第17話 神の弱点

 島なので食材は魚が多い。

 ニオは言わずもがな、和歌も手馴れており、魚の下処理は充分にできる。


 子供たちの数を考えると、手間はなくとも物量が多い。

 とは言え、そもそも二人ともが料理を苦にしていないため、手を休めたりはしなかった。


 口数が少ないのは集中しているためであり、子供たちが不安そうに彼女たちの背中を眺めている理由とはなんの関係もない。


「(……喧嘩してる?)」

「(いや、あのニオだぞ? ……嫌われてるはずないだろ)」

「(で、でもでも、全然しゃべってないよ!?)」


 背後に感じる気配に、和歌がくすっ、と、我慢できずに笑った。

 隣のニオが恥ずかしそうに、


「……子供たちが落ち着きなくて、ごめんなさい……」

「いや、子供ってのはああじゃないと。結花や彩乃までがああやってうろちょろされると困るが――まあ、だとしても、可愛いもんだよ」

「アヤノ、様、ですか――」


 下処理をしていたニオの手が止まった。

 口数が多くなっても決して止まらなかった手が止まったことで、和歌が視線を横へ。


「ニオ?」


「わたし、覚えていなかったんです……人違いかもしれないと思いました。でも、間違ってるのは向こうだ、なんて、言えないですし……そう言い切れるほど、わたしはわたし自身の記憶を信用できません……。海賊に攫われて、神様に助けてもらったあの日よりも前の日々を、覚えているようで、でも、確かにところどころ、穴があるんです……」


 幼少の記憶なんてそんなものだろうが、そこを不安に思う気持ちも分かる。


「アヤノ様から逃げてきて、良かった……と、言えるのでしょうか……?」


「あの場にいたら彩乃と結花が敵対してたよ。日頃からよくあることだけど、神の力を持ったこっちの世界だと収集がつかなくなる。あの二人は無事で済むだろうけど、ニオたちはひとたまりもないだろう。あいつらをクールダウンさせるためにも、こうして距離を取ったのは正解だと言えるさ」


 ニオが上目遣いで、和歌を見つめる。

 ……道端に捨てられた子猫を見つけたような気持ちが和歌の中に生まれた。

 ユカが特別、ニオを気に入っている理由がなんとなく分かった気がする。


「そう、ですか……?」


「なにもこれから先、ずっと逃げ続けるわけじゃない。話し合いの場は設けるさ。彩乃がニオと仲良くしたいだけなら歓迎する。別に理由があるなら、聞いた上で判断する。とにかく、ニオが標的なのは分かっているんだ、私と結花でこうして一緒にいて守っていれば攫われる心配はないよ」


 はい、と頷き、ニオが手を動かし始めた。

 ただ、さっきよりもぎこちない。

 安心させようとしたが、思い通りにはいかなかったらしい。


 不安、よりも、ニオはアヤノに対する後ろめたさがあるのだろう。


「優しいね。だから、誰からも好かれるんだろうな」

「そんなことは――」


 その時、どたどたと院の中を走る足音が近づいてくる。

 こらっ、と叱るために息を吸い始めたニオだったが、想定していた言葉は出ない。

 二人の背後に現れた男の子の顔が、動揺していたからだ。


「ニオっ、海がっ、なんか、海に――ッ」



 和歌とニオが、子供たちに連れられ、港へ下りる。

 漁に使う帆船や海賊船が停泊している桟橋に近づくと、見えてくるものがあった。


「……これ、は……っ」


 海に浮かぶ、見たこともない生物。

 それはこの島の人々において、であり、和歌とニオは既に知っている。


 浜辺の王と呼ばれている、緑色の生物だ。

 ……和歌の認識では、ワニである。


 一匹ではなく、数え切れないほどだ。まるで死者を弔う祭りの灯籠流しのよう。


 世界が繋がったのであれば、当然、海も。

 海流に乗って、大陸から島へ流れてくるのは不思議ではない。


 ……大陸で、殺された……? 弱肉強食の敗北者、そんな死骸には見えない。

 食すために殺したのではない、快楽を含んだ剣の斬り傷が見えた。


「酷い……、どうしてこんな……ッ!」


 横でショックを受けているニオを励ますこともできない。

 和歌は片手で顔を覆う。――胸騒ぎは、さらに激しさを増すばかりだ。


 いつだ? 流されたのなら殺されたのは今よりも前になる。

 剣の斬り傷、思い当たる節はあの甲冑だ。


 大陸に侵入し、生物だけを殺している……? 

