻止のためにあるべき姿と、実際に取られた行動の違いについて、研究者としての観点からどのような問題があったかという・・・・・・」

 そこで映像はぶつりと切れた。

 クールなままに司会役の女性が言う。

「最初に伝えたように、時間は30秒。タイマーで自動的に切断される。そして我々は科学者であり、受け付ける質問は科学的な内容に関するものだけだ。政治的な意見の表明や論評は一切行わない。先ほどのお話は事前に伝達した事項に反しているため、ノーコメントとさせていただく」

 彼女は手元の端末を引き寄せた。

「なお、ウイルスの突然変異は単なる確率の問題だ。どこが最初であるとか、どの国の責任といった議論は無意味だ。では次の抽選に移る」

 海外のマスコミが質問を始める。世界各地から出される問いかけはどんどん高度なものになっていき、僕の理解は追いつかなくなっていく。


「結局、どうなるのさ」

「まず、CCOVID-24のウイルスは全世界に拡散済みということになった。だとすれば今更この島や日本を封鎖しても意味は無い。早晩、各種の措置は解除されるだろう」

 うん。それは嬉しいことだと思うんだけど。

「第二に、このウイルスが発生した原因がワクチンの大量使用であることは明白だ。アメリカ、中国、ヨーロッパと言ったワクチンの大消費地では全て独自にこのタイプのウイルスが出現している。しかし、COVID-19用のワクチンを使用したことが問題だったなどという主張は不可能だからね。誰に責任を押しつけることも出来ず、責任を取ろうとする者も誰もいない。賠償だとかなんだとかいう話は、全て立ち消えになる」

 それは良いことなんだろうか。なんとなしに僕の心に疑問が湧き起こる。

 誰も責任を取らない。皆でやったのだから仕方ない。それは恐ろしい誤魔化しのような気もするのだけど。

「第三に、人々は既にウイルスが拡散して猫の寿命が短くなっていたにも関わらず、その事実を認識していなかった。つまりここまでに生じた損害はゼロだ。ここから先、状況が更に悪化する恐れはないのだから、この病気による損害はこれから先も無いものと考えていい。よって、大規模な対策も不要とされるだろう」

「待って! おかしいよ、それ!」

 思わず僕は声を張り上げた。叔父さんは出来の良い生徒を見るような眼で僕を眺めた。話を促すように僕に右手を差し出す。

「だって、現実にウイルスはそこにあるんだよ。これからたくさんの、ひょっとしたら何億もの猫がウイルスに感染して。死んじゃう猫もいるんだよね」

「そうだね」

「だったらどうして対策しないなんて話になるんだよ! それだけたくさんの猫が死亡するっていう理由で、日本は何百兆円だかを請求されそうになって、僕たちやこの島は散々脅されて。核ミサイルを撃ち込めなんてことまで言われたんだよ」

 あまりの理不尽さに頭がキレそうになる。

「なのにどーして全員の責任になったらそれがチャラになるのさっ!!」

 そんなの絶対におかしい。

 猫の命を守るためにこの島を焼き払え、僕たちを一生この島に閉じ込めろ、気が遠くなるほどの大金で賠償しろと言っていたじゃないか。

 だったら世界中に広まったこの病気を根絶するために、世界中の人々は自分達が住む街を焼き払い、一生そこに閉じこもり、どれだけの大金がかかろうがその対策を続けるべきじゃないのか。


「生まれた猫は必ず死ぬ。一匹残らずね」

 叔父さんは静かに語る。

「長期的に見れば猫の死亡率は100%だ。それより下がることは決して無い。猫が死ぬこと自体は当たり前なんだよ。問題はそれに人が不快感を覚えるかどうかだけなんだ」

 それは極めて不愉快な正論だった。

「自分の飼っている猫が他人のせいで病気になって死んだとしたら、人はそれを悲劇として認識するだろう。拳を振り上げて怒り、その原因を作った相手を呪い、その責任を断固として追及する。しかしね『飼っている猫の寿命を三ヶ月延ばすために自分の財布から大金を差し出すか』と問われたら。拒否したとしても、人はそれを自分の人格の欠陥とは考えない」

「でもっ!」

「猫エイズを始めとして、猫の寿命を短くしている病気は幾つもある。しかしそのために巨額の資金を出したりはしないだろう。人は新たなリスクの増大には敏感だが、既に存在しているリスクには寛容だ。猫コロナはこれから後者として分類されるんだよ」

 僕は涼しい顔をして語るこの男を、今度こそ全力で殴りたくなる。

「君が違和感を抱くのは当然だと思う。しかし君自身だって、本気でこの島を焼き払い、家族が路頭に迷うまでウイルス対策の事業を進めるべきだとは考えていないだろう?」

 僕は自分の内心の深い部分を指し示された。

「自分ではやろうとしないことを他人に求めるのは間違っているよ。たった今、君自身が言ったようにね」

 ぐぬぬ。納得できない。絶対に納得できない。だけど反論が思いつかない。


 画面では質問への回答が続いていた。

『猫の死亡統計を参照して欲しい。現時点で猫の年間死亡数に極端な変動は無い。僅かな増大は見られるが、死亡年齢に対する影響は0.52%。統計誤差と大差ないレベルだ。つまりウイルスが拡散しているにも関わらず、そこまで深刻な影響は出ていないという事になる』

 差し出されたグラフ。それを見た僕は隠された数字のマジックを見破った。

「これ、ひょっとして本当は2%なんじゃ」

「鋭いじゃないか」

 そう言った時の、叔父さんの嬉しそうな顔!

