第8話 梅酒

「いやあ、ほんと何もしてへんわ。」


 南がそう言いながら梅酒をちびりと飲む。1杯目から梅酒を飲むのが岩崎スタイルなのだという。


「もう3年夏ですよ。わたしらどうします?」


 都会の方では3年の春から早々に就活が始まっていたらしいが、田舎の地方大学に通っている私たちのもとにも、ようやくその匂いが届くようになっていた。


 南からピントを後ろにずらすと50歳くらいの小太りの店主とバイトの女子大生が話をしているのが見える。店主の話に愛想よくうなずく女子大生の方は何度か学校内で見たことのある顔だった。


「こういう個人経営の店って、店長とかのおじさんと話すの大変そうだよね。」


 私が小声でそういうと、「わかる。」と南は大きくうなずいた。

「うちも母の日だったか、イベント前に、花屋で短期バイトしてたんだけど、そこの店長が執拗に話しかけてきて、しまいには毎回車で家まで送ろうかって言ってきてすごいきもかったもん。」


 それは例外のような気もするが、嫌悪感を最大にして話す南がなんだかおもしろくて笑ってしまった。その出来事に遭遇したときに私はきっといろんな可能性を考え、自分の感情を殺してしまうのだろうが、南は瞬時の感情を素直に口に出すから面白い。


 それが災いをまねくときも多々あるが、熱した鉄を押し付けられた時に「熱い」と言いはねのけるのは普通のことだろう。みんな大人になるにしたがって、熱した鉄を押し付けられるのには理由があるんだろうとか、はねのけるときに誰かにけがをさせるんじゃないかと考えながら、自分の腕が赤くただれていくのを見るようになる。


 店主が「○○ちゃん、彼氏はいるの?」などと言ったタイミングで、「すみません」と手を挙げた。


「しぐれ煮の生春巻きとチキン南蛮で。あと、南はなんだったっけ、だし巻き卵。それとゆずサワーお願いします。」

 店員の女の子は、それをメモすると空いたジョッキとあん肝が入っていた、今はポン酢だけが薄く漂っている小皿を下げていった。


「岩崎は、やっぱいろんなとこ行ってたから、そんな感じで全国回りながらいろんな人と会う仕事がしたいかな。具体的にはなんも決まってないけど。」


 南が照れながら自分の梅酒に視線を落とす。

 南は中学校、高校と親元を離れて、他県の学校に進学する「田舎留学」というものをやっていたらしい。出身の大阪を出て、中高大と田舎を転々としている。彼女のしゃべる言葉にはたまにそのどれもが混ざったような変な方言が生まれている。


「じゃあサーカスみたいな、芸人一座つくってよ。私芸人として所属するから。」


 私が言うと、南はありだね、と笑った。

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