第八章 ジェラールの助言

 その夜から、ルクンはミル・シャーン氏族の正式な客人となった。


 初め、ノエイルとアイスンは、彼を自分たちの天幕エッルに泊めるつもりでいたのだが、その申し出は、女人に慣れていないルクンにとって、とんでもないことだったらしい。

 必死で辞退するルクンを見て、さすがのアイスンも考え直したらしく、ひとまず彼は、男三人、女三人のルトフィーたちの天幕に泊まることになった。


 ただ、せめて食事の世話だけでもさせて欲しい、というアイスンの希望により、昼餉ひるげ夕餉ゆうげの折、ルクンはノエイルたちの天幕に立ち寄る、という約束をした。


 彼が勤勉な若者だということは、すぐに分かった。日の出とともに起きる牧者よりも早く寝具を畳み、服装を整えると、すぐにバーブル長老の天幕へ向かう。

 ジェラールたち患者の施療や祈祷の手伝いをし、バーブルの教えを授かるためだという。ハサーラで神官の修行を積んだルクンの知識は役立つことも多いようで、バーブルは「わしが働かなくてすんで、助かるわい」と満足げだ。


 それだけではなく、男手が必要な時、ルクンはノエイルたち一家の手伝いを買って出てくれる。ジェラールが不在の一家にとって、それは、とてもありがたい心遣いだった。

 ルクンの身元は、バーブルが保証してくれているし、彼が施療をしてくれたジェラールは意識を取り戻し、確実に回復に向かっていた。


 ノエイルたちは、自然とルクンを信頼するようになった。特にジェラールは男同士で気が合うのか、すっかり彼と打ち解けていた。


(でも、あの人は、何かを隠しているような気がする……)


 時折ちらっと浮かぶノエイルの考えを裏づけるかのようなことは、たびたびあった。ルクンは次の氏族長であるジェラールとは、気安く言葉を交わすようになったのに、ノエイルに対しては今でも、不思議なくらい、慇懃いんぎんに振る舞うのだ。


 初めは、女人と距離を置く、ハサーラの習慣がそうさせるのだろう、と思っていたのだが、どうやら違うらしい。それを証拠に、ルクンは母のことを「アイスン殿」と呼ぶことはあっても、ノエイルのことを名前で呼ぶことがないのだ。

 だから、ノエイルも何となく気詰まりがして、ルクンの名を、未だに呼ぶことができなかった。ルクンのいないところで、彼の話題が出ても、ノエイルはその名を口に出すことを、ついためらってしまう。


 決して、彼のことが嫌いなわけではないのに……。


 ノエイルが、胸のうちにもやのようなものを抱えている間にも日は過ぎていき、ルクンがミル・シャーンを訪れてから、十回以上、陽が昇った。


   ***


 最近の母上は変だ、とノエイルは思う。普段なら、見ていて気持ちいいほどにてきぱきと家事や裁縫をこなすのに、手を休め、物思いに耽ることが多くなった。


 全ては、あの日からだ。


 ノエイルとスレイマンが山羊たちの放牧を終えて帰宅すると、アイスンがルクンやバーブルと炉を囲み、真剣な顔で何事かを話し合っていた。その後、バーブルはすぐに自宅へと帰ったが、残されたアイスンとルクンの間には緊張が漂ったままで、今でもぎくしゃくとした関係が続いている。


 一体、三人は何を話し合っていたのだろう。


 ルクンに尋ねても、教えてもらえないような気がしたし、アイスンに訊くのも、ためらわれた。かといって、自分一人で考え込んでしまうと、疑問と不安は際限なく膨れ上がってしまう。


 悩んだ末にノエイルは、見舞いもかねて、ジェラールに相談することにした。山羊の放牧を途中で抜けても、リュヌドゥの足なら、見舞いを終えたあとで、再び放牧地に戻ることもたやすい。


 若さも手伝ってか、ジェラールの回復は早く、既にバーブルの天幕から施療用の天幕へと移動していた。ルクンに手傷を負わされた盗賊たちは、足を痛めた者も含め、何とか動き回れるようになっていたから、今この天幕にはジェラール一人しかいなかった。


