9. いえいえ、旦那さま? それ、どこの世界の常識ですか?

「せっかくです、今日は泊まっていって下さい。友人として歓迎しますよ?」


 俺たちを見送ろうとしたエマとリーシアを、ティファニアが引き止めた。エルフの里の外で待つ者のために、近くで宿も用意してあるとのこと。


「でも、ほかのエルフはよそ者を嫌がるんじゃないですか?」

「たしかに嫌がる人もいますけど……。いつまでもそんなことを言っていては、時代に取り残されてしまいます」


 リーシアが不安そうに口にしたが、ティファニアはすでに決意を固めている様子。


(ティファニアがそう言う以上、俺から口を出すことは何もないな)


 これはエルフの問題だろう。部外者の俺が、口を挟むべきことではないな。

 そうして俺たちは、エルフの里に足を踏み入れた。



「旦那さま、なにをしてるんですか?」

「約束しただろう? 着いたら結界の修繕を手伝うって」


 里に入るなり俺はあたりを見渡し、結界の観察をはじめる。修繕を手伝うつもりなら、あらかじめ結界の造りを理解しておく必要があるだろう――というのは建前で、俺を動かしたのは純粋な好奇心だった。


(あの国では、なかなか他人の作った結界を目にすることは無かったからな)


 エルフの秘術ともなれば、さぞかしすごい技術が使われているに違いない! ワクワクしながら、里を覆う結界の術式を観察する。


 ふむ、入口に置かれた制御台から結界を制御する方式か。古来から使われてきたオーソドックスな造りだな。俺はエルフの里の中を歩いて、結界を見て回ることにする。



「ティファニア、この里には何人ぐらい住んでるんだ?」

「5000人、といったところでしょうか」


 なるほど? 人数の割には、随分と大規模な術式を使っているんだな。首を傾げながら、俺は結界の観察を続ける。



「おかしいな。とくに綻びは見当たらないぞ……?」


 結界の術式に異常はなく、思った通りに動作しているようだった。まともに動作してこの程度の効果しかないなら、その方がはるかに大問題だがな。



「当然です。この秘術のおかげで、私たちはこれまで生き永らえてきたんですから。一目でここに里があると見抜いてしまった、旦那さまがおかしいのですよ!」

「完全に同意しますが、早く慣れておいた方が身のためですよ? 師匠がおかしいのは、今に始まった事ではありませんから」


 ティファニアたちはそんなことを言っているが、これぐらいは誰だって見抜けるだろう。単属性の魔力のみで成り立つ、なんとも古風な結界だ。

 こんなのがエルフの里の秘術なのだろうか?



「この結界は、外からの認識を遮断するものだったよな?」

「はい! モンスターだけでなく、ほかの種族との接触も極力防ぎたいので……」


 俺にちょこまかと付いて歩くティファニアが、勢いよく答えた。なるほど、そんなことも言っていたな。余計な争いを避けるためエルフが人前に姿を現すことはとても珍しく、その住み処を知る者は誰もいないとか。


 そう考えると、人間・獣人族・ドワーフまでもがエルフの里に足を踏み入れたのは、歴史的瞬間と言えるのではないだろうか。



「ところで、この術式を最後に更新したのはいつだ?」

「え、術式を――何ですか?」


(え、冗談だよな?)


 そう思ってティファニアの様子をうかがうも、彼女はきょとんとした表情を浮かべたままだった。

「結界は一度張って終わりじゃない。定期的にメンテナンスして、最大限の効力を発揮できるよう手を入れる必要がある。魔力を注いで活性化させたりな。ここまでは常識だよな?」


 ティファニアに尋ねると、こくこくとうなずいた。



「そんな常識すらも、王国の方々は知りませんでしたけどね」

「人を導く立場にいて知らないなんて、あり得ないよね」


 アリーシャたちから、容赦ない駄目出しも飛び交う。エリーゼがここにいたら涙目になりそうだ。



「メンテナンスには、常に新しい技術を取り入れて術式を更新――アップデートすることも含まれる。これも常識だよな?」

「いえいえ、旦那さま? どこの世界の常識ですか」


 ティファニアが小首をかしげてきょとんと言えば、


「ウチも初耳や。それが本当なら、結界師の中で革命が起こるで……。いったい、どこの情報や?」


 鍛冶職人として、結界師から依頼を受けることも多そうなエマまで、そんなことを言った。まじか。



「王国図書館の本に書いてあったぞ?」


(初心者向け手引き書に書かれていたから、誰でも知っていると思っていたが……違うのか?)


 王国図書館には、結界師の一族の知識が惜しげもなく記された書物が多数存在していた。自分なりのやり方を見つけるまで、俺も随分と世話になったものだ。もっとも俺以外にまともに読む者は、いなかったようだがな。



「師匠は、いつもこうなんです。私も故郷では『魔術の天才』なんて持てはやされて来ましたが、師匠と会ってからは恥ずかしいばかりです」

「……心中、お察しします」


 何故だろうか、呆れるような目で見られてしまった。




「なあ、この結界の『管理者』は誰だ?

 少し術式に手を入れたい。伝導率があまりに低くて、非効率にもほどがある」


 結界の効果の割にあまりに術式が複雑だった。そのくせ効率は悪く、これでは術者の負担を増やすばかりだろう。



「管理者は私です。是非とも、お願いします!」


 ティファニアはぴょこんと跳ねて、目をキラキラさせながらそう答えた。

 通常、結界の術式は管理者の許可を得た者しか書き換えることは出来ない。やろうと思えば強引に書き換えるられはするが、あまりに非効率だしな。



「ティファニアが管理者なのか。信頼出来るやつ以外には、あまり軽率に術式を弄らせるなよ? 何されるか分からないからな」


 ティファニアは管理者としての権限を、正しく理解しているのだろうか。こうもあっさり許可が出ると、不安になってしまう。



「大丈夫です! 私、旦那さまのことは完璧に信頼してますので!」

「師匠、私も師匠のことを一番信用してますからね!」


 挨拶代わりに抱きつくな! そして張り合うな!

 俺はじゃれついてくるティファニアを、メリメリっと引っぺがしてアリーシャに引き渡す。そんな様子をリーシアとエマは、生暖かい目で眺めていた。




 そんな馬鹿らしいやり取りをしていると、


「――おい。こんなところで他種族のものが、何をしている?」


 エルフの里の奥の方から、エルフの青年がこちらに向かってつかつかと歩いてきた。どうにも厳しい顔で俺のことをにらみながら。

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