第二十五章 巡り会い

「バヤードとまた会うことができたのは、あなた方のお陰だ。本当にありがとう」


 洞窟へと帰る道すがら、ルクンは喜びに溢れた笑顔で何度もそう繰り返した。ルクンのそんな顔を見たのは初めてだったので、ノエイルは嬉しさと恥ずかしさが入り交じったような気持ちになる。


「いいえ、リュヌドゥはともかく、わたしは何もしていないわ。きっと、天の神々が、あなたたちがお互いを想う気持ちを汲んで下さったのよ。ルクンとバヤードも、まるで兄弟みたいね。わたしとリュヌドゥみたいに……」


 ルクンは痛んだバヤードの口綱を丁寧に引きながら、ほほえんだ。


「兄弟、か。確かに、バヤードは父の形見のようなものだからな……」


「え……じゃあ、ルクンの父君は……」


 家族の話をルクンから聞いた記憶が、ノエイルにはない。ルクンは心持ち、視線を落とした。


「俺が十一の時に亡くなった……同行していた隊商が、砂漠で盗賊に襲われたんだ」


(だから、ルクンはあれほど盗賊を……)


 胸をかれたノエイルは、何も言えずにルクンの横顔を見つめた。

 ノエイルは思い出した。ルクンと初めて出会った日、彼が怒りを込めて盗賊たちを恫喝したことを。


 ノエイルも養父を亡くしているが、家族を病で亡くすのと、仇がいるような惨い形で亡くすのとでは、残された者の受けとめ方も、ずいぶん違うのだろう──そう思うと、余計に言葉が見つからなかった。


「その時、父が乗っていた駱駝は、何とか無事だった。生き残った隊商に気のいい人がいて、父の遺品と駱駝を、家まで届けてくれた。……バヤードは、その駱駝が五年前に産んだ仔だ。多分、最後の仔になるだろう、と書かれた祖母からの手紙を読んだら、どうしても俺が育ててみたくなってな。無理を言って、乳離れしたこいつを引き取ったんだ」


 語りながらルクンは、バヤードを優しい目で見上げた。

 ルクンへの申し訳なさと、いとおしさで、ノエイルの胸は切なく痛んだ。それほど大切に思っているバヤードを、ルクンはノエイルを逃がすために、野に放たねばならなかったのだ。


 ノエイルは今の表情をルクンに気取られないように、俯きがちにリュヌドゥを歩かせた。感謝の気持ちをルクンに伝えたいと思ったが、今は言えないような気がした。


「さ、バヤード。あれが、今の俺たちの隠れ家だ」


 ようやく見えてきた洞窟の穴を、ルクンが指し示した。だが、洞窟の近くまで歩いてきたところで、ルクンはさっと表情を改める。ノエイルはとっさに小声で訊いた。


「誰か、いるの?」


「ああ、洞窟の中から、人馬の気配がする……」


 ルクンはノエイルの前に出ると、ツァク・ラックから降りた。バヤードの口綱をノエイルに委ねると、足音と気配を殺し、洞窟内に入っていく。

 ノエイルは不安でたまらなかったが、自分がいったところで、かえって足手まといになるということが分かっていたので、ぐっとこらえた。


 長い時が流れたような気がしたが、実際はそれほどたっていなかったのかもしれない。しばらくすると、ルクンが人影を連れて洞窟から現れた。

 懐かしい顔ぶれを見つけ、ノエイルは顔を輝かせた。


「セレン! それに、ジャハーンも……」


 ノエイルはリュヌドゥから降りると、セレンたちの元に駆け寄る。セレンが身重だということは、ルクンから聞いてはいたが、実際に見てみると、何だか不思議な気がした。大きなお腹をしたセレンの輪郭は、優しく丸みを帯び、笑うと若い母親の顔になる。


「久しぶりね、ノエイル! ここにやってきたはいいけれど、あなたたちが留守だったから、待たせてもらっていたの。ごめんなさいね、驚いたでしょう」


「ううん、会えて嬉しいわ。もう一年ぶりだものね」


 ノエイルが声を弾ませると、セレンは安心したように大きな目を細めた。


「よかった……怪我をしたって聞いていたから、心配していたけれど、思ったより元気そうね。もう、動いて大丈夫なの?」


 怪我が人より早く治ったことを悟られないように、ノエイルは何ともないふりをした。


「うん、そんなに大した怪我じゃなかったから。セレンこそ、こんなところまできて大丈夫? 早産しかかったって聞いたわ」


「大丈夫よ。マーウィルの子は、母親のお腹の中でも馬に乗って育つんだって、よく言われたじゃない」


 晴れやかなセレンの笑顔を見て、ノエイルは安心した。お腹が大きくなったこと以外、セレンはミル・シャーンにいた頃と、何ひとつ変わっていない。

 もっと色々な話がしたくなり、ノエイルが口を開きかけると、セレンの横に立っていたジャハーンが、真剣な面持ちで口を挟んだ。


「ノエイル、積もる話もあるだろうが、もう一人、君に会いたいという人を、奥で待たせてるんだ。ルクンからは、ノエイルが承知すれば会わせても差し障りはないだろう、と言われてる。もちろん、ルクンも同席する。……それでいいんだよな?」


 ノエイルの脇にたたずむルクンに、ジャハーンは同意を求めた。ルクンは頷いたが、ノエイルを気遣わしげに一瞥いちべつする。ノエイルに面会を求めているのは、ルクンが会わせるのをためらうような相手だということだ。

 だが、本当に会わせたくない相手ならば、ルクンはジャハーンに頼まれたところで、首を縦に振らなかっただろう。


「相手は、誰なの?」


 ノエイルが問うと、ジャハーンは答えた。


「俺の伯父──デュランの氏族長、ヌフだ」


 ノエイルは驚いて、ジャハーンの目を見返した。


「でも、あなたの伯父君は、わたしを……」


「冬営地に持ち帰った君の荷物を見て、伯父は誤解に気づいたんだ。俺とセレンでノエイルの素性を話したら、是非、君に会ってみたいと言い出した。……危険な目に遭わせておいて、何を言ってる、と思うかもしれないが、俺からも頼む。どうか、伯父に会ってやって欲しい。伯父に、従兄の死の区切りを、つけさせてやってくれ」


 深く頭を下げるジャハーンに、ノエイルは心を揺さぶられた。それに、もし、ヌフの長男の死にノエイルの姉妹がかかわっているとすれば、ノエイルも無関係というわけにはいかないだろう。ノエイルは言った。


「ジャハーン、顔を上げて。分かったわ。わたし、氏族長に会ってみます」


「ありがたい。よろしく頼むよ」


 ジャハーンは、そう言って微笑した。

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