「私も色々講義した甲斐があったよ」


 平均寿命が3ヶ月短くなったとしても、年間死亡件数に大きな影響が出ないのは当然だ。そのカウントの仕方では、ほとんどのケースが【同じ年の死亡】になるのだから。僕は数学が得意ではない。だけど多分、日数や月数で影響をカウントするのと比較すれば、その影響は四分の一に縮まって見えるはずだ。彼等はきっと【1%にも満たない】というイメージを造り上げるために、故意に年数で比較したグラフを用意したのだ。

「こんなの、イカサマだよっ!」

 人間の寿命が2%変化したら、それは1年以上という期間になる。きっと無視できないほど大きいと言われるに違いない。

 猫にだって、同じだけの影響が出ているのに。

「資料に何一つ嘘は無いよ。猫の3ヶ月と人の3ヶ月では意味が違う。しかし、ここで問題にされるのは【人にとっての時間感覚】だけなんだ。だからむしろ、この資料の方が正しい表示方法だとすら言える」


 これが。僕はまざまざと見せつけられた

 事実を利用したフェイク。

 嘘などいらない。

 客観的で正しいデータを使って人を欺くなど、簡単なことなのだと。


 画面では科学者が静かに語っていた。

『パニックになるべきではない。CCOVID-24用ワクチンはいずれ実用化される。その際、人間に接種することは薦められない。ワクチンの過剰摂取は更なる問題を引き起こすだけだ。特にCOVID-19用ワクチンへの副作用が増える懸念は無視できない。しかし猫はCOVID-19を発症しないのだから、猫の側がワクチンを接種することで問題は解決される。それまで長くても数年だと考えている』

 数年間。その間は放っておくってことじゃないか。どうして、なんでそんなことで許されるのか。これは一種の詐欺ではないのか。


 僕はかろうじて最後の反論を試みた。

「けど、けどさ。こんなの一部の学者の意見じゃん。ネットで公開したからといって、叔父さんの思うとおりになる保証なんか無いでしょ」

「そういう可能性も有るが、ほぼ私の考えた通りに進むだろう」

 叔父さんは自信満々に答えた。

「私が行ったのはこの世界のメジャープレイヤー。つまり経済的強国の政府とその国民に対する一種の提案だ。このまま進めれば、あなた方が賠償責任を負う立場になりかねないが、それでも良いのか、と。そしてインパクトと公平性を演出する為に多数の科学者を並べて揃えた。十分に科学的で、特定の国に肩入れしているのでは無いというイメージ。それがどうしても必要だったんだ」

 画面の中に表示される多くの科学者達。性別も、人種も、国籍も様々な。これを見た人達は、彼等が私心なく科学の為に集まったと信じるだろう。だけど。

「ワクチン開発に絡む利権、最新の研究知識を入手できるネットワークの魅力、この会議に参加することで得られる名誉。様々なものを餌にしてね。まったく、ウイルス自体の調査よりも、人間同士の合意を取り付ける方が余程大変だったよ」

 少々の皮肉を込めた視線を画面に向けた。

「この発表を受けて日本、そしてウイルスの起源とされた地域の国々は全力で責任回避に動くだろう。政府、国民、各種メディア。主要経済圏の人々の意思が統一され、一致団結して【誰にも責任が無い】【過剰に怖れる必要は無い】という主張を始めるんだ。その流れに抵抗できる勢力は、おそらく存在しない」


 僕は押し黙る。

 きっと、僕は喜ぶべきなのだろう。叔父さんの言うとおりになれば、この島の平穏は戻ってくる。今まで通りの生活が。何事もなかったかのように。

 なのになぜだろう。この納得のいかなさは。自分が大切にしていた何かが徹底的に汚されたような感覚は。

 愉快犯。そんな言葉が頭に浮かんだ。他人を騙し、自分の嘘が真実に変わる光景を心の底から愉しむ悪魔。


 沈黙を続ける僕に、叔父さんが話しかけようとしてきた。

「色々思うところはあるかも知れないが、ここは気持ちを切り替えた方が良い。そうだな。例えばこんな風に考えてみたらどうだろう」

 僕は反射的に両手で耳を覆った。

「うるさいっ! 黙れペテン師! 僕だけは、僕だけは絶対にお前なんかに騙されないからなっ!!」

 画面の字幕が僕の目に入ってくる。

『我々はワクチン開発に必要な多くの知見を有している。開発を望む製薬会社などから要望があれば、喜んでそれに協力する意思があることをここに表明しておく』

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