第33話「どうやって生きているの」

 肌は荒れ、髪はうねっていた。数日風呂にも入っていなかったし、胃はぼろぼろだった。なにより、私の体は脂肪で覆われ、醜かった。


 好きでうずくまっていたはずなのに、いつのまにかその場所から身動きがとれなくなった。食べることはいつでもやめられると思ったが、日に日に量が増え、体調も悪くなっていった。それは自傷行為に近く、日に日に生きる力が弱っていっているのを感じた。


 夜が怖かった。好きで一人になったはずなのに、夜になると本当に世界に自分一人ぼっちなのではないかと恐怖した。だれかが生きているのを確認したくて、意味もなく外へ出た。しかし、外へ出たら外へ出たで、誰かの悪意にさらされるのではないかと恐怖し、結局家の近くのコンビニによって、すぐに家に戻る毎日だった。


「めぶさんはそうやって生きてきたんですね。」

 ある夜、コンビニで買った大量の食べ物を目の前に泣いていると、藤重の声が聞こえた気がした。もう朝は来ないと思った夜だった。


「そうだよ。私はこうやって生きてきたんだよ。」

私は空っぽの部屋にそう答えた。


 声は返事をしなかった。

 部屋は大量の食べかけや空きパックのゴミでひどい匂いがしていて、全く歯が立たない換気扇の音が響いていた。


「藤重はどうやって生きているの。」

 私は彼に疑問を発した。それは心の底からの疑問だった。藤重も、南も、曽田も、箕輪も、タンメンも、幸田も、尾野も、みんながどうやって生きているのか見当もつかなかった。

「みんなは辛くて寂しくて、消えてしまいたいような夜をどうやって超えているの。」


 私は藤重に「助けて」と言った。

 真っ暗で、何も見えなかった。


 けれど、藤重はそれには答えなかった。

「めぶさんはそうやって生きることと戦ってきたんですね。」


 私はもう一度「助けて」と呼びかけようとして、藤重の顔をよく思い出せないことに気がついた。


「めぶといると本当に幸せだよ。」

 

 そう言った時の彼はどんな顔をしていたのだろう。

 …私はいつまで彼の顔を覚えていたんだろうか、いやそもそも初めから彼を見ていたんだろうか。考えれば考えるほど、体が冷たくなっていった。


 私は彼を食べていた。

  藤重と付き合って、私は満たされた気がした。でも、もっともっと満たされたかった。いや、もっともっと満たしてほしかった。お腹いっぱいに満たしてほしかった。


 いや、藤重だけじゃないのかもしれない。私は世界を食べていたのだ。

 とろけそうなホイップクリーム、舐めるような目で私を見る男、べちゃっとしたチキン、口を開けて笑う観衆、「才能があるね」、過剰に包装されたおにぎり、「かわいいね」…。お腹がすいてお腹がすいてしょうがなかった。もっと刺激的な香りを、もっと濃厚な味わいを、もっと私を満たすものが食べたかった。


 けれどどれだけ食べても私は空腹だった。私の中には何も溜まらずに、私は空っぽだった。


 代わりにそれらは脂肪や見栄や欲望になって私の周りにくっついていった。私のデブはどれだけ人を傷つけたのだろう、そして何から目を逸らしてきたんだろう。本当は薄々分かっていたのかもしれないが、私は気づきたくなかった。


「めぶさんはそうやって生きることと戦ってきたんですね。」


 もう一度、藤重の言葉を思い出した。

 彼は、「戦って」いたんだろうか。平気で生きていたのではないのかもしれない。みんなも戦っていたんだろう。みんなもまた、平気で生きてきたんじゃないのかもしれない。


 大きく息を吸った。うなずいたのは、自分で吸い込んだ息が、肺をいっぱいに膨らませたのが分かったからだ。


 私は、自分で自分を満たさなければならない。

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