第1話(2) 過食

 玄関を入ってすぐキッチンがあるタイプの1人暮らし用アパートは、帰宅後の動線に都合がいい。


 玄関で靴を脱ぐと、目の前の冷蔵庫の前に向かった。重たい買い物袋からアイスを冷凍庫に入れ、お弁当と餃子引っ張り出し、冷蔵庫の上のレンジに突っ込む。その間に2本もらった割りばしの1本を流し台の下の引き戸に入れると、温まった弁当と餃子、残りの買い物袋を持って部屋に入る。


 私が机の上にずらりと並べた食べ物を前にして、胃はきゅう、と弱弱しい音を立てた。その音は、もう食べ物を入れないで下さい、と痛みと共に私に知らせているのだが、私にもどうしようもできないので申し訳なく思った。


 まずブドウから手をつけるのは、免罪符のようなものだ。野菜からとると太らないというダイエットの定説をこんなメニューで実践しても完全に意味はないのだが、罪悪感を微量でも減らすのには大きな意味がある。


 スマホで動画を再生し、弁当と餃子のパックの蓋を開ける。割りばしでそれらを胃に押し込めていくと、動画の内容もわからなければ何を食べているかもよくわからないけれど、脳には「オイシイ」という電気信号が送られてくるのが分かった。


 それらを平らげると、床に広げておいたレジ袋に空のパックをいれていく。今度は甘いものが食べるのがいいだろうと2個セットで長方形を作っていたショートケーキをそれぞれ2口ずつで食べ、今度はしょっぱいサンドイッチを食べる。甘味と塩味を交互に食べると満腹感を得にくいというのは過食をするようになって得た知識だ。だからそれをしないように、というのがその知識の用法なのかもしれないが、私にとっては満腹感を得ないことの方が都合がいい。


 私が満腹中枢や胃の痛みをごまかしている間にも「オイシイ」「オイシイ」と信号は送られ続け、つかの間のあいだ「ツライ」から逃げられる。

 

 プリンを食べる頃にはしょっぱいものがなくなっているので、無糖の苦いコーヒーをその代わりにして甘味に飽きないように、などと計画を立てていると、ぶわっと、太った女の後ろ姿が頭に浮かんだ。中身が空になったパックを流れ作業のように床のゴミ袋に詰め込んでいく太った女だ。私は慌ててアイスとチョコサンドクッキーを口に詰め込み、その像を消した。


 空のパックたちが入ったゴミ袋の横に寝そべると、耳の穴に水が伝ってきた。「オイシイ」の代わりに「クルシイ」「カナシイ」「キライ」「キエタイ」が絶えず送られてきて、目から涙が伝う。


 でもきっと3時間もすれば私はまた買い物に行ってしまう。「助けて」と呟いたが自分でも誰に言っているかはわからなかった。


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