第20話 会いたい人

 最後に頼んだソフトクリームは、底の方にわずかに白い液体を残してコーンだけになっていた。ここのソフトクリームは200円という破格だが、味はさっぱりとミルク感があってとてもおいしい。ほとんど1つ食べ終えた直後なのに、もう1つ食べたかった。

 

「少し散歩して帰らない?」

 私はソフトクリームをもう一つ注文する代わりにそういった。

 酒で顔が赤くなっている藤重は、いいですね、と言って、まだ半分以上残っているソフトクリームに顔を戻した。

 

 外に出ると、もう秋がそこまで来ていることを感じた。

「もう秋になるんですね。」藤重は気持ちよさそうにそういった。

 顔が赤くなるだけで酔ってはいないと言い張っているが、けれどやはり少し酔っている様子の藤重と私はそのまま、居酒屋のある通りをまっすぐ歩いて行った。



***



 朝、慌てて家を飛び出したのは自転車を大学に置いてきたことを思い出したからだ。これでは大事な約束の時間に遅れてしまう。そう焦りながらも私は昨日のことを思い出し、つい笑みがこぼれていた。


 昨日はあたりを一周して帰ろうと思ったはずが、ほろ酔い気分と涼しい風に思ったよりも遠くへ来てしまっていた。大学に戻るよりも私の家の方が近かったので、藤重に家の前まで送ってもらったのだった。

 別れ際、藤重は何かを思い出したように背負っていたリュックの口を開け、本を取り出した。

「これ、読んでほしいって言ってた本です。」


 家に帰り、すぐにその本をまじまじと見た。

 表紙には『なりたい自分になるために』とでっかい字で書いてあった。自己啓発本だった。

「うさん臭くない?ダサいんじゃない?」

 私はその声を無視して、表紙をめくった。私はこの頭の中で聞こえる声が吉井さんの声じゃなくて自分の声だということに気づき始めていた。


 目次を見ると、「あなたは何をしたいのか」という大見出しの次に、「1.あなたは誰に会いたいのか」という項目があった。

 そのページに行くと、会いたい人には会いましょう、会いたくない人には会わないでいましょうというような、とても簡単でひどく難しい内容が書いてあった。


 そんな言葉、いつもならふん、と鼻で笑って本を閉じてしまうのに、私の頭には1つ顔が浮かんでしまった。私はきっとまだ秋の風と酒に酔っていて、久しぶりにその番号に電話を掛けてしまった。


「もしもし、どうしたの?」

 少し慌てた相手の声がした。どうしたの、というその言葉を聞いて、あれ、私どうしたんだっけ?と一気に緊張した。どうにもよくわからなくなったが沈黙は耐えられそうになく、次の一声を出した。


「…お、おおまきめぶこのナイトラジオ!」電話の向こうはしーんとしていた。


「…というわけで、毎週金曜日23時から放送しております、通称めぶラジでありますけれども、この放送は大巻芽吹子の自宅から全国どこでも岩崎南さんに放送しております。

 …ええと、今夜はとても涼しい風が吹いていましたね。というわけで、秋になったらやりたいことのテーマでお便りを募集します。みなさんどしどし送ってくださいね。


 えー…さて、それでは今日までに届いていたお便りを紹介します。この前のテーマは悩み相談でしたね。それでは…ペンネーム:先日の鶴 さん

 こんにちは。-こんにちは!

 私は友人とよくカラオケに行くのですが、かなり長時間歌う、かついつも同じメンバーなので、少し飽きてきてしまいました。これからもよりカラオケを楽しむにはどうしたらいいでしょうか?

 …というお便りですね。歌う曲も限られてきますしね。分かります、分かります。そういうときは、何かテーマや縛りを設けてみてはいかがでしょうか?夏っぽい曲やジャニーズ縛り、そういうのを設定してみると、いつもと違った曲にチャレンジできて楽しいかもしれないですね!