「ノエイルか。よくきたな」


 ノエイルとアイスンは、一日ずつ交代で見舞いにきている。今日はアイスンが見舞い当番の日で、既に帰宅したあとだった。だが、ノエイルの突然の訪問にも、ジェラールはあまり驚いた様子を見せない。寝具から身を起こすと、すぐに席を勧めてくれた。


 見舞いにいくたびに聞いていることだが、早く馬に乗って牧者の仕事に戻りたい、とジェラールはしっかりとした口調で話し始めた。相槌を打ちながら、ノエイルは相談を持ちかける頃合いを見計う。


 いったん、話が途切れたのを幸いに、ノエイルは切り出した。


「ねえ、ジェラール。実は最近、気になっていることがあるんだけれど……」


 ノエイルの話を、ジェラールは頷きながら聞いていたが、ふと、呟くように言った。


「……ノエイル。お前、ちゃんとルクンと話をしてるか?」


 出し抜けに、ジェラールの口から彼の名前が出たので、ノエイルはどきりとした。


「するわよ、話くらい。食事は一緒に取っているって、ジェラールも聞いているでしょ」


 ノエイルの口調は、思いのほか、つっけんどんになってしまった。


「それならいいが……」


 苦笑したジェラールが、ふと真顔になる。


「お前、ルクンのことを、どう思ってる?」


「どう……って?」


「たとえば、話しやすい、とか、一緒にいると気詰まりだ、とか、信頼できそうだ、とか……色々さ」


 ノエイルは、思わず黙り込んだ。ルクンのことを信頼していないわけではないが、家族やバーブル長老ほど信用できるか、と問われたら、今は首を横に振るしかない。

 同じ場所にいると落ち着くような気もするし、その反対の時もある。気が合うと思えるほど、話が弾むわけでもない。


 だが時折、彼を見ていると、ぐっと魂が引き寄せられてしまうような、不思議な感覚に陥ることがある。


 何故か気にかかる人。


 それが、ノエイルのルクンに対する、偽りのない本心だ。

 しかし、そう答えてしまうと、妙な誤解を招いてしまうような気がして、ノエイルは困惑した。そもそも、自分は質問を受けるためではなく、ジェラールに助言をもらうためにやってきたというのに……。


 ジェラールは、しげしげとノエイルの様子を見ていたが、やがて、眉尻を下げてほほえんだ。


「すまなかったな。変なことを言って。……ただな、ノエイル。些細なことでも、おかしいと思ったら、まずは本人に訊いてみるべきなんじゃないか。お前なら、相手を不愉快にさせずに、それとなく訊いてみることもできるだろ?」


「それは……そうかもしれないけど……一体、誰に訊けばいいの?」


「ルクンだろう」


 ジェラールは即座に答えた。だからジェラールは、ルクンをどう思っているのか、と訊いてきたのだ。ノエイルは、焦って勘違いをしていた自分が、恥ずかしくなった。


 ジェラールは言葉を継いだ。


「もちろん、お前がどうしても無理だと言うのなら、俺が間に入ってやる。だけど俺は、まずお前から動くべきだと思う。……そのほうが、ルクンも助かるんじゃないかな」


 ノエイルははっとした。ジェラールは、自分より遙かに詳しくルクンのことを知っている。そんな気がした。


「ありがとう、ジェラール。あなたに相談してよかった。……やっぱり、ジェラールは父上の子ね。だんだん、父上に似てきたみたい。さっきの諭し方とか、そっくりだった」


 ノエイルは素直な感謝の気持ちを言葉にしたのだが、ジェラールは違う感想を持ったらしい。普段は優しい表情が、少し厳しいものになる。


「ノエイル、お前も父上の子だ。父上と母上の娘で、俺の妹だ」


 ノエイルは、ほほえもうとした。ジェラールがそう言ってくれたのが、嬉しくもあり、同時に切なくもあった。


「……わたし、近いうちに、あの人と話をしてみるわ。今日はありがとう」

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