第5話 ハイボール

「今日はみんなお疲れ様でした。今回のステージは全員に新ネタで参加してもらいました。私がステージのディレクターをする時は、メインテーマと共に裏テーマも決めることにしています。もちろん、ステージでの一番の目標はお客さんに笑顔で帰ってもらうことですが、それに加えて今回のメインテーマは「お客さんに笑っているときの感情を認識してもらう」でした。これは事前にみんなにも伝えて、意識してくれてたんじゃないかなと思います。そして、今回の裏テーマは「挑戦」でした。これはこのステージが芸人側にどんな意味を持ってほしいかというテーマです。新しいネタに挑戦したり、1番手に挑戦したり、挑戦によって新しい景色を見てほしいなという思いがありました。新しい景色は…」


「長い!長いわ。はい、カンパーイ!!」

 曽田の声がけに合わせて全員のカンパーイという声が響き渡った。


 よかった。いいところでツッコミを入れてくれた曽田に感謝して、フロアのみんなの方を向いて立っていた場所からすごすごと自分の席に戻った。


 今日のステージの打ち上げ会場ははいつもと同じく、大学近くの行きつけの居酒屋で行われた。2階の一角は、ステージに出た10組のピンやコンビとスタッフ合わせて30人近くの大所帯の私たちで埋まっており、店員もバタバタと忙しそうだった。


 3つ向こうのテーブルに座る曽田に笑い返した後、周りの後輩とコップを合わせる。あちらこちらで同じように高く長く響くカーンカーンという音に、ステージはやはりおおむね成功だったと言ってもいいのではと思った。


 ひとしきり乾杯をしに回ると、目の前に座るスタッフの浜本ちゃんがいつの間にかサラダを取り分けてくれていた。それをありがとう、と受け取りながら横にいる箕輪に視線を移す。


「箕輪、あのネタ、面白かったね。クレームすごかったけど。」


 箕輪はピン芸人だ。私の1個下の後輩で、関心のあることも似てるし、同じ女芸人として話していておもしろい。

 

 箕輪の今日のネタは、最近流行りの「嫌な女」で、いるいると思うような「嫌な女」のモノマネを次々に繰り広げた。けれど、その「嫌な女」は最初はいるいる、という女なのだが、後半になるにつれてかなり客自身、自分にも当てはまるようになる。

 けれどお客さんは自分はそうではないと主張するように笑い声を大きくしていってしまう。だから最後には何でもないことを言っているのに、笑い声だけが会場に鳴り響くという滑稽な光景が繰り広げられたことは箕輪のねらい通りだったのだろう。


「嫌な女、なんて差別用語ですよ。女が嫉妬深いとか、女の人間関係が怖いとか全部幻想じゃないですか。男だって嫉妬深い奴はいるし、人間関係からまってるのなんて全然あるのに。女ってだけで一挙手一投足同性からも異性からも常に監視されてる。呪いですよ。」


 箕輪の話を聞きながらハイボールの2口目を飲んだ。一杯目にカシオレが頼めないのも箕輪の言うような呪いの一部なのだろうなと思う。


「クレームの入り方も箕輪の計算通りだったんでしょ。お客さんたち、こういうことをするのには、こういう状況があって、それを笑いものにするなんてひどい!って口々に言ってたよ。」ねえ、とクレームを受けたと言っていた浜本ちゃんに話を振ると、案の定浜本ちゃんが食いついてくる。


「もうすごかったんですからね!理由も知らないのに、とか侮辱された、とかすごい剣幕で迫ってきて。」

 それを聞いて浜本ちゃんの横に座る、私と同期の楠野が大変やったね、よしよし、と頭を撫でるふりをした。

「みんな同じことしとるのにな。その人の背景も知らずに、笑いものにして傷つけとる。」

 楠野はそう言うと、ほんと浜本ちゃんはおいしそうに食べるなあ。と言い、食べ物も喜んでるわあと言った。


 すでに残り少なくなったハイボールを見て、箕輪がなんか飲みます?あとつまみも、とメニュー表を出してくれた。

「ありがとう、同じハイボールと…枝豆で。」

 それを聞いて浜本ちゃんが、私から揚げ!と手を上げて言う。

 箕輪は了解です、といいボタンを押した。箕輪は私にハイボール好きなんですね、と言ったが、答える間もなく、店員にハイボールとカルピスサワーを注文していた。


 箕輪の後頭部を見ながら、別に好きじゃないよ。心の中でそう言った。


 別に好きじゃないよ。枝豆だって正直食べたいって思ったわけじゃない。食べたいものを食べたいって言えるのは普通のことじゃないよ。おいしいものをおいしそうに食べれるのも普通のことじゃないよ。食べたいものをいうことが怖い、「おいしい」と言うことが怖い。から揚げを頼んだら、だから「デブ」なんだよって、目の前の口がそう動きそうで、怖いんだよ。カシオレを飲んだらでぶの癖にかわいこぶってんじゃねーよ、そう言われそうで怖いんだよ。ハイボールを飲んでたら女から降りられるのかな


 少し残ったハイボールの氷が溶けたガランという音で気を取り直した私は、ほとんど水になったそれを一気に飲み干した。


 話していた4人全員が何かを口に入れていて、少し沈黙が流れる。その沈黙が気持ち良くなるまでにはまだ酔えていない。

 沈黙の中に、浜本ちゃんの向こう隣に座っている後輩の声が響いてきた。


「最近、ハイボール飲む女多いですよね!私サバサバ系ですからって!お前、吉高由里子じゃありませんからー、残念つって!」


次の瞬間、間を悪くして

「ハイボールとカルピスサワーでーす!!」威勢のいい店員の声が響きわたった。


 ハイボールとカルピスサワーを受け取った箕輪に、私は顔を赤くしながらありがとう、と手を出した。しかし箕輪は私にカルピスサワーを渡したと思ったら、一気にハイボールを飲み干した。


「ハイボール、うっま!!」

 箕輪はそう言うと、ハイボールおかわりください!鍋で!などと言い店員を困らせたのち、結局私は一次会がお開きになるまで、箕輪と鍋の中に入れてもらったハイボールをすすることになった。そのハイボールはすごくすごく美味しいかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る