41. これが師匠が受け取るべきだった、当然の権利なんです

「師匠。――私、これからずるい言い方をしますね?」


 迷うように言葉を止めた俺に、アリーシャは言葉を続けた。



「結界師の立場を守ることを考えるなら、師匠は国に戻るべきではありません」

「俺の行動と結界師の立場に、何の関係があるんだ?」


 首を傾げる俺に、アリーシャは淡々と説く。


「師匠がここで国に戻ったら……。いらないとクビにしても、いざとなったら呼び戻せば良い――結界師という存在が、そんな都合の良い存在に成り下がってしまいます」


「さすがにそれは、考え過ぎじゃないか? 呼び戻す必要がある時点で、普通なら手放そうとしないだろう……」


 アリーシャは小さく首を振った。


「師匠、それは結界師の大切さを知ってる人の発想です。たとえばエリーゼ王女が、さっきの話を聞いたら……」

「……結界師をクビにしても問題なかった。そう思い込むだけかもしれないな」


 うちの国の王族を基準にするのは、間違ってる気もするけどな。あれは例外だと思いたい。


 それでも、立場が違えば同じ物事を見たときの捉え方は違う。人は自らの信じたい情報しか、視界に入れないことも多い生き物だ。納得できる意見ではあった。それでも保身を優先するような考え方は、どうにもアリーシャらしくなかった。

 ……結局のところは、



「アリーシャは、どうしても俺に王国に戻ってほしくない――そうなんだな?」


 理路整然と話していたアリーシャだったが、その言葉の裏には隠し切れない感情が覗いていた。己の敬愛する者を認めなかった国など滅べば良い――そんなどす黒い感情。


「はい。いけませんか?」


 アリーシャは否定しなかった。


「師匠を引き止めるために、いろいろ考えたんです。師匠は優しい方ですから、こう言えば考え直してくれるかと思ったんです――簡単に見抜かれてしまいましたけどね」

「立場を守るために国を見捨てろなんて、アリーシャらしくないと思ったからな。――どうして、そこまで意固地になる?」



 アリーシャの言葉に力がこもった。


「師匠は世界一の結界師です! 世界の常識を塗り替えて、間違いなくこれから歴史に名を残すことになります! あんな国に捕らわれていて良い人ではないんですよ!」

「……アリーシャは、やっぱり俺を過大評価している」


「……王国での扱いがおかしかっただけです。身勝手な願いなことは分かってます。その力が正しく評価される場所で、もっと華々しく活躍して欲しい――弟子がそう願うのは、おかしいですか?」


 結局のところ、愛弟子の願いはそれだけなのだ。ここで王国に戻ってしまえば、いつの間にか元通りの生活――それを恐れているのだろう。


(それは、さすがに不要な心配だけどな)


 王国で結界師として働くつもりは、さらさらなかった。さすがにそこまでお人よしではない。




「……おかしくなんてないさ。ありがとな」


(王国での俺の扱いを見て、弟子がどんな思いをしてきたのか)


 少し考えてみれば、当たり前のことだ。俺は思わずアリーシャの頭に手を伸ばし、そっと撫でていた。アリーシャは驚いたように、俺のことを見上げた。


(もし逆の立場なら……)


 大切な弟子が、能力を正しく評価されないろくでもない場所に戻る、などと言い出したら。――何がなんでも止めるだろう。


 王国での待遇に甘んじていたことは、俺の怠慢だったのかもしれない。何を言っても誰からも理解されないと、諦めきっていたのだろう。それが当たり前になってしまっていた。 

 それも今更どうしようもない――これからの事を考えるべきだ。




 エルフの里で開かれている結界術の講座の場。

 この場に集まった人の顔を改めて見た。


 不安を隠そうともしないティファニアの表情。

 嫌われることすら覚悟して、自らの望みを率直に伝えてきたアリーシャ。

 届けた知らせが原因で、言い争いが発生してしまったことにオロオロするアンネ。

 新たな結界術を貪欲に学ぼうとする講座を真剣な顔で聞いている者たち。

 ――ここに集まったエルフたちは、誰もが親切だった。


 守護神などと大げさな呼び方には、いまだに慣れない。それでも、本心から結界術のことを評価してくれているのだろう。

 打算もあるのかもしれない。それでもエルフの里に来てからの生活は、本当に幸せだった。俺がエルフの里の幸せを願うのと同じように、この人たちも俺の幸せを願っているのだろう。




 戻ろうとしていたのは空虚な倫理観に過ぎないのかもしれない。顔も知らない人たち――それも俺のことを蔑ろにしてきた者たちのため。

 そんなものより、こうして集まった人々の気持ちを大切にしたい。


「俺にとって、何より大切なのはこの場所――エルフの里だ。どこにも行かないさ。ずっとここに居る」


 だから、俺はそう言い切った。




「ありがとうございます、守護神さま!」

「こうして安心して暮らせるのも、すべて守護神さまのおかげです!」

「あなた様がいらっしゃってから、本当に世界が変わりました!」


 反応は劇的だった。 

 感極まったように泣き出す者までいた。

 ここまで感謝されることは――やはりくすぐったい。王国での感覚が抜けきらないのだ。



(これが師匠が受け取るべきだった、当然の権利なんですよ?)


 アリーシャはそう語りかけるように、こちらに誇らしげな視線を向ける。

 一方のティファニアは――どこか気まずそうに。口々に賞賛を叫ぶエルフたちと、何故か距離を取るように。複雑そうな表情で、こちらの様子を眺めているのだった。

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