第37話 勇者、急襲

 夜の町は赤いランプで照らされていた。

 至る所でパトカーが走っている。


 加えて、警察官が多く出動しており、その両目で周囲を警戒していた。

 見たところ、穴がない。

 脱走したはいいが、ユカがこの包囲網の中で自由に動けるとは思えなかった。


「どうだろうね? 力が使えなくても、勇者の運動神経は並外れてるはず……」


 一度捕まり、警察署から脱走したのが証拠だ。

 ただの女子高生が、策略だけで脱走できるほど警察も甘くはないだろう。

 逆に、勇者が警察を撒いたと言われれば、不可能だとは思えない。


「じゃあ、この包囲網には……」

「意味がない」


 とまでは、アヤノも言わなかったが、足枷にもならないだろう。


「……どうするつもり? 男と女の差はあると思うけどさ、運動神経の差で埋められたらオットイに勝ち目はないんじゃない?」

「……ぼくも思いついたことだよ。でも、埋められた差は環境で補うつもり」


 たとえば小路に追い込めば、一本道で、正面勝負に持ち込める。

 守るべき二人を背に置いてしまえば、傷つけられる心配もない。


 戦いに不慣れなオットイにとって、見なければならない視界が狭くなるのは助かるのだ。

 一本道であれば、正面と空中、二つに意識を割けば、対応できないこともない。


 人間離れした技を出されたらどうしようもないが、この世界にいる以上は人間の延長線上にいる。

 たとえ勇者だろうと、オットイでも拮抗するまでは持ち込めるはず……。


 ただし、男女の力の差を埋めようと向こうも画策するはずだ。

 ユカが無策でただ突っ込んでくるとは思っていない。

 オットイが環境で差を埋めたように、戦略で攻めてくる可能性もある。


 百戦錬磨の、経験ではなく知識と本能を持つ勇者だ……思った通りに小路へ誘えたとしても、そこで気を抜いてはならない。


 そもそもどうやって小路へ誘うのか、まずはそこからだ。

 簡単に言えば、ユカはアヤノを狙っているのだから、小路にいれば向こうからやってくる。


 だが、場を取ったこちらが有利そうに見えて、居場所を晒け出している不利とも言える。

 急襲は覚悟しておかなければならない。

 ただ、それさえ凌いでしまえば、後はこっちの策がはまったようなものだ。


 警察が曲がり角の度に張っている以上、堂々と移動はできないだろう。

 それに、長引かせれば彼女はどんどん自らの首を絞めていくことになる。

 できることなら小路だろうと、その場で決着をつけたいはずだ。


 魔王からは逃げない、というプライドがなかったとしても、勇者は意地でもこの戦いにおいて背は向けないと断言できる。


「――ぼくの方向性は決まったよ」


 しかし、結果は惨敗だった。

 オットイは、一歩目から躓くことになる。


「……あれ?」


 気付いたのは後ろにいたニオだった。

 遅れて、アヤノも異変に気づき、オットイは思考に沈んでいたせいか、気付けない。


「ニオ?」

「……急に、静かになった」


 意識を向けて、オットイがやっと気付いた。

 やかましく鳴っていたサイレンが、ぴたりと止んでいた。

 まるで、夜の海の上のように――波の音がないのでそれよりも静かだ。


 人の気配も同時に感じられなくなった。


 だが、いなくなったわけではないようだ。

 見回してみれば、警察以外にもスーツを着たサラリーマンやジョギングをしていただろうスポーツウェアの男性がいた。


 ただし、その場で倒れた状態だったが。


「なに、が……」

「――オットイ、上!!」


 アヤノの呼びかけに反射的に上を向いたオットイが見たのは、雲が離れて見えた月と被る、人影の姿だった。


 同時に、足下から聞こえる着地音。


「え」


 と声を出している間に、オットイが繋いでいたアヤノ腕が、肩から切り落とされていた。


 ジュワッッ、と熱した鉄を水に入れたような音と共に、アヤノの中にある黒色の魔力が浄化されて、白い煙となって空に上がっていった。


 オットイが繋ぐ、落とされたアヤノの腕が、ぼろぼろと崩れていく……。


「アヤノ様ッ!!」

「うぅ……ッ」


 アヤノは力が扱えないだけで回復力は変わらず魔王である。

 かすり傷のような軽傷だろうが今のような切断だろうとも、すぐに回復する体だ。


 しかし、斬り落とされた腕はぼろぼろに崩れたものの、肩から一向に生えてこなかった。


 いつもと違う。本来の力が発揮されていない……。


「心臓に切り込みを入れるつもりだったけど、はずされちゃったか」


 月よりも輝きを放つ、黄金色の剣を握る、ユカだ。

 いや、彼女の中にはもうユカはいないだろう……この時代の、勇者と言うべきだ。


「そ、れは……、聖剣……っ!?」


 かつて、それはアヤノの目の前で失われたはずだった。


 だが、幻でもレプリカでもなく、魔王であるアヤノの回復力を阻害し、浄化しているため、本物と言わざるを得なかった。


 なぜそんな物を持っている……よりも、まず着目するべきは、どうして聖剣を扱えるのか――言い換えれば、


「どうして、この世界で勇者の力が……っ!?」


「長かったよ。待つのは慣れてると言ったけど、確信した勝利を目の前にしてお預けされると一度目の数倍、待つのがしんどいものなんだねえ」


 続けて振るわれそうになった、聖剣を握る勇者の腕を、オットイが横から掴んだ。


「やらせな――」

「勝機はないよ。もう男と女の差じゃない。勇者と人間の差になってるんだから」

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