第33話 モーラ
すぐそこに見えているようで、長い距離だ――やがて、暗雲が大陸を覆い始め、向かってくる突風が、駆ける白馬の体を押し戻す。
脅威的な突風で、モーラの体が浮いた。
手綱を握っていたのですぐに飛ばされることはなかったが、腕の力も限界を迎え、ずるりと手綱から手が離れた。
苦労して進んだ坂道をほんの数秒で転がり落ちる。
「あだっ」
と打ち付けた体の痛みに顔を伏して悶えていると、相棒の白馬が心配そうに顔を寄せてきた。彼の顔を手の平で撫でる。
「……あたしはだいじょうぶだ。――それよりも、お姉ちゃんの方が……」
すると、大きな音と共に、遠くで砂煙が上がった。
まるで狼煙のように、居場所を知らせている。
「……走れる?」
白馬が高らかに鳴いた。
モーラを鼻先に乗せ、持ち上げる。
己の背に乗せ、荒々しく鼻息を鳴らした。
手綱を引けと、目で訴える。
「……分かった。お願い!」
合図と共に、白馬が走り出した。
前へ進むのにも一筋縄でいかなかった突風が、気付けば止んでいた。
坂道を越えたモーラが見たのは、劣勢に陥っていた大陸の神の姿だ。
彼女が頭につけていた三角巾が落ち、風に乗ってモーラの足下に滑ってくる。
拾って握り締めている間に、戦闘が動き出していた。
しかし、モーラの目では捉えられない。
それくらい、次元の違う戦いだった。
キィンッッ! という短い金属音と共に空中へ回転しながら飛んだものがある。
モーラのすぐ傍の地面に、刃が突き立った。
長い柄を持つそれは、和歌が武器として使っていた、杖が変化した薙刀だった。
直撃はしていないものの、かすった裂傷が多い和歌がその場で蹲る。
彼女の首元に、剣を向ける敵がいた――モーラも見知った少女であり、和歌の友人であるはずだ。
「……あのお姉ちゃんが、話し合いじゃなくて武器を向けてるなら、敵、なんだ……っ」
彼女の選択なら、顔見知りでも敵である――疑う余地はなかった。
地面に刺さった薙刀を抜くため、モーラが近づき、柄を両手で握り締めた。
引っこ抜こうと力を入れるが、中々抜けてくれなかった。
そんなモーラに、横から怒声が浴びせられる。
「モーラッ! なんでこんなところにいるんだ!? 危ないから離れるんだッッ!!」
滅多に叫んだりしない優しいお姉ちゃんの怒鳴り声に、モーラの手が杖から離れた。
「お、お姉ちゃん……でも、でもッ! お姉ちゃんは今、困ってる!!」
武器を飛ばされ、喉元に剣を向けられ、彼女には対抗手段がない。
生意気かもしれないが、この武器を渡せば、戦況を変えられるかもしれないとモーラは考えた。
和歌も黙って剣の餌食になるつもりはないだろう。
反撃をせず逃げに徹すれば、最悪の事態は免れる。
しかし、武器を取らなければ勝負には勝てない。
武器を取るという唯一の勝機を、敵がやすやすと見逃してくれるはずもなかった。
敵は、それだけは阻止しなければならないのだと分かっているはずだ。
だからモーラが必要なのだと、自身で重要性を把握しているつもりだ。
「バカっ、私なんか放っておいて逃げるんだッ。神の戦いにモーラが入ってこれるわけがないだろうっ!」
「そうだよ! あたしの力なんかじゃなにも変えられないよ! でも、でもさ……お姉ちゃんが指示してくれれば、あたしはこの武器を移動させることくらいできる! お姉ちゃんの邪魔をしないように、お姉ちゃんを手伝うことくらいできる!! ……いつも失敗ばかりで、迷惑ばっかりかける使えない子だって思ってるかもしれないけど……あたしがお姉ちゃんを助けたい気持ちは、本物なんだからっ!!」
離してしまった柄を、再び握り締める。
呼吸も忘れて、一心不乱に引き抜くために力を入れ続けた。
「――余計なお世話だ、モーラッ!」
突き放された言い方に、モーラの緊張の糸が切れ、力が途切れる。
抜けそうに感じていた突き刺さった刃が、さらに深く刺さったように感じられた。
和歌の言葉に立ち尽くし、ただ呼吸を繰り返す。
「……お前に、助けられる、私じゃない」
――いつも、そうだ。
辛い時、苦しい時、和歌は誰にも助けを求めずに自分でなんとかしてしまう。
なんとかできてしまうから、そうしているだけなのかもしれないけど……少しくらい、頼ってくれてもいいと思っていた。
どうして?
