第21話
それから後が大変だった。血の気の多い男子数人が部屋を出た獣医師を追いかけようとし、大人達が慌ててそれを止める。最終的にリーダー格の獣医師が謝罪をしたことでその場は収まったが、僕たちの間にはひどい不協和音が残った。
家に戻った後、顛末を語る僕に叔父さんは言った。
「それは問題だな」
「でしょう。やっぱりヒドイと思うんだ。僕たちだって必死に頑張ってるのに。あんな言い方ってないよ」
うかつにも心のどこかで同意を求めていた僕は、自分の間違いを思い知らされる。
「いや、その場の個人的な発言は大したことではない。問題は【猫を外に出すから病気が流行る】という理屈についてだ」
「あー、やっぱそうくる」
「何か?」
「いや、それはいいから」
うん。僕が間違ってた。うっかりしてました。
「んで、その理屈がどう問題になるのさ」
「まず最初の前提だ。最近の都会では、猫は室内飼いが基本だ」
「そうらしいね。交通事故が怖いからって聞いたけど」
「都市には空きスペースが無い。交通事故も理由の一つだが、むしろ他人の敷地で糞をしたり、鳴き声を立てることによって生まれる苦情の防止という意味合いが大きい。人間同士のトラブルを生じさせないためには、どうしても猫を室内で飼うスタイルを主流にせざるを得なかったんだろう」
叔父さんは一つため息をついた。
「ところが、昨今ではそれを倫理的な理由として考える人も多いんだ。外界は危険が多い。事故の他にも、蚤や病気を遷されて猫の健康に悪影響を及ぼすこともある。猫の幸せを考えたら室内で育て続けるべきだ、というような主張だね」
田舎の島の発想と言われてしまえばそれまでだけど、正直なことを言えばどうしてもその話には違和感がある。
「外に出すのが不安っていうのは分かるけどさ。室内に閉じ込めるのが猫の幸せになるのかなあ」
「私もそう思う。そもそもペットというのは人間の都合に合わせた歪な存在だ。同意も無しに去勢手術を行い、人工的な環境に閉じ込めた挙げ句にそれが相手の幸せだなどと語るのは、傲慢の以外の何物でもないだろう」
むむ。その言い方は僕の反感を刺激した。
違う。そういうことを言いたいんじゃない。
「猫は本来、外界に縄張りを作る動物だ。だとすればむしろ【猫本来の生き方が出来ない現代の都市では、猫を飼うことを禁止する】という結論の方がまだ納得できる。しかし彼等は自分達に猫を飼う権利があるという根拠不明の前提から話をスタートさせるから、結論がおかしなことになるんだ」
「いや、叔父さん。悪いけどさ」
僕はシリアスな顔で言う。その点は譲れない。
「猫を飼うのは権利。いいね?」
叔父さんはしげしげと僕を眺めたあと、大人しく両手を挙げた。よろしい。
「その点はひとまず置こう。倫理や道徳、権利といったものは信じる・信じないの世界で、理屈の外にある。論理的な誤りを指摘するのは無意味だ。問題は、倫理や道徳とこの島の現状を結びつけて語られることなんだ」
「ごめん、もうちょっと分かりやすく」
さすがに僕も扱いに慣れてきた。素直に説明を求める。
「感染症にかかった地域が差別されるのは良くある話だ。数年前に証明されたように、そのメンタリティは現代でも脈々と続いている。そしてその差別を正当化するために【感染が広まった地域に住む人々は道徳的に劣っている】という主張がされるケースが多い」
「待ってよ。猫を放し飼いしているってだけの理由で? だから島の人間が悪いって話になるの?」
叔父さんは大真面目に頷いた。そんなバカな。
「この感染症は人と猫の双方を経由する。理屈で言えば、感染の拡大と猫を放し飼いにしていることの関連性は薄いだろう。しかし差別を正当化する側にとってそんなことはどうでもいいんだ。彼等は口実を求めているだけだからね」
確かに新型コロナウイルスの時も、病気の広まった地域は色々な悪口を言われていた。だけど、僕たちに何ができるだろう。今までずっとやってきた猫の飼い方だ。人間が改めようと思っても猫が納得しないに決まってる。
「可能なら対策を取りたい所だが・・・・・・無理だろうな。単に口実が変わるだけだ。感染症が消えないことに苛立ち始めている人間は世界中に存在する。遠からず他人に責任を押し付けようとする心理が働き出すだろう」
叔父さんは難しい顔をして腕を組んだ。
ついでだ。良い機会だと思って、僕は話題を変えた。
「結局、叔父さんはどんなことをしてるの?」
「あれ、言わなかったかな」
叔父さんは笑いながら言った。
「大学の講師だよ。このままだと、元講師になってしまう可能性も否定出来ないが」
「じゃあ、今は?」
一瞬言い淀んだ叔父さんにたたみかける。
「さっきの話だと、島を助けようとしてくれているんだよね。今、あの部屋で具体的に何をしてるのさ」
うー、あー、などと珍しく言葉につまる。
「教えてよ。気になるじゃん」
逃れられないと悟ったのか、叔父さんは声を潜めて語り出す。
「済まないが、他言無用で願いたい。以前に政治家の下で働いたことがあると言っただろう」
うん。その話は聞いた。