 そう思うのは楽観的過ぎるだろう。


 アヤノの国は、食材には困っていない。珍しい生物を目的にしているなら、こんな風に大量殺害はしない。殺された生物の死体は多く……つまり、戦力差には大きな開きがあるはずだ。


 邪魔をしてくる敵を、向かってくる先から斬り捨てて進んでいる、とすれば?


 甲冑たちの目的は――、


 ばっ、と和歌が伏せていた視線を上げた。


「ニオ、ちょっといってくるッ!!」


 杖に足をかけ、満足に跨がる前に、杖が最大速度で風を切った。



 村へ戻った和歌を出迎えてくれる子供たちはいなかった。

 待っていたのは、装備で身を包む、甲冑の男たち――彼らが持つ剣には、滴る赤い液体が付着しており……、


 見覚えのある横顔が、地面に倒れ伏している。


「おい……、やめろ……」


 子供たちの悲鳴が聞こえる。


 剣が肉を裂き、人体に詰まった血が、炸裂するように噴出している。


 子供相手なのに、彼らは躊躇いの一つも見せなかった。

 見た目は子供だが、中身は大人であると見抜いているからか……? 


 和歌よりも年を重ねているため、頭がある。

 知識や策謀を練るには向いている者が多い。


 しかし、体の成長が知識に追いついていない。いくら良い作戦を思いつこうと、実行するだけの体がなければ対抗できない。


 歩幅の違いで、逃げることも満足にできない。


 小さな体を活かして隠れても、子供が塞げる障害は大人にとっては簡単に取り除ける。


 隠れるとは、すなわち袋小路に自ら飛び込んでいるのだ。


「やめろッッ!!」


 和歌の杖が甲冑の胸を叩く。

 べこんっ、と胴が凹み、頭部を覆う鎧の隙間から吐き出した血が流れてくる。

 地面を滑った足が数十メートル先で止まり、甲冑が真後ろへ倒れた。


 その衝撃音に、甲冑たちが、和歌の姿に気付いた。


 一人の甲冑が目立たないよう、僅かな動かし方で指を動かす。

 それが言葉を必要としないサインなのだと、和歌は見落とさなかった。


 周囲の変化に意識を割く――遙か後方の甲冑が、村を出ていくのが見えた。


「あいつら……っ、どこ……――」


 和歌の視線を遮るように、甲冑が前に立つ。

 杖を強く握り締めた和歌は、周囲から聞こえてくる悲鳴一つ一つに視線を回す。


 怪しげな動きをした甲冑を追う、襲われている子供たちを守る、目の前の男を除ける、しかし、和歌の体は一つだ。

 同時に起こる危機を一気に解決させるのは難しい。


『それが神の穴だ』


「…………あんた」


『大陸が広いと大変だろう。一際大きなこの村でさえ、お前は満足に管理下の子供を守れていないのだから。たとえ、大陸の端にいる子供を助けられても、反対側の子供は見捨てることになる。しかし、誰も責めはしないだろう、仕方ない。そういう選択をするのが賢い。……いくら神であっても、誰にだって弱点はあるものだ』


「…………ふざけるな」


 杖が横薙ぎに振るわれた。

 ぺりぺりとめくれた地面が、子供を包むように、盾になる。

 甲冑から振り下ろされた剣が、刃こぼれを起こして弾かれた。


 自分の大陸となれば和歌は誰にも負けない自信がある。

 もちろん、相手がアヤノ、ユカであろうともだ。


 大陸が大きいというのは扱える大地の量もユカに比べて桁違いだ。アヤノのように既に町として発展していると躊躇ってしまう規模でも、和歌にとってはほとんど余裕がある。


 村の半分を飲み込むような大地の高波を作ることも可能だ。


 押し寄せる大地の高波に甲冑たちはなす術もなく飲まれていく。


 渦潮の形となり、人影が真ん中へ吸い込まれ、土の海が平らにならされていく。


「子供たちは誰一人、見捨てたりしない!!」


『心意気や良し。しかしこうしている今も、お前の意思がどうあれ切り捨てられたと思いながら死んでいく子供たちは多いわけだが、どう助けるつもりだ?』


「それは……、」


 僅かな迷い。


 甲冑の内側で男が笑みを見せている、と、和歌は雰囲気でなんとなく掴み取る。


 ――くそっ、と心の中で毒づいた。


 おねえちゃぁん! と助けを求める声が、村のあちこちから聞こえてくる。


 甲冑の言う通り、全てを同時に救う手足があるわけもない。

 たとえ神の力があっても、精々二人、三人が限界だろう。

 まとまってくれていればまた別だが、離れてしまっているとどうしてもカバーできない。


 一人では、どう助けようとも、こぼれ出る数人がいる。

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