第35話 鍋

 最後にコンビニの食べ物を食べてから、何を食べればいいか分からなかった。ずっと外食や総菜で腹を満たしていたから、自分で腹を満たす方法が思い出せなかった。けれども、生きていれば腹は減る。


 仕方なく、スーパーに向かった。いつもなら総菜売り場に直進するのを、周りの主婦の流れに乗って野菜コーナーに行ってみた。


 すべてが大きかった。キャベツは丸々としていたし、人参がこんなに赤いことを忘れていた。蜜柑が売っているのを見て、冬であることを思い出した。

 私は真っ赤な人参と、近くに陳列されていた白菜をとって、そのまま、目の前の主婦についていった。主婦は精肉コーナーに向かった。 


 肉たちは私が総菜を買って食べていたものとは違って、赤黒く、生々しかった。見てはいけないものを見たようだった。しかし、私はその中で一番グロテスクに感じた鳥のもも肉を買った。私は向き合わなければいけないと思ったからだ。


 カゴに入れた瞬間、猛烈な衝動が襲った。


 嫌だ、こんなのを食べたくない。

 向き合いたくない。

 もっと手軽で、もっと刺激のあるものを。足りない、足りない!!


 自分の感情を自覚して、手が震えた。嫌だと思っているのに、足が勝手に菓子パンコーナーへ向かった。


 怖かった。帰ってあの一人の部屋で寂しさや孤独感にさいなまれるのが。食べていれば、それから逃れられる。戦わなくて済む。

 

 菓子パンに手を伸ばしかけた時、隣におじいさんがきて、並んでいる菓子パンを丁寧に選んで、大事そうに買っていった。


 ああ、みんな寂しいんだ。みんな向き合っているんだ。忘れかけていたことを思い出し、手を引っ込める。


 私も自分と向き合わなければいけない。

 カゴの中を見ると、人参と白菜ともも肉が入っていて、それらの色や質感、重みは、生きていたもののそれだった。

 私はちゃんと、自分自身で彼らを食べさせてもらおうと思った。


 そのままレジに並んで、お金を払う。過食していた頃は、一日5000円以上払っていた。罪悪感を感じながらもお金をお金だとも思わなくなっていた。でも、このお金は重く感じた。


 家に帰って、戸棚の奥から鍋を取り出す。

 地元からこっちに出てきたときに、揃えたものだ。一人暮らしを始めたころ少し使ったきりほとんど使っていなかった。


 野菜を切ってから、肉を切ろうとして、怖くなった。

 もも肉は想像以上に生き物然としていたからだ。恐る恐る、包丁を動かし、肉を切る感覚は胸の奥の痛みを伴った。命をこれからいただくのだということをその痛みから知った。この痛みを知らずに、私は今まで、食べていたのだ。


 白菜をぎっしり敷き詰めた上に、人参の薄切りを敷く。そこに切った肉を並べ、肉の半分くらいがかぶるくらいに水を入れ、塩をふって蓋をしめる。火をつけると、水は次第に沸々と泡立って、蒸気が上ってきた。

 少し煮て、灰汁をとり、何度か洗い場に捨てていると洗い場に捨てると、シンクが熱でボンっといい、驚いた。


 それからしばらく煮たが、肉を大きく切りすぎたのか一向に煮える気配がなかった。

 手持ち無沙汰だった。

 けれどそれは私に必要な時間だと感じ、ずっと鍋の中を覗いて、食べ物が煮えるのを見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る