第10話 内と外の攻防

 草原を駆け抜ける一頭の馬と、併走している、杖に乗る少女が一人いた。


 馬には元々手綱がつけられており、人が乗れるようになっていた。

 だからなのか、馬は人間に対して警戒心が薄く、得体の知れないニオとオットイに好意的である。


「落ち込まないでください、神様。きっとこの子も、神様が持つ大きな力に怯えてしまっただけですよ。神様が嫌いなわけではないと思いますから」

「…………いいよ、別にわたしは杖で移動できるし」


 唇を尖らせ、むすっと拗ねるユカを見て、ニオが嬉しそうに笑った。


「人の顔見て笑ってさ……なーに?」

「いえ、神様ってば、そういう反応するなんてかわいいなって」


 んむっ、と言葉に詰まってユカが視線を逸らした。

 が、頬の赤みは隠せていなかった。

 手の届かない場所が痒く感じたように、ユカがむずむずと体を震わせる。


「あ、神様。この先に、柵が……」


 ニオが手綱を引っ張り、馬の足を止めた。

 柵は遠くまで続いており、目で追っていくと先に小屋があるのが見えた。


 すると、ニオの指示を無視し、馬が歩き始める。

 戸惑うニオだったが、途中で合流した白毛の馬を見て、不安がなくなった。

 もしかしたら、この場所がこの馬の帰る家だったのかもしれない。


「ありがとう」


 と、ニオが馬の体を撫でた。


「もう降りるから、オットイくんも離して」

「だ、だいじょうぶ? 急に走り出したりしないよね?」

「どーかなー…………、って、うそうそ! 大丈夫だから、ね?」


 腰に回された腕がさらに強く、ぎゅっと体を抱きしめていた。


 オットイとニオが降りると、役目を終えた馬が、仲間の元へ帰っていく。

 同じ色の集団に混ざってしまえば、運んでくれた彼がどれだかは分からない。


「二人とも、小屋を見てみよっか。誰かいるかもしれない」


 立て付けの悪い扉を開いてみるが、中には誰もいなかった。

 窓も閉まっており、光が入らず薄暗い。

 見た目よりも部屋の圧迫感があるのは、積まれた干し草があるからだろう。


「誰もいませんね……」

「でも、管理している誰かはどこかにいるはず……じゃないと柵だって、この小屋だって作ろうとは思わないはずだもん」

「…………今」


 最後尾にいたオットイがニオの背中をつついた。


「足、音が……」


 え、とニオが振り返った時だ――開いたままの扉が、勢い良く閉められた。

 そして、ガコン、という音と共に、押してもびくともしなくなる。


「閉じ込められ……!?」

「離れてて、ニオ」


 唯一、光が差し込んでいた出入口を閉ざされたため、小屋の中は真っ暗闇だ。

 だが、見えずとも扉を破壊することは難しくない。


 ユカが力を使おうとすれば、杖の球体が光り出し、赤白い光が周囲を照らし出した。

 しかし一瞬のことで、すぐさま光はしぼむように消えてしまう。


「…………また……! どうしてっ、なんで神の力が弾かれるの!?」


 募る苛立ちがユカを短絡的にさせる。

 神の力が通用しないと分かれば、彼女が杖で扉を叩き始めた。

 木製の扉が削れる音はするものの、開く気配はまったくない。


「あぁもう! 力が通用すればこんな扉なんか……っ!」

「待ってください神様! 落ち着いて! ……扉を閉められたなら、外には誰かいるはずなんです!!」


 あ、そっか……、とユカが冷静さを取り戻す。


「外の人、まだいる!? わたしたちは敵じゃないよ! この大陸から少し離れた島からきたの! 侵略の心配はいらない……わたしたちは分からないことを確かめにきただけだから!」


「信用ならないね」


 と、返事があった。しかし、スムーズに出してはくれそうにない反応だ。


「そっちが浜辺に船を停めているところから見ていたよ。……浜辺の王を倒すやつが、もしもうちらの村で暴れ出したら? ……止められないよ。そんな危険人物を、ここから先へ進ませるわけにはいかない」


 浜辺の王? とユカが口に出す。


「さっきの、あの凶暴な生物のことだと思いますよ」

「そっか――って、あれはだって正当防衛だし! 向こうから襲ってきたんだから!」

「なんだろうと、あれを倒す強さを持つアンタらは、ここで始末するべきなんだ」


「始末、って……」

 と呟いたニオが見たのは、扉の下から見えている小さな明かりだ。


 それが、徐々に小屋を浸食していた。


「火、が……、――まさか!?」


 木造の小屋と、大量の積まれた干し草がある。

 小さな火だったとしても、三人を焼き殺すには充分な威力に成長するだろう。


「この世界に神様は二人もいらない……お姉ちゃんを脅かすやつは、殺してやる」


 火の回りが早く、暗闇だった小屋の中は、既に全体が赤色に染まり始めていた。


「神様っ!? どうすれば――!」

「…………もう一人、神がいる……の?」


 呆然とするユカの後ろで、ばたりとなにかが倒れる音が響いた。


「あっ、オットイくんッ!」


 咳き込む彼を励ましながら、どう脱出するべきか考える……しかし、扉も窓も開かず、炎が小屋を包んでしまっている今、普通の人間であるニオにできる術はない。


 でも、だからって、神様に当然のように助けを求めていいことにはならない!


