第39話 あとがき
拙い作品をお読み頂き、有り難うございました。
この作品はフィクションです。
発想としては、『もしも今回のコロナ禍が創作世界の話であったと仮定した場合、自分ならばどんな設定にするだろう』というものでした。
なので作中におけるCOVID-19は現実世界のそれとは異なります。その特性は私の創作であること、そして科学的な考証については相当にいい加減な部分があることをご承知おきください。
そして、実際にコロナウイルスの対策に当たった方、そして感染した方々を貶める意図は一切無いことを明言しておきます。
さて。作中にもありますように、筆者はロックダウンその他の政策には否定的な立場です。そしてそういった意見に対し、人命の軽視であるという類の、道徳論的な批判が生じることに違和感を持っています。
なぜなら。
これも作中で述べた通り、現代の地球では人類の医療技術を突破する能力を持ったウイルスは爆発的な拡大することが可能になります。だとすれば進化の必然として、これからもそういった病原体が次々と我々の前に現れることになる。
突然変異など不要です。潜在的にそういった能力を持つウイルスや細菌が、環境が有利であるという理由でその数を増やし、人々の新たな脅威となるでしょう。
私たちはその度に、今回と同じような行動をとることが可能でしょうか。
我々は永遠にロックダウンを。行動の自粛を続けることなど出来ないと思います。
だとすれば現状を追認し、自らの死生観を変え。
それでも世界の明るい面を見て生きていく。
それ以外に選択肢は無いように思えるからです。
ちなみに医療技術による勝利、という結末には懐疑的ですね。
ウイルスや細菌は十数億年という長い期間、結局は多細胞生物が構築した防壁を全て打ち破ってきたのですから。
たかだか百年、千年単位という幻のような短い期間、人類にアドバンテージをもたらしただけの科学技術に、そこまでの信頼を抱く気にはなれません。
令和2年12月。冬の到来と共にコロナウイルスの感染拡大が叫ばれています。
しかし筆者自身の本音を言えば、日本におけるこの感染症への対策は既に峠を越していると思っています。
理由はたった一つ。人々がこの病気に慣れつつあるから。
原発事故の話に例えるならば、破損した原子炉の熱上昇が停止した頃。おそらく破局は生じない。冷却を続ければ最悪の事態だけは防げるという予感が広がった時期にあたるのでしょう。
そんなの全然終わりじゃない。汚染物質への対処、そして原発を廃炉にするためには百年を超えるという時間が掛かる。峠を越しているどころか、問題はまだ始まってもいない、という意見もあるかと思います。
それは、その通りです。我々はこの感染症のために、これからも多くの不愉快な出来事を経験して行くのでしょう。
しかし生きるために不愉快な現実に出会い、それを克服していくのは人の日常の当たり前しかなく。with コロナ。この病気が我々の隣にいるのが当たり前になる以外、この感染症対策を終わりとする道が無いのであれば。
私達は間違いなく、このエピソードの終わりの始まりに居るのだと思っています。
あるいはもしかしたら。
これから長く続く、医療技術を無効化する病原体との戦い。
その始まりの終わりに立っているのかも。
では皆様、お身体に気をつけて。
ここまでお読み頂き、有り難うございました。
CCOVID-24 〜猫とコロナと島と僕~ 有木 としもと @Arigirisu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます