第22話

『グラフで見るとおり、感染者数、そして感染した猫の数は増えるばかりです。上昇率はやや鈍っていますが、拡大が収まる気配はありません』

 島の人々に対する検査が始まり、その検査累計数と感染者数の増加率はほぼ一致している。つまりは検査が増えたから沢山見つかっているだけのはずなんだけど、相変わらずそういった事実は語られない。

『その原因の一つと考えられているのが、この島独自の風習です。実はこの島は以前から猫島として知られており、多くの野良猫が居ます。飼われている猫も自由に家の外に出ており、これらの接触が猫コロナウイルスの拡大を広めているのではないかとの指摘がされています』

 猫を家の外に出すのは僕たちの島だけにある特殊な風習なんだろうか。僕にはそうは思えない。田舎の地域は日本中にある。家の周りに広大なスペースがあるのに、わざわざ猫を家に閉じ込めるはずがない。

 だけど番組はそれを当たり前の前提として話していたし、自分達の地域では放し飼いにしていると言い出してくれる人達もいなかった。

『猫を家の外に出せば交通事故や病気に掛かることが増え、平均寿命も短くなる。最近の研究からは、猫は家の中で飼うのが正しいと証明されています。しかし未だに古い慣習を続けている地域も残っているのが現状です』

 傍らのタレントが神妙な顔で言った。

『猫が幸せに生きる権利を考えたら、もっと飼育の仕方を考えるべきですよね』

 叔父さんが聞いたらなんと言うだろうか。『権利という概念の中には、生き方を自分自身で選択出来ることが当然に含まれるが、猫は自分の幸せが何かを定義することも許されないまま、飼い主が勝手にそれを定める。そんなものを権利と呼ぶことが適切なのか』

 言い出しそうなのは、こんなところかな。

 たいぶ毒されてきたという自覚。そして問題は、変わり者の叔父さんの分かりづらい話より、このタレントが語る内容の方が遙かに多くの同意を得られるであろう現実だった。

 続いて、島の状況に詳しい人からの報告というボードが出された。

『島の関係者によれば、感染拡大が続く中では猫の接触を減らすべきであるにも関わらず、島の人々の意識に改善が見られないことが大きな問題になっているそうです』

 関係者とやらが誰なのか具体的には語られない。だけど僕にはそれが誰なのか検討がついた。きっと、あの獣医師に違いない。

『この猫コロナウイルスについては、日本中、そして世界中の注目が集まっています。渦中に居る島の人々の苦労は理解しますが、感染拡大防止のために必要なことについては、確実に実行して頂きたいものです』

 そんな風に番組は結ばれた。

「だいたいさ、そうだったら自分達がこのウイルスを怖がる必要なんて無いじゃん」

 僕はそう毒づく。猫を外に出さなければ良いと言うならば、猫を家に閉じ込めている都会ではウイルスは広まらないはずだ。だったら僕たちをここに閉じ込める必要もないはずじゃないか。


 気晴らしのため、久しぶりに僕はゲームを起動させた。勘が戻っていないのか、ランキングが格下の相手に劣勢に追い込まれてしまう。

 僕は偵察のコマンドを使用する。二体の正体が判明した。攻撃力100のこいつは単なる囮。もう一体は650。前線の中核ではあるが、それだけだ。となれば。

 マップ全体を眺める。敵の中段に位置する二つのユニット。そのどっちかが本命だ。僅かな位置取りの差から僕は決断を下した。

 正体の見えていない敵に集中攻撃。僕の賭けは当たった。最強カードを破壊された相手が投了する。気分の良い逆転勝利。


『セオリーの分かっているゲームでは、僅かな情報を得るだけで勝利を呼び込む事が出来るだろう』。少し前に叔父さんがそんなことを語っていた。『しかし、始めてプレイするゲームではそう上手くはいかないんじゃないかな』とも。