 神様にだって弱い部分がある。完璧なんかじゃない。

 ニオだって、助けられるだけのためにここまで同行したわけではないのだから。


「神様が立ち上がれなくなったら、今度はわたしが、救い上げる番!!」


 扉を包む炎の塊を前にして、ニオがぎりぎりまで近づいた。


「ねえ、外の子。……この世界にも、神様がいるの?」


 返事はなかった。


「わたしたちが危険だから、ここで始末しようと考えているなら、きみが思っているよりわたしたちは強くなんかないよ」


 ニオはユカの異変に気付いていた。

 今まで使えていた神の力が、突然使えなくなっていたのだ。


 浜辺で出会った生物には効かず、だけど船員たちの剣を操作する力は通用していた――違いを探せば、この大陸のものか、ニオたちがいた島のものかだ。


 神様は二人もいらない、と外の子は言った。

 実際その通りに、この大陸において、神は一人しか存在できないのではないか、と思ったのだ。


「つまり、わたしたちの神様は、この大陸では力が発揮できない……だから、この大陸にいる人を脅かすことはできない!」


「だから? 生かして大陸を案内する理由にもならないはずだ!」

「それは違うよ!」


 ニオの力強い言葉に、外にいる子が押し負けた――ニオはそう感じ取った。

 だから、押すなら今しかない。


「互いに脅かす危険がないなら取引ができる。大人の悪巧みじゃなくてね、互いの故郷で採れた美味しい果実や食材を交換できる。技術を共有すれば、もっともっと過ごしやすい環境を作れる。それに……たくさんの友達が増えるよ!」


 ニオの声が弾んだ。彼女が言いたかったのは、結局、最後の提案だった。


 大陸と島を繋ぐメリットを提示したけど、そんなものは外交で良い印象を抱かせるための通過儀礼でしかない。

 本当は、ただニオ自身が友達を増やしたい、なんて子供のような欲望のためだった。


 大陸と島以上に、まずは人と人を繋げたかった。


「だから――っ」



「助けてっ」



 その声に、小屋の外にいた少女の心が動かされた。

 だが、今更、火を消すことはできない。

 元より消す気がなかったのだから大量の水だって用意していない。

 少女は握り拳をさらに握り締め、下唇を強く噛み――考える。


「……助けるために、どうすれば……」


 すると、少女の頬に顔を寄せる、白毛の馬がいた。


「……なによ、今、とっても忙しくて――」


「この子に急に呼ばれて、今度はどんな失敗をやらかしたのかと思えば、モーラが怪我していないようで安心したよ」


 白馬に乗る、三角巾とエプロンを身につけた黒髪の女性がいた。

 大人っぽく見られがちだが、ユカと大して年齢は変わらない。


「お、お姉ちゃん!?」

「この火を消せばいいんだな?」


 彼女が杖を取り出した。ユカが持つ杖とそっくり……よりも、同じものだ。


 違いは、先端にある球体から発せられる光が、緑色であることくらいか。


 左から右へ杖を軽く振るう――すると、遠方からやってくる、強い風の塊があった。

 ゴォッッ! と草原をなびかせる風が近づき、火に包まれていた小屋を通り過ぎる。


 一瞬で炎が取り除かれた……が、遅れて小屋自体も浮き上がり、草原の緩やかな坂道を転がり落ちていく。


 黒く焦げた木片が散っていき、数度のバウンドで完全に崩壊した。


「あぁ!!」

 と少女が声を上げる。


「いや、無事みたいだ」


 倒壊した小屋の中から、二人を抱え、杖に乗る少女が飛び出してくる。

 しかし三人を乗せては杖の飛距離が伸びず、足が地面を擦ってそのまま転んでしまう。

 杖を手放し、少女が仰向けで大の字になる。


「う、うぅ……」


 声を漏らした少女の真上から、黒髪の女神が覗き込んだ。


「怪我はないか、結花ゆか

「……………………え、あ、あれ?」


 ユカがきょろきょろと周囲を見回し、変わらず大陸の上であると確認し終えて、改めて目を点にさせ、疑問符を浮かべる。


「?? 先輩? それともそっくりさん?」


「間違いなくお前の先輩だよ。そういうのも含めて、互いの近況を話そうか。村へ……いや、私の世界を案内するよ」

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