40. おい、王国の結界が破壊されたらしいんだが……

 いつものように、結界術についての講義を開いていたある日のこと。


「――大変です! 大変です! 大変です!!」


 講座を開くために借りた部屋の中に、突如としてひとりの少女が飛び込んできた。突然の乱入者に、当然のように視線が集まる。


「アンネや、今は守護神による講座中だ。後にしなさい」

「守護神さま!? わわ、ほんとうだ神々しい! ――じゃなくて!!」


(あ、慌ただしい子だな……)


「も、も、も、申し訳ありません!」


 アンネと呼ばれた少女は、慌ただしくペコペコ頭を下げた。クルクル表情が変わって、見ていて面白い。



「いや、気にしないでくれ」


 エルフたちの守護神呼びは、いつまで経ってもおさまらず、なかば諦めるように受け入れた。それは良いんだがこの様子、祟りでもあると思われてるんじゃないだろうな?


「す、す、す、すぐに出直しますので!」

「でも大変なことがあったんだろう? 聞かせて欲しい」


 これほどの慌てた様子。一刻を争う事態かもしれない。


「で、でも……」

「大丈夫です、旦那さまはそんなことで怒ったりはしませんよ!」


 言葉を濁す少女を励ますように、ティファニアはそう声をかけた。アンネは緊張を解そうとするように、何度か深呼吸を繰り返し、



「なんでも王国の結界が、破壊されたそうです!」

「は――?」


 そんな爆弾を投げ込んだのだった。




◆◇◆◇◆


「それは正確な情報なのか!?」

「ひゃい、守護神さま! 大変なことになったと、精霊たちが騒ぎ出したのです!」


 思わず身を乗り出した俺に、アンネは軽くパニックに陥りながら、そう答えた。



「信頼できる情報です、旦那さま。アンネはエルフの里の中でも、精霊との対話を1番得意としています」


 当たり前のようにティファニアが口にする。


「精霊と会話? そんなこと可能なのか!?」

「もちろんです。……ああ、人間は精霊のこと見えないですもんね」


 ティファニアが納得したようにうなずいた。エルフにとってはそれが当たり前らしいが、俺としては初耳だった。


(人に常識外れだの何だの言っておいて、もっと、とんでもない人が身近にいるんじゃないか!)


 精霊という生命体は、実在していたのか。どうやって生きているのか。なぜ話せるのか――興味は尽きない。

 だが、いま気にするべきはそこではなく、アンネが口にした内容である。



「結界が破壊って。そんな凶悪なモンスターが現れたのか?」


 たしかに結界の強度が、あまりに怪しい場所はあった。それでも特にやばい場所には、結界について理解している者が守りについており、対処は可能なはずだった。

 そうでない場所も、一ヶ月ぐらいは持ちこたえるはずだ。その間にどうにか新たな結界師を雇えれば良い――そんなことを考えていたのだが、



「それが、結界の爆破は内側からなんです」

「そ、そんなバカな……」


 俺の思惑は、ぶち壊されることとなる。


「なんでも王族の馬車に乗る方が祈りを捧げた瞬間、結界に光の筋が差し――爆発したと……」

「なに考えてるんだ――!?」


 口をあんぐりあけるしかなかった。よりにもよって光の魔力を注ぎ込んだというのか。


 何が起きたのかは――残念ながら察しがついた。……ついてしまった。

 エリーゼが「そんなの簡単ね!」とか言いながら、調子にのって魔力を捧げようとする姿まで、想像できた。


 思わず脱力する。何故、そんな愚かな行動に踏み切ったのか。わけが分からなかった。


(まじかよ。そんな事態は想像もしなかったぞ? どうすれば良かったんだ……)


 国を守護する結界は、すでに限界だったのだ。守る内側に攻撃者が存在するなどと、仮定して対応するだけの余裕は無かった。



「師匠はなにも悪くありません。自業自得ですよ。悪いのは全部、あの女です」


 俺の表情を読んだのだろう。アリーシャは、そう吐き捨てた。


(ほんとうに、なんてことをしてくれたんだ……)


 これまで何度もしてきた忠告は、決して実ることなかったのだ。あろうことか自らの手で結界をぶち壊す。

 その結果、これから何が起こるのか――そんなことは、火を見るより明らかだった。




「エリーゼ王女、同じ王族とは思いたくもない――ほんとうに、最後まで愚かな方でしたね」


 ――自分のせいで滅びゆく国の中で

 ――いったい最期に何を思うんでしょうね


 ティファニアは淡々と呟く。

 考えるだけで恐ろしいと、悲しそうに首を横に振りながら。自らの立場と重ね合わせて考えてしまったのだろう。この少女ならそんな過ちは、絶対におかさないだろうけれど。




 突然、知ることになった王国の危機。


(俺はもう、王国とは関係がない)


 ただのフリーの結界師に過ぎないのだ。だからそれを聞いたところで、もう王国を守る義理はない。



――だとしても


「アリーシャ、準備しろ。すぐに出発する」


 このバカけた騒動に巻き込まれたのは、王国に暮らす国民なのだ。知っていて見捨てることなど出来なかった。



「師匠、まさか戻るつもりなのですか?」


 アリーシャは信じられないというように、驚きに目を見開いた。


「ああ、それが――結界師として、あるべき姿だろう? ……このまま放っておくことなんて、出来ないさ」


 深く考えてのことではない。自然と口をついて出た言葉だった。


 王国のことは嫌いだった。常日頃から発言を軽んじられ、最後にはクビを言い渡された場所――憎む気持ちも強かった。


(それでも――)


 父のように立派な結界師となるべく、努力してきた日々を思い出す。感情のままに国が滅びるのを見て見ぬフリをするのは、あまりに後味が悪かった。今後、胸を張って生きられないだろう。




「これまであの国の人たちが、師匠をどう扱ってきたか!」


 アリーシャは、納得が出来ないというように叫ぶ。


「国に残っているのは、師匠の忠告を無視し続けてきた――バカにしてきた人ばかりです」

「アリーシャ……」


 アリーシャは、いつになく饒舌だった。これまでの王国への不満を、すべてぶちまけるように。


「今回のことだって! あの女が師匠の忠告を、何も耳にいれなかったのが原因じゃないですか。その尻拭いを、何で師匠がしないといけないんですか!?」



 アリーシャだけではない。

 さらには――


「旦那さま、行ってしまうのですか?」


 ティファニアが、捨て犬のような表情でこちらを見ていた。ちょっとしたモンスターに、怯える日々に逆もどりするのかと。

 その瞳からは、隠しきれない不安が覗いていた。


「もちろん対策は万全にして行く。すべてが終わったら、エルフの里に帰ってくる。俺は、エルフの里の結界師だからな!」


 安心させるようにそう言うも、


「なら! ずっと、ここにいて下さい……」


 消え入るような声で、ティファニアは言った。

 縋るような目で見つめられ――俺はもう否とは言えなかった。

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