第36話 勇者、起きる

 夜の病院に駆けつけたオットイとニオ、アヤノが、手術室前に辿り着く。


 ランプはまだ点灯したままだった。

 和歌と雰囲気が似た女性が、アヤノを見て、頭を下げた。

 反射的にオットイとニオが頭を下げたが、アヤノはそのまま彼女に近づいていき、


「先輩の様子は……」


 その時、点灯していた手術中のランプが消え、扉が開いた。

 手術衣を身に纏う中年の男性が姿を見せる。


 一通り、周りに視線を回してから、


「お母様ですか?」


 和歌の母親に、現状を伝えた。


 ナイフによる刺し傷。

 重傷ではあったが、刺し傷にしては比較的軽度のものであり、引き続き治療を続けていれば命に別状はないらしい。


 娘の安否が分からなかったため気を張り続けていたのが今、ふっと気が抜けたことで母親がその場に崩れ落ちた。


 看護師が手を貸し、母親の体を支えて、予定の病室へ案内している。

 その背中を見つめるアヤノも、同じようにその場に崩れ落ちた。


「……良かった、先輩……っ」


 ついさっきまで散々泣いていたアヤノが、目尻に溜まった涙を指で拭った。

 すると、手術室に戻ろうとした医師が、振り向いてアヤノたちに気が付いた。


「君たちもこの子の病室に向かうのかい? なら、案内を……」

「いえ、あたしたちは、また後日、顔を見にきます」


 医師に断りを入れて、その場から離れた。


 和歌がすぐに目覚めるとは限らないが、彼女が目を覚ました時にまず声をかけるべきは母親だと思うし、親の表情を見て己の身勝手な行動がどれだけ周りに迷惑と心配をかけるのか、その身で知るべきだ。


 それに……、建前を除けば、正直同じ病室には居づらかったのだとアヤノが吐露した。


「……ゆかちの狙いはあたしなんだ……あたしがこっちの世界に逃げてこなければ、ゆかちはあたしを狙ってはこなかったし、和歌先輩が盾になる状況も生まれなかったッ!」


 最大の誤算が、ユカが平気で人殺しに走ったことだ。


 神の力が扱えなくとも人を殺す道具は確かに周囲にいくらでもあるが……方法だって一つじゃない。

 しかし、人の目もあり、人道的に人殺しが許容されていないこの世界で平気で人殺しをしようとするなど、予想もつかなかった。


 とは言え、ユカは既にユカではなくなっていた。

 だったら、思考を切り替えるべきだったのだ。


 向こうの世界からやってきたこっちの世界の常識を知らない勇者が、魔王を前にして手段を選ぶはずがない、と、改めて考えれば分かったはずなのに……。


 それを怠ったのは、アヤノの失敗だった。


「……でも、変わらなかった気もします」


 ニオが言った。


「力が使えないのはアヤノ様も同じ、なら。手段を選ぶアヤノ様に比べて選ばないユカ様の方が有利なのは変わらない……。結局、アヤノ様が危険な目に遭って、和歌様が庇って同じことになっていた……と思います」


 和歌が考え方を変えない以上、こうなることは決まっていた。

 避けられない運命だった――だとしても、アヤノの負担は決して減りはしない。


 周辺被害がなく、和歌だけが犠牲になったことを前向きに考えるべきか――。

 今のユカなら、邪魔する者なら誰だろうと手をかけるだろう。


「あたし……が、隠れなければ、勇者も満足するんだよね……?」


「! だ、ダメです! 今、アヤノ様が出ていって斬られるなら、和歌様の怪我に意味がなくなっちゃう! ここまで逃げて諦めるのだけは、絶対にダメッッ!」


「でも、これ以上、被害が出たら――」


 関係のない人間が怪我をし、挙げ句、殺されたなら……。


「それこそ、あたしは自分の手で、自分を殺すだろうね」


 ニオが言葉に詰まる。

 言い返せる言葉がなかった。


 アヤノの言っていることは間違っていない、自分を蔑ろにしてはいるが、正論だ。

 納得はできないが、道理は通っている。

 とても魔王らしくはなかったが……。


 む~、と必死に考えるニオは、説得の一つもしないオットイに視線を向けた。

 ……助けたいと言いながら、彼は一歩も動き出さなかった。


「お兄ちゃんっ! どうしてアヤノ様になにも」


 ニオの口が塞がれた。

 と言っても、人差し指が唇に向けられただけだ。


 病院の待合室だから静かに、という意味ではない。

 そういう意味合いも含まれてはいたが、少なくとも迷惑になるから、と他人に気を遣っている余裕も、彼にはなかった。


 大型のテレビだ。

 緊急のニュースが画面に映っていた。


『つい先ほど、ショッピングモールで逮捕された通り魔が、警察署より脱走しました』


 機械音声のような、女性アナウンサーの声が響いた。


 映っているのは、犯人の顔写真。

 彼女の笑顔が、通り魔というレッテルによって不気味に見えている。


『みなさま、周囲にお気を付けください』


 不安を煽るような言葉と共に画面が切り替わり、脱走した通り魔の推測ルートが導き出されていた。

 市全域が警戒地域となっている。当然、この病院もだ。


 周囲がざわつく中で、オットイの手が、アヤノの手をがしっと掴んだ。


「逃げよう、アヤノ様!」

「でも、どこに……っ」


「人通りの少ない場所に! 相手が神様じゃなくてただの女の子なら、腐ってもぼくは男だ! 元々の力で、どうにかできない差があるわけじゃない!」


 アヤノの手を引き、全力疾走で病院内をひた走る。


「病院内は走らないでください!」

 という看護師の注意にも耳を傾けず、


 オットイの後方でニオの「ごめんなさいっ!」の声が響いた。


「……どうして守ってくれるの? ……あ、いや、そっか、だってニオなんだも――」


「勇者ニオとしてじゃなくて、ぼく……オットイとして、アヤノ様を守りたいと思ったから助けるんだ。……百年も引きずった約束じゃない、百年前の勇者が言うから、動いてるわけじゃないッ! この時代に生まれたのはぼくで、この体と心は、ぼくのものだ! 操られたわけじゃない!! ――このぼくが、助けたいと思ったから助けるんだ……ッ、この気持ちは、ぼくのものなんだッッ!!」


