第二十六章 氏族長との対面
ノエイルは、洞窟内でも特に広い
夜光蝶の光で仄明るい穴の中心で、一人の男が静かに座していた。
「あちらが、デュランの氏族長だ」
隣を歩くルクンが囁いた。ジャハーンとセレンには、別の穴で待ってもらっている。ジャハーンが自ら申し出たことだが、おそらく、事前にヌフがそう言い渡していたのだろう。人払いのためということもあるだろうし、ノエイルへの敵意がないことを、証明するためでもあるのだろう。
「お待たせ致しました。初めてお目にかかります。わたくしが、マーウィル部族がひとつ、ミル・シャーン氏族の先の族長フェルハトの娘、ノエイルでございます」
ノエイルは片足で
ヌフの視線を感じながら、ノエイルは顔を上げる。ヌフはしばらくの間、ノエイルを凝視していたが、やがて我に返ったように頷いた。
「わたしがキルメジェト部族がひとつ、デュラン氏族の族長ヌフだ。そなたも、楽に座るとよい──それにしても、見事な作法だ。フェルハト殿とアイスン殿は、そなたを甘やかすことなく、躾けられたのだな」
座り直したあとで、ノエイルは訊いた。
「わたくしの父母を、ご存じでいらっしゃいますか」
「十二年前に、一度だけな。放牧地を巡って、デュランの氏族民と、ミル・シャーンの氏族民とが揉めたことがあった。フェルハト殿は最後まで公正な態度を崩されずに、調停に当たられていた」
「さようでございますか……天にいる父が聞けば、きっと喜びます」
生前、父は氏族の内外にかかわらず、武勇を振るうことよりも、穏和な解決策を好んでいた。筋は通すが、優しかった父のことを思い出し、ノエイルの目頭は熱くなった。
「そなたたちに、これを返そう」
ヌフは傍らに置かれたいくつかの大きな袋と、バヤードの鞍を、ノエイルの前に差し出した。ノエイルは目礼をすると、自分のものだった袋の口を開けた。母から贈られた平織の、懐かしい色合いを目にした途端、こらえきれず、ノエイルの目から涙がこぼれた。
「……ありがとうございます……もう二度と、見ることは叶わぬと思っておりました」
ノエイルは深く頭を下げた。涙を袖口で拭いながら、ノエイルが顔を上げると、ヌフは決まりが悪そうな表情をしていた。
「……そなたは、本当にフェルハト殿の娘御なのだな。直接会うまでは、正直、半信半疑だったが……申し訳の立たぬことをした……」
ノエイルはヌフにほほえんでみせたあとで、後ろに
「詳しい話はルクンから聞いております。……何でも、あなた方の
「そうだ。しかし、そなた──」
「はい」
ヌフは呟くように言った。
「似ている……」
ノエイルは顔を強ばらせたが、何とか質問を紡ぎ出す。
「……何でも、わたくしが、その化け物とおぼしき娘と、似ているとか」
「そうだ。雰囲気は違うが、例えるなら姉妹のようだ」
ノエイルは覚悟を決めて、微笑した。
「……おそらく、その娘は、わたくしの実の姉でしょう──もっとも、わたくしには、姉に会った記憶はございませんが……」
「そなたも、そう思っていたのか」
ヌフは目をみはり、口早に言った。
「そなたについて、ジャハーンとセレンから話を聞いた時、セレンが言っていたのだ。そなたにはミル・シャーンにくるまでの記憶がなく、どこか他の子供たちとは違っていた。そなたとあの娘は、もしかしたら姉妹なのかもしれぬ……とな」
(セレンは、気づいていた……)
ノエイルの心は少なからず揺れたが、すぐにおさまった。セレンは、ノエイルが他の子供たちと水浴びをしたことがないという過去を知っている。ならば、そういった推測ができてもおかしくないだろう、と冷静に思えたのだ。
「そなたは、生まれ故郷を捜しているのか……?」
ヌフの問いに、「はい」とノエイルは答えた。ノエイルが水神であることは伏せて、ルクンがジャハーンにそう説明したことは、あらかじめ聞いている。
「ならば、無理を承知でそなたに頼みたいことがある。あの娘──アンディーンが、そなたの姉であるならば、故郷で彼女に会えるやもしれぬ。その時は息子の死の真相を聞き出してはもらえまいか。……そもそも、わたしにはこのようなことを頼む権利はない。だが、わたしはどうしても知りたいのだ。何故、マンスールが死なねばならなかったのか──」
絞り出すように、ヌフは言った。今の彼は、デュランの氏族長ではなく、子を失った悲しみに耐える一人の父親に見えた。
不意に、ノエイルはつい先刻に見たばかりのルクンの横顔を思い出した。理不尽に父親を奪われた悲哀と怒りを内側に秘めた、彼の表情を……。
ヌフには全てを話しておくべきだ、と、ノエイルは思った。ルクンが自分のもとに遣わされた理由も、自分の素性も、分かっていることは全て。だが、ハサーラや【水の院】に関することを話すには、ルクンの許可が必要だろう。ノエイルはルクンを仰ぎ見た。
「ルクン、氏族長に詳しい事情をお話ししてもいいかしら。ハサーラのことは、あなたが説明したほうがいいわよね?」
ルクンはほほえんだ。
「俺には気兼ねせず、ノエイルの好きに話してくれ。補足することがあれば、口を出させてもらうかもしれないが」
ルクンは自分を信頼してくれている……。この時のルクンの言葉が、ノエイルには酷く嬉しかった。
長い話を終えると、さすがに疲労を感じ、ノエイルは息をついた。それは聞き手に回っていたヌフも同じだったようだ。彼は天井を眺め、深く息を吸い、吐いた。
ノエイルは恐る恐る、ヌフに尋ねる。
「……わたくしの話を信じていただけましたか?」
ヌフは苦笑した。
「信じないわけにはいかぬだろう。現にわたしは、息子の死後に──あの泉で、不思議な目にあった」
「それは、どのような……?」
「あの娘が出てくるかもしれぬと思い、一人で泉のほとりに近づいた時のことだ。突然、森の奥から素晴らしい体躯の馬が現れ、『ここには近づくな』と、はっきりと人の言葉で──しかも、頭に直接響くような声で──威嚇してきたのだ。……さすがのわたしも恐ろしくなり、それ以来、泉の傍には近づいていない」
「その馬はきっと、姉のラグ・ソン──わたくしの兄の一人なのだと思います」
これではっきりした。ノエイルに似たアンディーンという娘は、ラグ・メルに違いない。
「氏族長、もし差し支えなければ、わたくしたちをその泉まで、案内していただけますか。わたくしがいけば、彼はきっと違う反応を示すと思うのです。いけば、ご子息に関する話が聞けるやもしれません……」
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