第22話 勇者ニオ

 ぶら下がっているオットイが、ユカの島、孤児院の前にいた集団を見つけた。

 鎧を纏う騎士団と……彼らと向き合う、ユカとニオの姿があった。


「ニオちゃ――」


 満面の笑顔と、弾んだ声。

 普段は暗く、道の端っこにいるような引っ込み思案なオットイも、彼女の前では感情をさらけ出せる。


 逆に言えば、ニオの前でしか、オットイは感情を満足に出せなかった。

 それを欠点だとは思っていない。


 なぜなら、ニオがいる。

 ずっと、守ってくれるのだと信じていたからだ。



 良いことを思いついたっ、と言わんばかりに手を打ったユカの次の行動は、誰もが言葉を失う、乱暴な解決方法だった。


「神様…………?」


 引きつった笑みを浮かべるニオと、邪気のないユカの視線がぶつかった。


「これはただのポーズだよ。安心して、すぐに作り直してあげるから」


 杖がニオに向けられ、グラスで乾杯するように、軽く触れた。



 ――瞬間、ニオの体が、カラフルな色彩を持つ、直方体の粒子へ変わっていく。



 完成していたパズルを両手でかき回すように、ニオの姿が、崩れていった。



『は?』


「え」


「え?」



「………………は……………………ニ、オ、ちゃ…………ん……?」



「ふう。これでそっちの目的はなくなったでしょ? これ以上、わたしや先輩のところにはこないでね。ニオはこの世界から消えて、いなくなったんだから」


 ニオを形作っていた直方体の粒子は、吹いた風に乗って散っていった。



「これで一件落着っ、でしょ?」




 どぼんっ、という音がくぐもって聞こえた。

 両手を含めて、全身をぐるぐる巻きにされたオットイは、気付けば水中にいたからだ。


 足をばたばたと振るが、体は沈んでいく――さらに、ぐんっ、と真下に引っ張られた。 


 ロープで繋がっていた杖が、沈んでいっているのだ。


 杖の重さが、オットイを海の底へと引っ張っている。


 そして、視界の端に金色が見えた。


 彼女は浮かび上がる気なく沈んでいく。

 まるで水中に溶けていくように、気配が感じられなかった。

 生きようとする気力が、抜けてしまったかのように。


 その証拠に、彼女が吐いた大きな空気の塊が、海面へ上がっていく。

 瞳は閉じられ、意識があるのかどうか、分からない。


『……っ、……ッッ!!』


 大量の息を吐き出しながら、オットイがアヤノのドレスに噛みついた。


 呼吸が出来なければあっさりと死んでしまうオットイにとっては自殺行為だ。

 神は水中でも呼吸ができると知らない彼であっても、普通はこんな行為には出ない。

 見捨てるわけではないが、自分が動いたところで状況は変わらない、と諦めてしまうだろう。


 実際、彼がアヤノを助けようとしても、沈むばかりで浮き上がらない。

 それでも彼が自身で動いたのは――、激情に駆られたからだ。


 きっと、一生にそう何度も訪れない、感情が先走り、行動が追いつかない衝動。

 自分の無力さが忌々しいと感じたのは、今が初めてだった。


 ……これまでのアヤノの行動はとても分かりにくかった。

 だから騙されて当然だ、オットイだけでなく、和歌やユカまで勘違いしていたのだから。


 当人であるニオだけは、彼女を悪者だとは思っていなかった。

 外から見ていれば、アヤノの手の平の上でいいように転がされてしまうが、一歩、中に入ってしまえば、彼女の気持ちが透けて見えるようにぐっと距離が近くなる。


 海へ落ちる前、吊されていたオットイの頬に当たったのは、水滴だった。


 水飛沫は上がっていない、雨も降っていない――であれば。


 きっと、それは……。




 アヤノは思い出す。


 いや、フラッシュバックしたのだ。


 ユカによって分解されたニオと同じく――かつて自分が手をかけた、ニオの存在を。



『――いい? アヤノ。勇者は敵よ。決して、心を許してはダメ』


 幼いアヤノは母親、祖母の言葉に疑問を持ちながらも、質問はしなかった。

 そういうものだ、と空気を読み、納得することにした。


『もしもお母さんが使命を果たせなかったら、その時はアヤノが叶えてね――』


 祖母から母、母から娘へ――つまりアヤノへ、受け継がれていくものがある。

 人間たちから土地を奪還し、世界を支配する使命だ。


 ――だけど、どうして? そう思ってもアヤノは、いつも通りに、考えない。


 昔から受け継がれてきたことなら、間違いはないのだと、目を逸らしていた。


 その方が誰も傷つかず、面倒なことにならない。

 楽だと気付いたのだ。


 思考を停止させたアヤノは、ひたすら使命を果たそうとしていた。



 後に、勇者ニオと呼ばれる青みがかった黒髪を持つ少女は、勇者候補と呼ばれていた血縁関係のある子供たち数人のグループに混ざり、厳しい鍛錬の日々を過ごしていた。


 成績は最低で、しかも勇者にあるまじき考えを持つ。

 誰もが勇者には向いていないと断言していたが――しかし、彼女には確かに、才能があった。


 高度な剣術ではない、強力な魔法を使えるわけでもない、運動神経は並、戦闘能力も鍛錬すれば磨かれるものの、最初から秀でていたわけではない。

 ――では、どうして。


 彼女は愛されていた。


 勇者一族以外の人々から。


 なによりも、幸運に。


 そして、各地に散らばる、強力な力を持つ、精霊に。


「――じゃあ、いってきますっ!」


 鍛錬の日々の末に、勇者の力を受け継いだのは、ニオだった。

 驚いたり、不満を漏らしているのは勇者の血を引く一族の者だけで、町の人々は誰もが勇者はニオが受け継ぐものだと信じて疑わなかった。


 旅立つ彼女の腰には聖剣が携えられている。

 聖剣は、彼女しか、主と認めなかったのだ。


 ――勇者にも、受け継がれてきた使命がある。


 それは、魔王を滅ぼすこと。

 そして、現在の魔王は、百年前の伝承によれば、魔王アヤノと呼ばれているらしい。


「結局、最後まで認めてくれなかったなあ……」


 そうニオが独りごちる。

 それもそのはずだ、ニオの思想は、使命の否定なのだから。


「決着の仕方は、絶対に誰かがいなくなる結末じゃなくてもいいはずなのに」


 だから、ニオが剣を取った。

 他の勇者候補を押しのけて、彼女が勇者になった。


 運も味方したが、なによりも、彼女自身の努力も大きく影響している。


「ずっと続いてる不毛な争いは、わたしの代で止めてやるんだ……っ!」


 この時はまだ、世界に神はいなかった。

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