 自分の存在が前世にかき消されるオットイの葛藤など知る由もないアヤノは、彼の感情がこもった言葉の本当の意味など気付かないだろう。


 表向き、そのままを受け取った。

 だから素直に答えた――それは、オットイにとっては、認められたと思えた言葉だった。


 アヤノはひたすら、百年以上の間、勇者ニオだけを想い続けていた。

 人生のほとんどを勇者を取り戻すために使うつもりだった、と言うくらいだ。


 そんな彼女が、素直に勇者以外に、初めて頼った。

 頼らざるを得ない状況とは言え、それでも、自分以外をあてになどしなかった彼女が。


「……ニオは、あんな勇者を世に出すつもりなんてなかったんだ……分かるんだよ。だから、あの勇者を止めてほしい……ゆかちを、このまま暴れさせるわけにはいかない! あたしを囮にでもなんでも使っていいから、だから、オットイの中にいる、ニオを――あの子を助けてあげてッッ!!」



『わたしが助けようとしたのに、いつの間にか助けられようとしてる……』


 背中合わせから距離を取り、走り出そうとしていたオットイの足が止まった。


「ごめん、ぼくの我儘で、君を受け入れなかったから……」


『いいよ、だって、わたしは過去の人間だもん。今の時代は君の人格が相応しいし、ルールだしね。百年前の人間が出しゃばったりしないよ。……ただ、後世に残した勇者の頭が固くて困ってるけどね……』


「ぼくがなんとかするよ」

『誰のために?』

「もちろん、ニオのために」


 守りたい妹のために、だ。


『そこはアヤノじゃないんだね』


「アヤノ様のことは、ニオが救って、って言ったからだよ。それに、救いたいと守りたいは違う欲求だよ。優先するならもちろんニオだけど、アヤノ様がいなくなってニオが悲しむなら、アヤノ様をなにがなんでも失わせない。文句は言わせないよ、いくらぼくの前世で、今ぼくの裏側に君がいようと、どれだけアヤノ様のことを君が想っていようと、最優先はニオだ」


『君の体と心なんだから、誰を優先し、切り捨てるかは君が決めるべきだよ』

「うん、だから、ぼくは……」


『任せてもいいんだね?』


 背中にかけられる声……含みのある言葉だった。


『わたしの代わりに、アヤノを……お姉ちゃんを、助けてあげて――お願い』


 たらればだが、もしもオットイに輪廻転生するのだと分かっていれば、強い意志だけを乗せた中途半端な勇者の役目を、後世に残したりはしなかった。


 オットイに『勇者』を受け継がせれば、それで全てが解決したはずなのだ。


「それは……買い被りだよ。元々、ぼくは引っ込み思案の目立たない男だった」


『うん、成長したって自覚し、過去の自分を客観視してるなら、本当に変わったんだよ。もう昔の君じゃないんだよ、もっと自信を持っていいのに。ぼくが勇者になるんだー、くらい言ったって、誰も笑ったりしないんだから』


 後ろ向きなオットイを、引っ張るかのようなその接し方は、まるで……、


「……ニオ、ちゃ――」

『後ろを向いたら、それこそ君は元に戻ってしまうよ』


 彼女の指先が、オットイの振り向きかけた頬に突き刺さる。


『それに、わたしも勇者であるけどニオなんだから。百年以上前の、もしも生きていたらおばあちゃんのわたしを、ちゃん付けするのはどうかと思うね』


 オットイが意識して前を向くと、背後の気配が薄れていった。


『あの子……ユカ、っていう子はほとんど次世代の勇者に飲み込まれて、元の人格が消えつつある。わたしもそうだけど……、完全に消えるには、数年かかるかもしれないけど、君の自覚なく、気付いたらいなくなっていると思う……。だから、あの子にもまだ猶予はあるはず……あの子に戻りたい意思があるなら、だけどね』


「……戻りたい意思がなかったら……」

『きっともう、完全に乗っ取られてしまってると思う……今からのわたしみたいにね』


 さすがに、オットイも振り向かずにはいられなかった。

 しかし、既にその場に、勇者ニオの姿はなかった。


 彼女の声だけが聞こえる。


『わたしの気持ちは、伝えたからね』


 ――彼女から受け取ったものを握り締め、胸に叩きつける。


 頭に巻いていた手ぬぐいを引っ張る。押さえつけていた男にしては長い髪が下ろされると、瓜二つと言える、ニオとそっくりの容姿になった。


 ……双子であることを否定したかった。

 こんな弱い自分が世界にいれば、ニオの顔に泥を塗ってしまうと恐れていたからだ。


 だが、それももう終わりだ。

 弱いと決めつけ後ろ向きになるのは認めてくれた人を裏切ることになってしまう。


 彼女が言ってくれた言葉を、嘘にはしたくなかった――だから。


『自信を持って――君は、強い子だよ』


 もしも事実と異なっているのであれば、今ではなくその先で変えればいい。


 事実の方を変えてしまえば、言葉は嘘ではなくなるのだから。

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