第十七章 風
ノエイルは一部始終を、鞍上から凝視していた。ルクンが騎馬隊と何を話していたのかは分からない。
だが、ルクンが虜囚のようにして彼らに連れていかれるのは自分のためだ、ということだけは、痛いほど分かった。
ルクンがいってしまう。
次に会えるのはいつだろう。いや、そんなことを考えている場合ではない。もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。
いてもたってもいられなくなって、気づくとノエイルはリュヌドゥに声をかけていた。
「リュヌドゥ、ルクンのところまで走って」
リュヌドゥは動かなかった。
「いって!」
そんな風に、リュヌドゥに怒鳴ったのは久しぶりだった。リュヌドゥはびくりとしてノエイルのほうを振り向いた。
「お願い、リュヌドゥ。あなたやルクンの気持ちは分かる。でも、わたしは……わたしは、ルクンと一緒に故郷にいきたいの……」
その願いが、どれだけルクンの想いを踏みにじってしまうか、ノエイルは知っていた。知っていてなお、願わずにはいられなかった。
「お願い……」
リュヌドゥは何度も地面に蹄を打ちつけ逡巡していたが、やがて鋭く
手綱を握る手と両足に力を込め、ノエイルは姿勢を低める。夕闇を渡る冷たい風が、容赦なく身を掠めていった。その風をも切り裂きながら、ノエイルを乗せたリュヌドゥはあっという間に騎馬隊の最後尾に食らいつく。
何事か、と
驚きと混乱の声が上がり、現状を把握した幾人かが、武器を構える。
「殺すな! 生け捕りにしろ!」
号令が飛び、騎馬隊はノエイルとリュヌドゥを取り囲もうとする。声と手綱で素早くリュヌドゥに意思を伝え、ノエイルは迫りくる騎馬の間を一陣の風のようにすり抜ける。
ルクンの姿が見えた。
「止まれ! この男がどうな──」
ルクンの隣にいた男が怒号を上げた。が、鈍色の光が一閃すると、恫喝はすぐに悲鳴に変わる。同時に、黒鹿毛の馬に跨る紺色の影が、ノエイルの前に躍り出た。ノエイルは弾かれたように顔を上げる。
「ルクン……!」
「さ、早く!」
ルクンに促され、ノエイルはともに駆け出した。迫りくる人馬を縫うようにして、騎馬隊から逃れゆく。虜囚の緊張から解き放たれたツァク・ラックは、さっきよりもよく走った。逃げ遅れるのは、もうこりごりだと思ったのかもしれない。
駆けながら、ノエイルはちら、と、やや後ろを走るルクンの顔を見た。敵陣から抜け出せたというのに、ルクンは唇を固く結び、眉を寄せ、難しい表情をしている。
無理もない。ルクンはノエイルを無事に故郷へ帰すために、進んで犠牲になってくれたのだ。だが、ノエイルはルクンを逃がすために、危険を冒した。
ノエイルは胸のざわつきを抱えたまま、赤く染まった地平線に視線を戻した。
ノエイルたちを追ってくる騎馬隊の馬蹄の音に、ひゅん、ひゅん、という音が混じる。後ろから、矢が放たれたのだ。
最初はノエイルたちではなく、乗馬を狙うように射られていた矢は、ノエイルたちが順調に距離を離していくにつれ、雨のように空から乱れ飛んできた。その中の一条が、見えない糸に引かれるように凄まじい勢いで飛んでくることに、ノエイルたちは気づかなかった。
次の瞬間、ノエイルは背に激しい痛みを感じ、リュヌドゥの
「ノエイル!」
ルクンの叫び声が遠く聞こえる。
(……わたしは、大丈夫)
ノエイルは応えようとした。けれど、息が苦しくて、その声は喉に引っかかり、唇の外に出ていかなかった。
リュヌドゥが心配して、鳴き声で必死に呼びかけてくる。ノエイルは力の入らない手でリュヌドゥの首を撫で、そのまま走って、と伝えた。
何としても、振り落とされずに逃げ切る必要がある。リュヌドゥなら、やってくれるだろう。
(ルクンと、一緒に、帰る……)
ノエイルはただその想いだけを頼りに、激痛に耐え、リュヌドゥの背に揺られていた。
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