第38話 勇者vs勇者
オットイの力をいとも簡単に振りほどき、聖剣の切っ先を地面に軽く触れさせる――すると一方向に集中した突風がオットイの体を吹き飛ばした。
勇者にとって、オットイの存在は障害でもなんでもない。
向かい風にさえならない――本当に静かな、凪だ。
自分の体を引っ張ろうとする虫のように、気にしなければ影響も実害もない。
こうして反応を示すだけ、まだ彼女は良心的だと言えるだろう。
「やっと、本に挟んだ栞に追いついた――ここからだ、さあ、最後の章を終わらせよう。わたしが魔王を滅ぼして、ハッピーエンドだ……っ、これで世界は救われる!!」
夜だというのに、まるで朝日が差したように、世界が輝き始めた。
勇者が持つ聖剣が、本来の力を発揮し始めたためだ。
伝説となった、魔を滅する、聖なる力である。
「あはっ、ははっ、あははははははははははははははははははははははははははっっ!」
確信した勝利に笑い声を上げる勇者の腕を、ぐいっと背後から引っ張る者がいた。
彼女の笑いが恐いくらいにぴたりと止んだ。
つまらない行為に、笑えなくなったのだと、彼女の表情に殺意が宿った。
気にしなければ虫に実害はないが、鬱陶しくなれば簡単に押し潰せる。
勇者の厚意でそうしなかっただけであり、いつでも殺せる手が動けば、オットイはいとも簡単に殺されてしまうだろう。
……しかし、彼は分かっていても、止まれなかった。
もう昔のように、誰かの背にいれば守ってもらえる立場ではない。
誰かがなんとかしてくれるわけでもない。
もう自分は背負う側に回っている。
受け取った意志がある。
守りたい人がいる、救いたい人がいる。
そして――もう一人。
「……取り戻したい、人がいるんだ……それは、お前じゃない。どこで歪んでしまったのか分からないし、元々、そういう考えだったのかもしれないけど、それでも……、ニオちゃんと一緒に過ごしたぼくの小さい頃の記憶の中には、優しいユカ様がいた!」
一人欠けたらあの頃にはもう戻れない。
でも、だからって、残ったものさえ瓦解させてもいいとは、思わないッッ!
「わたしの邪魔をするの? 魔王の味方をするの? なら、君も同じく悪党だよ」
処刑人が、手を下すと判断するための、ルールがある。
悪党であるか否か。その一点のみを重視する。
なら、言ってやろう。
「悪党って、なんなんだ……?」
「魔王、魔族、人間にとって害ある生命。たとえ人間でも、魔王に荷担すれば悪党だよ。私利私欲で他者を貶めるのも、等しく悪党になる」
「なら、君だって同じじゃないか! 私利私欲のために、他者を巻き込んでる。たとえ死者が出なかったとしても、被害を出している時点で君は本当の正義じゃない!」
「それはわたしが勇者だから。勇者なら、極端なことを言えばね、魔王を滅ぼすためならなにをしたって、それは仕方ないことで済ませられるんだよ」
「じゃあ、ぼくだって勇者だ」
はぁ? と声を上げたユカ……もとい勇者だったが、はっとして、気付いたようだ。
オットイの中には、かつての勇者がいる。
勇者だから多少の犠牲を出しても許されるのであれば、オットイのおこないは悪党とは認められない。
だが、もしも、それでも尚、悪党だと断じられるのであれば、それはユカにも適応されるだろう。
――魔王を滅ぼすために他者を犠牲にした勇者は、悪党である、と。
彼女のルールは絶対的だ。
勇者とは、そういうシステムで動いている。
悪党を見れば断罪せずにはいられない。
勇者ニオは、元より悪党の定義に疑念を持っていたため(ゆえに異端であると言われていた)、そこまで縛られはしなかったが、典型的な、悪を嫌悪するユカに至っては、その縛りは鎖のように固く、雁字搦めになっている。
矛盾を引き起こしても尚、滅ぼすことが優先されるように。
自らを悪党だと判断した勇者の聖剣が、切っ先を反転させた。
黄金色の刃が、勇者の胸に向かっている。