 そりゃあそうだ。大型アップデートがあっただけでも、こんな風に自信を持って博打に出ることなんてできない。

 少しでも条件が変われば、読みは成立しなくなってしまう。


 叔父さんはこうも言っていた。

『多くの人々は無意識にある前提を抱いている。【私達が世界を調べれば原因が明らかになり、なんらかの対処法が見つかる】というのがそれだ。しかしそれは余りにも都合の良い予測だ。悪く言えば妄想に近い』

 大学のセンセイがそんなこと言い出して良いのだろうか。僕はそう思ったが、叔父さんは気にする様子も無かった。

『東日本大震災の話だ。政府や自治体は必要な物資を届けるため、各地の避難所の人数を必死に把握しようとした。しかしそれは全て無意味に終わった。なぜだか分かるかい?』

 僕には見当もつかなかった。

『タイムラグを考慮していなかったからなんだ。通信網も道路も寸断されている中、情報を収集し、物資を集めてトラックで現地に運ぶとなれば最低でも24時間、悪ければ数日の時間が掛かってしまう。その間に避難所の人数は数倍に膨れ上がり、到着した時には全ての物資が不足しているという事態を招いてしまったんだ。苦労して得た【正確な人数】という情報は、むしろ事態を悪化させる原因となってしまった』

 へえ、そんなことがあったんだ。そう思いながら聞く僕に、叔父さんはどこか皮肉を感じる笑みを浮かべて言った。

『世界は複雑で変化し続ける。その中で私達が知ることが出来るのはほんの一部だ。情報は入手が遅すぎて肝心の対策に役立たないかも知れない。相手の正体が分かったとしても、あまりにも強力過ぎてどのみち打つ手などないかも知れない。そして足りない情報を根拠として導き出される最善手は、往々にして単なる愚策に成り下がる』

 それはちょっと悲観的すぎないかと僕は疑問に思った。やっぱり色々知ることで解決に繋がることもあるんじゃないかと。

『情報の収集は大切だよ。しかしそれは膨大なトライアンドエラーを積み重ねた上で初めて意味を持つ。その事実を無視し、僅かな労力だけで全てを解決する魔法の手段のように考えるのは間違いなんだ』

 僕はデッキを組み直した。先ほど劣勢になった原因を分析しつつ、カードを入れ替える。


 第二戦が始まった。

『大規模な感染症対策は軍事に似ている。あるいは情報秘匿型の対戦ゲームに。全ての情報が得られることは決してない。情報が十分に揃うのを待つことすら許されない。それでは全てが手遅れになるからだ。何もかもが不足する中、例え敗色濃厚だと分かっていても動き出すしか無い。そういう性質のものなんだよ』

 僕は再びマップに向き直る。相手も手を変えているはずだ。

『この国の対応がガタガタに見えながら意外に破綻しなかったのは、現場や国の中枢にその面での実戦経験者が多いからなのかも知れないね』

 日本は戦争なんて経験してないでしょ。

 僕はそう言ったが、叔父さんは首を横に振る。

『国家を揺るがす規模の大災害。地震や水害への対策は、事実上軍事作戦の一種とみて差し支えない。官民が共同して国家防衛の戦いに参加したという分野の経験値で言えば、間違いなくこの国は世界のトップクラスだよ』

 今ひとつ納得できない僕に対し、叔父さんは再び皮肉めいた笑みを向けた。

『現にCOVID-19への対応は、東日本大震災の経験を踏まえたものだった。単純に検査の数値を発表しても事態の改善には役立たず、むしろ現場の負荷を増大させてしまうだけだという教訓。リスク低減が不可能な状況においては、人々をそれに慣れさせ、現状の許容を認めさせるしかないという達観』

 その笑いはなんと言うか、ものすごく人の悪さを感じるものだった。

『一定のリスクがあることを認めつつも【直ちに危険は無い】【現状ではまだ感染爆発とは言えない】という表現で逃げ続け、やがて諦めた人々がそれを日常として受け入れるまで待った。まったく、天才的な詐術と言うしかない。この国は実にユニークな手法で過去の経験を活かしているよ』