 次のお便りはペンネーム:へそで茶は沸かず さん

 こんにちは。-こんにちは。あの、みなさん、今こんばんは、なんですけどね。まあいいでしょう、っと、私は大学生なのですが、お金もないし、時間もなくてなかなか実家に帰ることができません。母には電話口でいつも、次はいつ帰ってこれそう?と聞かれるのですが、しばらくは無理かなと答えるときの母の悲しそうな声にいつも胸が苦しくなります。どうしたらいいのでしょうか?

 

 なるほど、難しいですよね。…私の友人はね、「お母さんももしかしたら今お寿司食べてるかもよ!」って言ったんです。私はそれでかなり救われましたね。あなたの前では寂しそうにするかもしれないけど、向こうは向こうできっと楽しくやってますから。あなたはあなたが幸せになることをまず考えましょう。


 さて、次の方は…ペンネーム:みっちみちのピーマン さんですね。

 私は、今友達とけんかしています。というかもう半年以上口も聞いていません。その子とは前に一緒に住んでいたんですが、私が些細なことに腹を立ててしまって、怒ってしまうことが多くて、一緒に住むことをやめたんです。


 最近私は痩せて、交友関係も増えたけど、あの子と一緒に狭い部屋でホットプレートで焼き肉をして、燻製かってぐらい煙でいぶされたこととか、夕方から翌日の朝までずっとカラオケにいて、より「懐かしいどころか、記憶の奥底に眠ってたわ!」っていう曲を入れた方が勝ちとか自分の葬式で流してほしい曲縛りをしてたこと、お互いお金もないし実家になかなか帰れないけど、一番つらいのは家族に会えないことじゃなくて家族が悲しんでいるっていうことだとかそんなのをずっと話してたことばっかり思い出してるんです。」


 そこまで話すと、「どうしたの?」という、さっきの南の声が頭の中だけでもう一度繰り返された。すると、やはり私はどうしたいんだろうと分からなくなり、私は黙りこんでしまった。これでは放送事故だ。けれどどうしても次の言葉がでなかった。


 机の上に広げてある本の「会いたい人に会いましょう」の文字を見る。


 南に会いたい。

 けれど、友達に戻っても、また私は南のことを傷つけることになるんじゃないか。


 私は南を大切にできるか自信がない。



「ペンネーム:カレー屋の野菜泥棒」


 耳元で南の声が響いた。


「秋になったらしたいこと。私は秋になったら、焼き芋を焼きたいです。最近、アウトドアに興味があって、最近寝袋を買いました。火も起こせるようになりました。焼き肉とは違う方法で燻製も作れるようになりました。段ボールがあれば、お気に入りの服を煙臭くしなくても済みます。最近は、少しだけ掃除もできるようになりました。けれど、やっぱり掃除は苦手です。」


 南が黙った時、私は自分が泣いているのに気づいた。

「私は秋になったら大巻さんと焼き芋を焼きたいです。」

 その声は少し震えていた。



「私も、私は、秋になったら、南といろんなところに、行きたいし、いろんな話をしたいです。南と、焼き芋を、焼きたいです。」

 涙と息継ぎの間に言ったその言葉たちは南に伝わっているか不安だったが、電話の向こうの南は泣きながらうん、うんと相槌を打っていた。


 私たちは明日、会う約束をした。約束をした後も、明日会うというのにいろんな話をした。半年空いた分、話すことは山ほどあったからだ。


「今、好きな人がいるんだ。」

 そう発したのは、もう少しで午前2時になりかけたころで、南が大きなあくびをした後だった。私はそう言ってから、「会いたい人。」と言い直したが、南は半分むにゃむにゃと眠っていた。


 南を起こさないように、静かに通話ボタンを切った。


 それは午前2時という時間がそうさせたのかもしれないし、南と仲直りした後の高揚感からかもしれない。もしかしたらアルコールも少し残っているのかもしれない。きっと明日の朝見たら恥ずかしくて消えたくけれど、今日はとことん「会いたい人には会いましょう」に従おうと思った。


「会いたいので、今度また散歩にいきませんか?」


 私はそう藤重に送った。


 

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