第41話 曽田

 目を覚ますと、病院だった。

 よくドラマのシーンで目を開けると、真っ白い天井という画があるが、本当にこんな感じなんだなあと思った。


「めぶ!」

 声のした方に顔をやると、曽田だった。

「1年ぶりだね。」

 私が笑いかけたのに、曽田はそれに答えずに、涙を浮かべて言った。

「お前何してんねん!!ほんま心配したんやぞ。」


 「ごめん」と返すと、「車が早めに気づいてたから、軽い脳震盪で済んだらしい。けど、持ってたコーヒーが顔にかかって結構なやけどになっとるみたいやわ。」と言った。


「一応、親御さんに電話しときや。」と言われ、何度か「いいよ」と抵抗したが、結局半強制的に電話を掛けることになった。


 電話に出た母に、事故に遭って、軽いけがをしたことを伝えた。母はかなり心配して、大丈夫?そっちに行こうか?と言ってくれた。けれどそんなに大きなけがではないし、今から来たとしても半日以上はかかるので、大丈夫だと言った。

 母は切り際に「本当に、めぶが生きててよかった。」と噛みしめるように言った。


 私が電話を切っても曽田はしばらく黙っていて、組んだ自分の指を見つめていた。そういえば、顔がヒリヒリする。コーヒーがかかったと言っていたが、跡は残るのだろうか、私はまた私を好きになれるのだろうか。自分を好きになることはすぐそばにあって、すぐそばで、私をがんじがらめにしていることにはもう気づいていた。


「めぶ、車来てるの分かってたやろ。」

 曽田は意を決したように私を見つめて言った。


 私は何も言えなかった。あのとき、私に手を振る曽田が見えて、その横に車が見えた。死にたい、と思ったわけではない。ただ、どうでもよかった。むしろ、空を渡れるような、そんななんでもできるような気持ちだった。私はどうなりたかったのか、考えて少し手が震えた。


「お前は何をがんばってんねん。」

 曽田が泣いた。


「絶対に死ぬな。」

 その声は曽田のものとは思えないくらい、弱弱しいものだった。


 でも私は、その曽田の気持ちが分からなかった。


「なんで?」

 ぽかんとした表情の曽田に繰り返す。


「なんでなの?私、今まで1年も曽田に会ってないし、曽田の人生に何の関わりもないじゃん。目の前で死なれるのは嫌だっただけ?それか教育学部の変な道徳思想だったらやめてよね。」

 そう言った私の気持ちは車の前を歩いていた時の気持ちと似ている。


 曽田は、悲しみに怒りを足したような表情でこっちを見た。

「めぶ、俺はお前に会えてよかったって思ってるんやで。」

 

 またそれか。みんな何で同じことばかりを言うんだろう。目の前の曽田の顔に母の顔、藤重の顔が重なった。


「なんで?私は曽田にとって何なの?私のどこが好きなの?それか、何か曽田にメリットになることがある?私は自分の好きなところをいくつ増やしても、全然自分が生きていてもいいって思えないよ。見た目がいいとか、何かができるとか、全部私のが好きだって思えるところは、世界に許してもらうための条件にしか思えない。これから世界に許してもらうためにまだまだがんばって生きていかないといけない。自分を好きになるのは、好きなところが元々いっぱいある、すごい人ができることだよ。」

 世界を食べることをやめても、好きなところを増やしても、やっぱり私は寂しくて、お腹がすいて、生きづらかった。もうどうしようもないと、疲れていた。


「あんな、俺が、お前に会ってよかったって言ってんのは、めぶが何ができるとか、見た目がどうとか関係ないねん。ただ、めぶがこの世界に存在しとる、それだけでええねん。」


「わからない。」


「わからないじゃないねん。みんな生きとるだけでええねん。俺はめぶが俺の人生に少しでも関わってくれたこと、本当にありがたいと思ってる。でももしそうじゃなくても、めぶがどっかで生きとる、それだけが重要や。」


「じゃあ、自分のことどうやって好きになるの?」

 それは何で自分が生きていることを許せるのかということと同義だった。


 曽田は少し黙った。

「俺やって、自分のこと好きかはわからへん。ありのままの自分で周りに関われずに、すぐウケのいいキャラかぶってしまうし、見た目やって結構コンプレックスあるし。けど、俺は俺が存在しとること、認めてんねん。こういうやつが世界におってええか、ていうかおらんとあかんねん。痩せたやつも太ったやつも、動けるやつも体が動かんようになったやつも、美人も不細工も、いいやつもやなやつも…。みんなおらんとあかんねん。」


 曽田は私をまたしっかりと見つめた。

「めぶがどんなやつでも、めぶが生きとることが何よりスペシャルや!」


 曽田は決め台詞のように言ったその言葉のダサさと暖かさに、私はぶっと噴き出して涙が出るほど笑った。その涙は次第に大きな粒になって頬を流れて、いつのまにか私たちはわんわん泣いていた。

 曽田に連絡を受けて駆け付けた南はその状況を見て、「何二人とも泣いてんねん!」と言ってわんわん泣きだした。

 涙は流れて流れて、腹から声が出た。何かと似ていると思ったら、私たちは生まれたばかりの赤ん坊のように間抜けで、弱くて、尊かった。私たちは、この世界に生まれた時もきっと同じ気持ちで泣いてたのかもしれない。

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