第18話 スニーカー
「今週一緒にご飯を食べに行きませんか?この間言っていた本も貸したいので。」
藤重からそうメッセージが届いたのは、飲み会の5日後の昼すぎだった。
めぶさんに読んでほしい本があるんです、今度貸しますねと言っていた藤重の顔を思い出す。その言葉を覚えていたのは私だけじゃなかったのかと少し嬉しくなったが、頭を振ってその気持ちをかき消した。この5日間何度それをやっただろう。バイト先で客の立った席の皿を片付けるときやつまらない授業を受けているとき、藤重の笑い顔がふと浮かぶことに驚き動揺した。
しかし、きっとあんなに楽しそうに会話することも、こうやって食事に誘うことも彼にとってはなんでもないことなのだ。
吉井さんを好きだったとき、その一つ一つを運命だと思っていた。誰に言っても知らないと言われる好きなバンドを吉井さんも好きだったこと、喫茶店で南とお茶をしていた時、実は吉井さんのことが好きなんだよねと言った瞬間にガラスの仕切りの向こうから吉井さんの話し声がしたこと、サークルでのクリスマス会でプレゼントを持ち寄ったところ、私たちは全く同じプレゼントを用意していたこと…。それらは私に、この恋はきっとうまくいくと思わせた。
しかし、実際は、それらのバンドはそれからすぐに有名になってみんなの知るところとなったし、喫茶店では隣の席にきっといる吉井さんに声をかけることはできなかった。2人のプレゼントを対角線上に回していたジングルベルの曲は、お互いの1つ前で止まった。隣の人が包み紙を開くときに、お互い顔を見合わせて笑った。それだけだった。
私は藤重のメッセージに
「本、楽しみ。金曜夜はどうですか?どうせならガンガン飲んじゃおうぜ。店、予約しておきます。」
と返した。
****
鏡の中の私は、かなり緊張していた。
今日は2限までだったので、12時過ぎにいったん帰り、約束の18時半を気にしないように課題をしたり、本を読もうと思った。けれどそわそわして落ち着かないので、先にメイクを直してしまおうと鏡をのぞき込んでいた。
やっぱり痩せたなあ。そう思った。目は前より大きくなったし、ピンクの口紅が似合うようになった。
しかし、というかだからこそ、私はもっともっと綺麗だと思われたかった。
ほとんど完成に近づいたメイクを落とし、再度ファンデーションを塗り始める。最近はこうして納得がいくまで何度もメイクをやり直すのと、何度も洋服を着替えるので朝の準備も以前の倍以上の時間がかかり授業に遅れるのもざらだった。けれど、教室の裏から遅れて入室するときも、以前のように「おい、デブが来たぞ」などと指さされることはなく、何事もなかったかのように、もしくは「あの子かわいい」などという声が聞こえることもあって、この姿でいることこそが自分を守る術なのだということを実感していたし、満たされている感覚があった。
結局18時過ぎに家を出るまで、課題をやって鏡を見て課題をやっての繰り返しで、もちろん課題はほとんど進んでいない。
出る直前に再度ワンピースにするか、ジーンズにするか悩んだ挙句、デニムのスカートに落ち着いた。スニーカーを履けば、いざとなればこの気持ちから逃げられると思ったからだ。
18時半に待ち合わせの大学に着くと、藤重はまだ来ていなかった。スマホをみると、「すみません、寝過ごしました!5分後に行きます。」とメッセージがあって、到着した彼の姿を見ると、ほとんどジャージと言えるような恰好で、やっぱりスニーカーで来てよかったな、と思った。ワンピースで来ていたら、きっといたたまれなかった。
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