第38話
結局、全ては叔父さんの言うとおりになった。
発表した内容は大量のデータで裏付けられ、他の科学者がその正しさを検証し、確実な事実として扱われることになった。
ウイルスが最初に発生したと思われる5つの地域。経済的・軍事的に強力な国々は、ウイルスの突然変異は偶然であること、ワクチンの大量使用について責任を問うことは不可能であることを主張した。
そして、全世界にウイルスが広まるまで誰もそれを認識できなかったのは、そもそも深刻な被害が生じていないのが理由であることを。
その変わり身の早さをなんと表現すればいいんだろう。彼等はほんの少し前まで、日本がウイルス感染拡大防止の努力を怠ったと叫んでいたはずだった。なのにいつの間にか、このウイルスの拡散を防ぐことは人類には不可能だった、特定の地域や政府に責任を負わせるようなやり方は国際間の協調を失わせるだけだという主張を全力で行っている。
SNSでは、それに同調する発言ばかりが大きく取り上げられていた。反対の意見はか細く、直ぐに潰されていくように見える。いや、僕の考えすぎなのだろう。検閲や情報操作なんて行われていないに違いない。
個人や団体といったレベルにおいて反論や不満の声はあった。だけど国家の規模で正面切ってそれを批判しようとする動きはどこからも起こらず。それらの国が主張する、ワクチン開発への支援を全力で行い、安価で供給するという約束で満足するしかなかった。
「彼等にしてみれば、将来的に利益の見込める事業について自国の製薬会社に補助金を出すだけの話だ。願ったり叶ったりといったところだろう」
聞かれもしないのに、叔父さんがそう解説する。
発表に参加した科学者達は時の人となり、世界中から賞賛の声が送られた。個人の連携によって全世界的な協調を描き出し、猫ウイルスにより生じかけた無用な国家間の軋轢を取り除いたのだと。
彼等には名誉と、これから開発されるワクチンの利権の一部が与えられるのだろう。きっとその費用は将来、僕たち猫の飼い主が負担することになる。
政府と国の対策が不十分だと騒いでいたマスコミは、今や対策が過剰であったこと、それにより法律によらない人権侵害的な措置があったことについて批判を繰り広げている。
その関連で島に対する様々な補償が行われることが決定し、父と母は大量の申請書の書き方が分からず四苦八苦していた。ネットを見ても、役場に勤める姉に聞いても正解が分からない書類なんてあんまりだ。ああ、それと、二週間後にはGO TO あいらんどキャンペーンなるものが始まる予定だ。そんなことやって、また変な病気が広まらなけりゃいいけど。
あの発表から一週間後。連絡船の通常運航が再開することになった。
その最初の便の時間。僕は港に居た。
彼等が通り過ぎる時、僕は深く頭を下げた。
「ありがとうございました!」
応えは無い。無言のまま、彼等はタラップを渡っていく。
結局、獣医師達と島の関係は修復できなかった。送別会を行うという島側の提案を拒否し、猫の世話を県庁から派遣された人に引き継いで。彼等は最初に島から出ていく道を選んだのだ。
最終的な島の猫の死亡数は想定よりも遙かに少なかった。あの人達は最後まで自分の責任を果たし、必死に猫の治療に当たっていたのだ。僕以外にもほんの数人。彼等を見送りに来たと思わしき人々の姿があった。役場の人が一人、沈黙のままずっと頭を下げ続けている。
「終わったかい?」
そう言って叔父さんは僕にペット用ゲージを差し出した。
「ハル!」
僕を見たハルは、早くこの窮屈な場所から出せと暴れる。ゲージを受け取った僕は留め金を外してハルを抱えた。良かった、元気そうだ。
「結局、陰性のままだったそうだ。健康状態にも問題は無いという話だよ」
僕は大事にハルを抱き続けた。少し重い。
ハルもおとなく僕の腕に身体を預けている。
お前、嫌いなタイプのシャンプーで洗われただろ。かわいそうに。
「色々、世話になったね」