役立たずだから?
……モーラだから?
もしもこの場に自分でない誰かがいたら、その子には頼むのだろうか?
……いや、きっと彼女は助けを求めない。
誰だろうと、失敗ばかりのモーラだろうと、こうして強い言葉ではね除けたはずだ。
「自分で解決できるからって、一人でやり遂げなくちゃいけないわけじゃないのに……」
たとえ簡単な仕事であっても、辛かったら、手伝って、と言っていいのに。
みんな、和歌のその言葉を待っているのに……。
「だったら、さ――」
モーラが叫んだ。
「だったら、辛い顔すんな、バカ――――ッッ!!」
完璧なお姉ちゃんのままでいてくれれば、モーラだって安心できる。
村のみんなだって心配なんてしないだろう。
たまに見せる思い詰めたような表情を浮かべるから、みんな心配なのだ。
「澄ました顔で、余裕を持った状態で言いなさいよっ……! 今のお姉ちゃんは誰かに傍に寄り添ってほしい……そう願ってるように見えるんだからっ!」
「そ、そんなことは……」
「ある! 鏡を見ろ、なんでもかんでも背負い込んでんじゃないわよッッ!」
そして。
「少しは、あたしらにも分けなさいよ――あたしたちは、家族でしょっ!?」
もしも、モーラのように強く、頼れと言えていたなら。
……兄は、自殺なんてしなかったのかなあ、と。
辛い心に響いたモーラの言葉によってこぼれそうになった涙に耐えながら、思った。
兄は、多分、しなかった。
こんなの、プライドなんて、どうでもよくなる。
だって、今の和歌がそうだ。
自然と、差し伸べられたモーラの手に、気付けば手を置いていたのだから。
実際の距離は遠い。
でも、モーラは自覚なく、和歌の心へ踏み込んできていた。
その間合いは、ほとんどないに等しいものだった。
「……助けて、くれる?」
年下に向けて、決して和歌から出ない言葉。
思わず出た本音に、和歌自身も甘え過ぎだと自覚し、言い直した。
「お願い、モーラ――手伝って!!」
しかし、和歌のぎりぎりで保とうとしたプライドは、モーラには看破され、
「うん。今度はあたしが、助ける番だ」
手伝うのではなく、助けるのだと、声を上げた。
そして、モーラと相棒である白馬の力によって、突き刺さった薙刀が地面から抜けた。
抜いた薙刀を持って白馬に乗り、大地を疾走する。
タイミングを見て和歌に手渡す、もしくは投げ渡すつもりだ――しかし、ユカはそれを阻止すればいい。
和歌を攻撃することが阻止することに繋がるのだから、結局、やることは変わらない。
二人いるから優勢というわけでもないのだ。
最大の難関は、モーラには和歌が見えていない不利な状況だ。
神同士の戦いは、速過ぎて、凡人には視認できない。
しかも周辺被害を抑えようとしても少なからず地形を崩してしまう。
モーラにとっては、天変地異である。
気を抜けば、足場が崩れて落下してしまう危険もあった。
「逃げるのが上手いね」
投げかけられる言葉に和歌は答えない。
もうユカとは思っていなかった。
見た目が同じであるだけの別人だと思い込む。
でなければ、躊躇いが生まれてしまうと自覚したためだ。
「勘違いしてるよね?」
ぎりぎりのところで、つかず離れずの距離、微妙な間合いを繰り返し、剣の攻撃をくぐり抜けてユカの意識を引き続ける。
大きな隙を誘うために小さな隙を全て見逃していた。
そのためユカが誘っているあえて作られた小さな隙も結果的に避けていた。
同時に、ユカの意識がモーラにいかないように、和歌の方があえて隙を見せて誘っているくらいだ。
だけど、主導権は変わらずユカにある。
「どうせあの子を狙えば、先輩はついてくるでしょ?」
「ッ!」
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