第21話 ユカの中のもうひとり

 ――そこで、笑顔を貼り付けていた男の仮面が、はずれかかった。


「……悪いが、姫様の上に君を置くわけにはいかないが……」


「第二王女なんかやりたくないよ、なるなら一番。というか、彩乃はわたしの後輩なんだからわたしの方が上なのは当たり前でしょ」


「我々が忠誠を誓っているのは姫様ただ一人だ。君に忠誠を誓うことはない。君の下に、我々がつくこともない。譲れるのは、第二王女までだ。一番までは譲れない」


「そっかー……」


 涼しそうな顔を見せながらも、男は額から汗を流し、顎へ流れていた。

 彼も内心で感じてしまったのだろう、彼女はきっと、妥協しない。


 そして、彼女はどちらかと言えば、甲冑隊に近いのだと。

 若い男は、ユカから対立する彼らと同じ匂いを嗅ぎ取ったのだ。


「じゃあ戦争かな」




 騎士見習いから伝えられた、騎士団の独断専行に、アヤノが血相を変えて飛び出した。

 バルコニーから杖に乗って宙へ浮かぶアヤノを、呼び止める声が背後から。


「姫様っ、その、島の神様は……そんなに危ない人なんですか……?」


 見習い騎士は、まだ成人していない青年だ。

 剣も本物ではなくレプリカである。


「危険人物、ではないかもね。見た目はただの活発そうな女の子だし、常識はあるよ」


 だけど、彼女の中には、本来あるはずのブレーキがない。

 そして、己が出した答えに、明確な自信を持っているのも特徴だった。


 まるで、全員一致の意見を胸に携えて、舞台へ上がるかのように。


「騎士団を、助けにいくのですか……? っ、いかなくていいですっ、姫様の命令を無視した独断専行のせいで、命を落としたなら、自業自得です! 姫様がわざわざ危険な戦場へ赴く必要はありません!!」


 バルコニーから手を伸ばす青年へ、アヤノが微笑んだ。


「可愛い見習いくん、もしかしてあたしに惚れてるの?」

「そ、そんな……!」


 と顔を真っ赤にする青年を見て、アヤノがくすくすと笑った。


「心配いらないよ、別に騎士団を助けにいくわけじゃないから。正直、そっちはどうでもいいんだけど、ゆかちーのことだから、油断もできなくて……」

「…………?」


 と、青年は首を傾げた。


「ゆかちー、ほんとに恐いなー……」


 最悪の予想が、何度も頭をよぎっていた。



 戦争と聞いて、怯んだのは騎士団の方だった。

 なぜなら、人質を取り、島を取り囲み、ユカの戦力である海賊をほとんど沈めている。


 優位に立っているのは騎士団の方なのに、ユカから溢れ出る自信はなんなのか。

 虚勢だろう、と不安を覆うのは簡単ではない。


 男は決断を迫られていた。


 引くべきか、否か。


「…………捕らえている、人々を殺していく。君が引けば、剣を引こう」

「あ、ならわたしがお姫様でいいの?」


「そんなわけがあるかッ! 戦争を回避したいだけだッ!」


 ちぇー、と残念そうに声を漏らした。


 が、態度がすぐに切り替わる。


「好きにしたらいいよ、人質をどうしようが、別に作り直せるから」


 今更、騎士団は驚かない。

 元々、和歌とは違って住民を簡単に切り捨てるユカだからこそ、脅しではなく、ユカ自身がメリットだと思う交換条件を提示しにやってきたのだ。


 人質はあくまでも交渉の場につかせるための舞台装置であった。

 ……実際は、提示した最高級のメリットが、ユカにとっては譲れない不満だったらしく、失敗だったが。


「……本当に殺すぞ」


「戦争だもん。仕方ないよ。ただ、人殺しをわたしは悪とし、正義に則って退治する。やられたらやり返すってわけじゃないよ? 悪党は世界にいたら迷惑だから、わたしが代表して殺してやるんだ。そうなんでしょ? ――うん。だよね」


「…………?」


 男がユカの異常性を、今更ながら把握した。

 今まで、なんだかんだで隠れていたヤバい感じが、今は溢れ出ている。


 きっかけは分からない……、あるとすれば今、彼女は一体誰と話していた?