「だから私は今、特殊な位置にいる。県や国の役所、あるいは政治家とのパイプを持ち、同時に大学という研究機関との関係もある。ウイルスの震源地であるこの島で、そんな立場にあるのは私だけだ。だから各所に情報を流して、こちらに協力をしてくれるネットワークを構築しようとしているんだ」
「情報を流すって、何の」
「今のところ一番有効なのは、君たちが集めてくれた糞だよ」
糞? 話が見えず混乱する僕に説明を始める。
「新型感染症の発生は製薬会社にとって巨大な利益を生み出す機会だ。国からの助成金、株価の上昇。普段では出来ないような実験的な治験を行うことも許される上に、今まで役立たずだった薬に新たな評価が下されることもある。新型コロナウイルスの時も、どの薬が効くとか効かないとかで大騒ぎが繰り広げられただろう」
ああ、そう言わればそんな記憶がある。
「そして猫というのは非常に特殊な存在だ。動物であるから薬剤の安全基準は人間よりも遙かに低いから、簡単に新しい薬を開発出来る。一方でその市場規模は巨大だ。伝染病ともなれば、下手に人間の薬を作るよりも大きな利益が見込まれる」
なんだかドロドロした話だなあ。でも言われて見れば、最近のコマーシャルには猫に関する商品が増えている。こんな状況では不安を抱く人、猫のために大金を費やしても惜しくない人がたくさんいるだろう。
「だからこそ、そういった企業はウイルスのサンプルが喉から手が出る程欲しい。そして、現時点でそのサンプルを事実上独占し、供給ルートを一手に握っているのが」
「叔父さんってこと!?」
うなづくその顔を見て、僕の脳裏に様々な感情が走る。
最初に出たのは、怒りだった。
「ひどいっ! 値打ちものなんじゃん、あれ!! 僕たちに黙って大もうけするつもりだったってわけ?」
汚い。さすがは元政治家の秘書。汚すぎる。
「道に転がっていれば只の糞だよ。第一、私が私服を肥やしているような言い方は心外だ。今後のためのネットワーク作りに利用しているだけで、個人の利益にはしていない」
「ほんとぉぉぉ?」
疑いの目を向けると、叔父さんは真剣な声でそれに応じた。
「領収書は出せないが本当だ、誓うよ」
言ってから少し目を逸らし、そして小声で付け加える。
「いやもちろん、生活費とか必要な予算は別にして、だけど」
信用できねぇぇぇ。いつか叔父さんが金持ちになったら絶対ふんだくりに行こう。
だけどそれはそれとして、今は先に訊くべきことがあった。
「それでどうするつもりなのさ。あ、ひょっとしたら今、世界中でワクチンを開発してるとかそういう話?」
期待した質問の答は、いつものように裏切られた。
「将来的に利益の見込める分野だから、研究自体は進められている。しかしまだ暫く時間がかかるだろう。それにコロナ型ウイルスに対してワクチンはあまり有効じゃ無いんだ。今の予防接種だって半分は誤魔化しみたいなものだし」
「じゃあ対策ってなんなのさ。叔父さんはどうしようとしているの?」
叔父さんは再び苦しげに唸った。
「今、世界中の研究所で検査と分析を続けてもらっている。そして調査と共同発表の約束をとりつけているんだ」
「それで」
「悪いとは思うんだが」
叔父さんは片手で僕を拝む。
「その点は秘密にさせて欲しい。まだ上手く行くかどうかも分からないんだ」
ぶう。僕は不満そうな顔を見せる。叔父さんはそれを宥めるように言った。
「君たちの不利益になるようなことはしない。約束するよ」
約束と言われてもなぁ。さきほどの誓いとやらの疑わしさを考えれば、この人をどこまで信じていいものやら。とは言え、確かに変人でとても信じられない面もあるのだが、この島のために何かをしているという点と、僕たちに悪意を持っていないという点では一応は信じてあげても良いという感じで。ううむ。難しい。
「こういった分野はそれなりに得意なんだ。出来れば任せて貰えると有り難い」
妙な自信を見せてくる。
「得意って言われてもなあ。どこでこんなことやってたのさ」
「言ってしまえば、政治というものの本質は利益配分だ。あからさまに言ってしまえば、人々に利益をもたらすことを約束し、その代償として権力を行使する許可を得る、それが民主政治家という存在だ」
うわ、また難しげなことを言い出す。
「逆に言えば、政治権力を握るためには実行可能な約束をできるだけ多く準備し、その約束を欲する人達にアピールする必要がある。私はそういう仕事をしていたんだ」
「秘書って聞いてたけど」
「正確には選挙対策要員だった。支持者層を広げ、世間の空気を変えて流れを自分達の望む方向に誘導する。そのための技術者だ」
そういうものを技術者と呼んで良いのかなあ。どこか違法っぽいというか、危ない分野というか。つまるところ人を騙す役割に聞こえるんだけど。
「今までは他人のためにそれをやっていたんだが、今回は自分の裁量でそれが出来る。正直なところ、とても面白い」
「面白いって・・・・・・ゲームじゃあるまいし」
僕の声に反応し、叔父さんは一瞬だけ含みのある笑いを浮かべた。
「折角だからね。私としても是非成功させたい。だから全力を尽くすよ」
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