第28話 「好き」
藤重が「どういうことですか?」と尋ねると、私はこの人にすべてを話さなければいけないような気持ちになった。
「あの、私、本当は太ってるの。」
藤重は困ったような顔をした。今の私の姿を見て、どう答えたらよいのか分からないようだった。きっと藤重は太っているように見えない私が、体型にコンプレックスを抱えていて、「自分のことを太っている」と思い込んでいるのかもしれない、と考えているのかもしれない。
「僕は、めぶさんが太ってるとは思いませんよ。」
藤重は言葉を選ぶようにしてそう言ったが、それは見当外れだった。
「うん、今はそう見えるかもしれないけど、本当は太ってるの。」
藤重は実際はさらに意味がわからず困っているのだろうが、優しく、そうですか、と言った。私はそのまま何事もなかったように歩こうとしたが、次の信号が赤になってしまって、足がとまると、それと同時に話し出した。
「私、つい最近まで、すごく太ってたの。きっと藤重よりもずいぶん重いくらいの体重で、デブのめぶ、とか言われて、太ってることが嫌で嫌でしょうがなかった。けど、どうしても食べるのを止められなくて、もう食べたくないって思っても自分では止められなくて、毎日毎日すごい量の食べ物を買って食べて、太って、自分が嫌になって、また食べての繰り返し。」
青になっても歩きださない私たちを信号待ちしている車が不思議そうに見ている。オレンジにほの暗い中で、緑の点滅だけが際立っていた。
「けど、半年前にダイエットをして、今は普通の人みたいでしょ?でも、いつ、また前みたいに衝動が襲ってきて、食べてしまうんじゃないかと思ってびくびくしてる。君にはどう見えてるか分からないけど、私、きっと藤重の思ってるような人間じゃないと思うよ。」
私はそうして、なんだか藤重に悪い気がして、申し訳ない程度に笑って目をそらすと、信号はまた赤になっていた。藤重は少し前から考え込んだような顔をして黙っている。
ああ、また一人私のせいで離れて行くんだな。出かける前までいっぱいになっていた、胸の中にすぅと風が吹いている。また空っぽになってしまったのかと思ったけど、もしかしたらずっと空っぽなのかもしれない。藤重と分かれたら、コンビニへ行こう。ずっと恐れてたことが頭によぎった。けどこの隙間を埋めないと私は、生きていけない。
次の瞬間、藤重が私の手を引きながら歩き始めた。そして、ぽつりと「めぶさんは、そうやって生きてきたんですね。」と言った。
すると、私の頭の中で一斉に「めぶの生き方は苦しいよ。」「めぶって人生楽しいん?」「被害者ぶって可哀想な私でいるのが好きなんでしょ。」といろんな瞬間の、顔が出てきて、謝った。
「ごめんなさい…、太っていてごめんなさい、明るくなくてごめんなさい、歪んでいてごめんなさい、醜くてごめんなさい…」私は立ち止まりそう繰り返した。この場からいや、世界から消えたかった。
しかし、そんな私をみて藤重は驚いたような顔をした。
「ちがいますよ。僕はめぶさんがそうやって今まで生きてきてくれたんですね、って言ったんです。」
私はこの人がなにを言っているか分からなかったし、藤重の勘違いを、本気で正さないといけないと思った。
だから違うってば!という言葉が夜の街に響いた。
「私はそんなにいい人間じゃない!私、君の想像の3倍は食べて、空のパックは部屋に置きっぱなしだし、その後いっつも吐こうとして指を口の中に突っ込んで涎とか涙とか鼻水でぐちゃぐちゃで、でも結局吐けなくて、それで太って、でぶで…。それに私は、ひどいこともたくさん考えてるんだよ。あの人のこういうところが嫌だとか、こういうのがおかしいって真っ当そうな意見を出して、だから自分は普通だ、大丈夫だって安全なところにいようとするんだよ。…私、君が私のことを気になってるかもしれないから、それなら自分は安全なところにいるから、だから君のことを気になってるのかもしれない。」
言ってはいけないことを言った。自分ではわかっていたが、止められなかった。
「私は君が思っているほどいい人間じゃないし、君みたいにまっすぐな人間じゃない。私は醜い人間なんだよ。」
そう言い切ったとき、隣にいた藤重が私の前に立って、私の両手を握った。
「めぶさん、僕は、めぶさんに会えてよかったって言ってるんです。」
私の目をじっとみつめ、そう言うと藤重は両手を少しだけ持ち上げ言った。
「めぶさんは、そうやっていままで生きることと戦ってきたんですよね。そのおかげで僕は今めぶさんにこうして会えているんです。どんなにめぶさんがそれを醜い行為だと思っていたとしても、それは生きるために必要な行為だったならそれは、何よりも、なによりも大切なことです。」
藤重の目をじっと見つめている目から涙がこぼれおちないように努めたが、一筋涙が流れてしまうと、頬には後から後から涙の線ができた。
「めぶさん、僕はあなたのことが好きです。それは、話が会うからかもしれないし、顔がかわいいと思ったからかもしれない。一緒にいて楽しいからかもしれないし、僕の恋愛対象は女性だと自分で認識しているからかもしれない。けれど、それは全部後付けの理由です。みんな全部理由をつけて、だから「好き」なんだって安心したいだけなのかもしれません。」
私はすがるように藤重に聞いた。
「じゃあ、相手のこと、本当に「好き」か、「好き」じゃないかどうやったらわかるの。」
藤重の答えが、ときめきがあれば、とかそんな簡単なものだったら、私は今後苦労せずに過ごしていっただろうが、藤重は期待とは裏腹に、「そんなの誰にもわかりません」と答えた。
そして藤重はうつむいて一呼吸すると、私の目をまっすぐ見た。
「その人のことを好きになるかどうかは自分で決めるんです。めぶさん、僕はあなたのことを好きになりたいです。もっとあなたのことを知って、もっとあなたを好きになりたいです。」
私が出会った少女漫画や映画の中では、恋愛は雷に打たれたかのようにいつのまにかそう「なって」いるものだった。けれど、今藤重が言っているのは、「なろうとするかどうか」ということで、それは私の思い描いてたロマンチックな恋愛像よりも大変そうな話だった。
私が藤重のことを本当に「好き」なのかどうか、それは誰にも分からない。けれど、私は自分で決めることができる。
「私も藤重のこと、好きになりたい。」
私が泣きながらそう言うと、藤重は、僕が言うのもなんですけど、変な告白ですね、と笑った。
まだカレンダーでは夏なのに、この時間になると肌寒い。辺りは家々の電気も消えていて、行きかう車も少なかった。それは日付が変わった後の夜の街だった。
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