 質問と返事の間が、まったくなかった。


「…………今日は、引こう」


 騎士が声を絞り出した。

 たくさんの船を持ち出し、人員を割いて、成果の一つも上げられなかった、では、忠誠を誓う姫に合わせる顔がない。


 勝手な行動に厳しい処罰が下されるだろう……。

 それを覚悟してでも、この場から離脱するべきだと警鐘が鳴ったのだ。


「散らばった騎士たちに、すぐに連絡をして、人質を解放させるように伝える。だから戦争はしない、これまでだ。……当然、合併の話もなかったことにさせてくれ」

「合併はしてもいいと思うよ?」


「一番でなくてもか?」

「そこは譲れない、一番だ!!」


 繰り返されるやり取りに、男が辟易した。


「残念だ」


「結局さ、ニオが欲しかったからわたしを引き入れようとしたんでしょ? 先輩の時と同じようにさ。遠回りだけど、目の前にいるニオを奪えないから仕方ない方法なのは分かってる――ってことはさ、ここで引いてもまた別のタイミングで交渉にくるんでしょ?」


「……姫様が、ニオ様を手に入れることを諦めていなければ、そうなるな」

「先輩の村を襲ったみたいに?」


「甲冑隊のやり方は好きじゃないな。可能性がないとは言えないが――」


 神が強いのは分かっているが、念入りに作戦を立て、彼女の意識を散らして襲撃すれば人間が神に抗えないわけではないと、和歌で証明されてしまった。


 島が襲われ、人が死のうと作り直せばいいと考えているユカも、だからと言って何度も何度も一から作り直すのは面倒だ。

 和歌の心労も考えると、おいそれと襲撃を許すわけにもいかなかった。


 なんとかして、原因を取り除き、今回限りで手を引かせたい。


 甲冑隊のように、騎士団を処分する……アヤノにニオを諦めさせる――、それが簡単にできるなら、最初の段階でやっていた。

 アヤノに折れる気はなさそうだ。


 事情は知らない。

 聞いても教えてくれそうにもなかったし、聞いて、そうですか、とニオを渡せるとも思えなかった。


 なんとなくニオを失うかもしれないという予感が働いたのだから。


 ニオにこだわっている、理由がある。


 ニオでなければ、ならない理由?


 ――原因を、取り除けば解決するのなら。


 ぽんっ、とユカが手を打った。




「待て、彩乃!」


 ユカの島へ向かう途中の海上で、アヤノの背に追いついた和歌が声をかけた。


「お前の狙いはニオであって、オットイじゃないだろ!」


 オットイは全身をロープでぐるぐる巻きにされ、アヤノの杖からぶら下がっていた。

 下を見て、その高さに顔面が蒼白になっている。


「最優先じゃないだけで、この子も欲しいよ?」


 アヤノは背後の和歌を尻目に見ても、速度を緩めなかった。


「なあ……お前はなにがしたいんだ? どうして……ッ!」

「和歌先輩の大陸を襲ったのかって?」


 それは甲冑隊の独断行動であると、和歌は知っている。


「違う! オットイや、ニオをどうして欲しがる!! 私たちと敵対してまで、だ!」

「言いたくない事情があるって、察してくれると思ったんだけどなあ……」


 吐き出された深い溜息に、和歌が呼吸を詰まらせた。


「……なら、これだけは教えてほしい――」


 アヤノが僅かに速度を緩めて、


「なに?」


「ニオやオットイが、消えたりすることはないんだな?」


 アヤノが頷いた。


「そんなことは、あたしだって許さないよ……!」

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