僕は露骨に嫌な顔をしてみせた。あの日以降、僕はこの人を嫌いになると改めて心に決めていたのだ。
「正直言えばさ。色々酷い目に遭ったって気もするんだ。居なくなってくれて、清々すると思ってる」
「そうか」
滅茶苦茶に腹の立つことに、叔父さんは涼しい顔でそう応じた。
僕はハルの体温、その暖かさを感じながら言う。
「だけど―――もしも叔父さんがいなかったら、この島はもっと大変なことになっていたかも知れない。ハルも、戻れなかったかも。だから、その点は感謝してる」
「そうか」
同じ口調でそう答える。
叔父さんは自分がしていたことを僕の家族には語らなかった。もちろんニュースやら何やらにも全く取り上げられていない。だから父や姉からすれば、結局何をやっていたのか良く分からない人、という認識になってしまった。その結果、仕事が忙しい中、わざわざ港まで送りに行く必要までは無いだろうという話になった。ああ、ちなみに僕だって。ハルのお迎えと獣医師の人達の見送りがなければ港まで来なかったと思う。
実のところ、僕はまだ少し疑っているのだ。
叔父さんの言っていたことは本当だったのだろうか。実はやはりこの人は誇大妄想か何かで、PCに向かって話していたことも全て狂言で。僕に向かって思いつきのようなストーリーを語っていただけなんじゃないかと。
だけど少なくとも今、ハルはここにいる。だから、そのことについてだけはきちんとお礼を言っておこうと思ったのだ。
「これからまた、似たようなことが起きるだろう」
叔父さんが呟くように言う。
「この間、猫コロナウイルスの特徴はワクチンの遺伝情報を持っていることだけだと言ったね。実はもう一つ重要な特徴がある。特性が未知で、有効な治療法が見つかっていないことだ」
海の風は強く、そして少し冷たかった。
「現代は医学の力で無理矢理に平均寿命を上げることで、人やペットの高齢化が急速に進行している。しかし、高齢で抵抗力の弱った個体はどんなウイルスや細菌に感染して死んでもおかしくないんだ。人間が科学的に造り上げた防壁を突破する能力を持てば、どんな病原体であっても一気に大繁殖することが可能となる」
僕はこれが最後となるであろう、叔父さんの長い話を黙って聞いた。
「現代はそういった病原体に対して有利な環境だ。だとすれば、そんなケースがどんどん一般化していくことになる。進化とはそういうものなんだ。だからきっと、私達はまたそれに遭遇するだろう」
僕はハルを抱く力を僅かに込めた。
「もしそうなったら、どうすれば良いの?」
「十分な栄養を摂り、適度に身体を動かし、暖かく安心できる場所でしっかり眠るのが一番だね」
いつも通りの論理的な回答。だけど叔父さんはそれに予想外の一言を加えた。
「ああ、そうだな。愛する対象を持つのも良いだろう」
「愛する対象?」
思わずオウム返しをした僕に、大真面目に頷いた。
「君の心のストレスを取り除いてくれるような存在だ。それに効果があることは、科学的に証明されている」
ふうん。
「だったらさ」
「なんだい?」
「未来の人達は、みんな猫を飼うべきじゃないのかな」
叔父さんは一瞬きょとんとした表情を見せた。
「だって、そうすればきっと幸せな気持ちでいられるよ」
港に、晴れやかな笑い声が響く。
「成程。確かにそうだ。人類の為にも、猫達を健康にする手段を見つけておくべきかも知れないね」
最終乗船の合図が鳴った。係員が、乗船する方はお早めにと周囲に告げる。
「じゃあ、元気で」
そう言って叔父さんはタラップを渡った。一度だけ振り返り、僕に手を振る。
僕も手を振り返した。叔父さんは軽く頷き、船内へと消えていく。
ハルが僕の腕の中でニャアと鳴いた。
「行こうか」
僕は出港を待たずに家路に向かう。なぜそうしたのかは分からない。
ただそれが、僕たちにとって最も相応しい別れ方に思えたから。
fin
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