 東日本大震災の頃、僕はまだ三つか四つだった。だから叔父さんの何を言っているか十分に理解したのではないけど。ともかくその内容は、あんまり良い話には思えなかった。

『いやなに。諸外国に大声で吹聴できるような内容では無いけれど、昔から存在する効果的な手法の一つさ。酒や煙草の扱いを見れば良く分かる。人間は新しいリスクには強い警戒心を抱くが、存在に慣れてしまえばひどく寛容なものだ。パンデミックのような社会的な問題については、そういう心理的なアプローチが欠かせないんだよ』


 画面では新しい動きがあった。げ、新しく出たレアカード。こんなの持っていたのか。厄介ではあるがその使い方はぎこちない。それに、と僕は思った。

「そいつはコンボじゃないと真価を発揮しないんだよねー」

 強力なカードにはコストが掛かる。デッキ全体をそのカードに合わせなければ、却って全体のバランスを悪くするだけだ。

 相手はまだ初心者なのだろう。本来は絶大な力を発揮しただろうそれを持て余していることが明らかだった。


 再び叔父さんの言葉を思い出してしまう。

『この国のやり方も問題だらけではあるが、欧米のそれが必ずしも優れている訳じゃない。彼等は自分達の手法を普遍的なものと考えたがるが、実際には豊富な資金と整備された医療制度、ある程度安定した政治体制などを前提としなければ成立しないものばかりだ。要するに一部の重課金者以外は実行不可能な編成であって、とても万人向けとは言い難い。その上、昨今では当の欧米諸国自身ですらそのコストを賄いかねているのが実情だ』

 二戦目が終わった。危なげなく僕は勝利した。

 ろくに課金もしていない手持ちのカードだけで。


『国家というものはその時代、その地域だけの唯一無二の存在で、はっきり言ってしまえば人体よりも余程個体差が大きい。それぞれの体質に合ったカスタムなやり方を模索すべきであって、均質化した手順を単純に信じないという方針は、見掛けほど非合理的な選択とは言えないんじゃないかな』

 駄目だ。どーもあのおっさんと話をしていると道徳とかモノの考え方というか、何かが変な方向にねじまげられていくような気がする。

 やめやめ。もっとちゃんと楽しもう。僕は余計なことを頭から放り出し、ゲームに集中することにした。

 画面の端に着信通知。フレンドからの連絡だ。僕はチャットをオンにした。

『久しぶり』

『最近入ってなかったよね』

『いろいろ大変でさー』

 久しぶりのフレンドとの会話は何ごともない平穏な日々の感覚を僕に与えてくれた。当たり前だったはずのそれは、今では遠い昔のようだ。

『昔、猫飼ってるって言ってたよね。アレか。最近騒ぎになってるし』

『そうなんだよ~』

 最近では気軽に話を出来る相手との時間が無い。家族は別だが、どうしたって日々顔をつきあわせる相手には語れないことがある。

『実はさ。僕、その島に居るんだよね』

『ウッソ。なにそれ。ホントに大変なんじゃん』

 僕は突然にウイルスが流行していると言われ、わけも分からぬままに始まった日々について語った。実情を少しも知らないテレビの報道。僕たちを助けに来てくれたはずの獣医師ですら、島のことを理解してはくれない現実。

 フレンドは親身になって話を聞いてくれた。僕は毎日の生活に強いストレスを感じていたことを自覚する。いつの間にか何かに押さえつけられ、自由に動くことも、語ることも禁じられてしまっていたことを。

 僕はその不安と苦しさを吐き出していった。


 チャットはそれほど長いものではなかったと思う。たぶん、三十分かそこら。だけど僕は溜まった何かを洗い流されたように感じていた。

『ゴメン。そろそろ時間だ』

 フレンドがそう告げる。

『あ、分かった』

 心の軽くなった僕は、感謝の言葉を伝えた。

『ありがとう。話を聞いてくれて、ちょっと楽になったよ』

『気にしないでー また今度』

 うん、また今度。それで会話は終わった。僕はかつて自分がいた世界が、こんなにも穏やかだったことに驚く。以前はあんなにも不安で、冷たく思えていたのに。

 そこに戻れる手段があったことに感謝しながら僕はゲーム機を片付けた。

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