「滅ぼすべきは、あれ……? わた、し…………?」
「待っ――」
聖剣が胸を貫けば、勇者と共に奥にいるはずのユカまで、傷を負ってしまう。
勇者に乗っ取られた彼女は、既に二人で一人なのだから。
オットイが重ねるように、聖剣を握る勇者の手の上から柄を握った。
彼女の手の皮膚が飛び、黒ずんでいた。
悪党と判断した聖剣が、彼女の手を焼いているのだ。
オットイも同様に――手から肩にかけて、腕が黒く変色していく。
走る激痛が、彼の意識を何度も奪いかけた。
「ユカ様を……返せ……ッ!」
「無理だね、あの子の精神は溶けてしまってもう感じられない。いくらわたしでも、海に広がった適量の液体をかき集めることはできないんだ」
だから共に死ぬ――、やがて、拮抗していた力は片側へ天秤が傾き、聖剣が深々と彼女の体を貫いた。
彼女の背中から噴出したのは、黒い液体だ。
噴き出しては空中ですぐに蒸発している。
赤い血は、一滴も漏れてはいなかった。
「聖剣は、魔を滅する剣……肉体を斬ることもできるけど、逆に、肉体を斬らずに魔だけを斬ることも可能なんだよ、確か……」
アヤノの言葉にオットイが振り向いた。
「魔、だけを、斬る……」
「混ぜ合わされた二つの液体があって、黒と白、はっきりと分かれていたなら、聖剣は黒だけを綺麗に取り除く。……ゆかちが白であるなら、きっと――」
魔族は例外なく悪と呼ばれ、勇者においては、誰もがその存在を正義だと認めている。
ただ面白いことに、人間が絡むと善と悪は簡単にひっくり返る。
彼、彼女たちは色を自由自在に変えられ、私利私欲に溺れても、反省し、更生し、人生において二つの勢力をぐるぐると巡っている。
表裏一体とも言える。
人間は、明確にどっちである、とは、言い難い。
ユカは次世代の勇者の影響で、悪に寄っていた。
彼女にとっての異世界を、ゲーム感覚で操作し、人の生死を簡単に決めてしまえる。
いくら神の役目を持っていたとしてもやり過ぎだ。
実際は、ゲームではないのだから。
彼女があの時の彼女のままであったなら、聖剣は容赦なく浄化していたはずだ。
勇者と共に、その肉体ごと滅ぼしていた。
だが、彼女には思い返す時間があった。
長いこと待たされた、と勇者は言った。
ユカだって、彼女と同じく、挟んだ栞以前の物語を再び読み直すように、同じ時代をやり直していたのだ。
勇者が主導権を握っていたので自由に動けはしなかったものの、心までは支配されない。
だから、自分のこれまでのおこないを反省できた。
長い長い時間のおかげで、彼女の色が変わっていたのだ。
「――オットイ! この剣を引き抜いてッ!!」
瞳の色が変わったユカの言葉に、自然と従ったオットイが、聖剣を引き抜いた。
すっ、と、なんの手応えも無かった。
噴出していた黒い液体は勢いを弱めたが、それでも溢れ出しているのは止められない。
貫かれ、あるはずの傷口から漏れていく液体をすくうように、ユカが腕を器のようにして受け止める。
「…………ずっと、支えてくれてた……困った時、迷った時、この子はわたしにアドバイスをしてくれた。言いなりだったんだと思う……それが、乗っ取られてしまう原因だったんだろうって、今なら思うよ……っ」
液体は、地面に染みこむように、その面積を減らしていく。
「わたしはただ利用されていただけだった!! でもね、でもだよ! それでもあの子はわたしの親友だった! たとえ目的が、魔王を滅ぼすために、わたしの体を宿とするためだけに、信頼を築くためにかけられた心ない優しい言葉だったのだとしてもさ!!」
ユカは、それでも救われていた、と言った。
「あの子がしでかしたことは、わたしが責任を取る」
じきに、世界が再び動き出すだろう。
サイレンを鳴らすパトカーが、ユカの姿をすぐに見つけるはずだ。
「だって、あの子だって、わたしだから」
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