第30話 平和のために

 偶然か? 

 必然か? 


 魂はオットイに、

 肉体はニオに、それぞれ宿っていた。


 アヤノが欲していた勇者ニオのパーツが、これで揃ったことになる。


「どうして、魔王を助けるの……? ッ、わたしを後世へ送り、勇者の使命を全うせよと託したのは、あなたのはずだ!!」


 ユカ……の皮を被った次世代の勇者が声を荒げた。


 オットイは答えない。

 彼はまだ、ユカほど人格を乗っ取られてはいなかった。


 彼女へ返す言葉も、答えも、オットイはまだ聞き出せていなかったのだ。

 アヤノの手を引いて、異世界へ通じる扉となっている、巨大な姿見の前へ。


「逃がすものか」


 しかし、ユカの足が止まり、背後から迫っていた刃を剣で受け止めていた。


「先輩は、やっぱりあっち側ですか……っ」

「そういう線引きはしていないな。私は、ユカの味方だよ」


 和歌の視線をオットイが受け取る。

 彼女から、早くいけというメッセージだ。


「いこう、アヤノ様!」

「う、うん……」


 手招くニオに続き、オットイがアヤノの手を引いて、鏡の水面へ飛び込んだ。



 白光が視界を染めたと思えば、目の前には緑色の地面が迫っていた。

 三人が同時に、地面へ顔から着地した。


「…………ここが……?」


 広い空間に物がほとんどなく、長方形の分厚い板が地面に隙間なく敷き詰められていた――畳と言うが、オットイの知識にはない。


 他に、力強い存在感を放つ植物が並んでいる――盆栽である。

 そして、剣と鎧が隣に置かれてあった。

 畳とは別の、茶色い床のスペースにだ。


「剣と鎧じゃなくて、刀と兜ね」


 アヤノが立ち上がって説明した。

 彼女の格好は青いドレスから変わり、紺色のブレザーに赤いリボン、校則ギリギリアウトの丈のスカート、黒いストッキングだった。


 様変わりしたアヤノの姿にオットイが言葉を失っていると、ニオに頬をつままれた。


「な、なに……?」

「扉は、閉じないの……?」


 向こうと同じく大きな姿見は、波紋ができる状態だった。

 つまり、異世界と元の世界は未だ繋がったままなのだ。


 閉じたら帰れなくなるかもしれない……しかし、放置しておけばユカが追ってくる。


「心配いらないよ。いや、扉を使わないだけでゆかちーもこっちの世界には戻れるから心配がないわけじゃないけどね……。ひとまず、この扉は閉じなくてもいいってこと」


 問題は解決していないが、続いていた緊張状態から脱することができたらしい。

 ニオと共に、オットイが息を吐いた。


「……時間感覚がおかしくなってる……確か、今日は休日、だよね」


 休日なのにもかかわらず制服なのは、ファッションに無頓着なのもあるが、引き取ってくれた老夫婦に遠慮している面もある。

 言えば買ってくれるだろうが、だからこそアヤノは休日にも学校へいくことが多いから、という理由で制服である必然性を説いている。


 実際、制服の方がなにかと役に立つのだ。


 すると、ぎし、ぎし、と床が軋む音。

 開かれた扉の外、庭を一望できる縁側からだ。


 オットイがニオを背に隠し、警戒したが、アヤノは表情を弛緩させる。

 ちょこんと顔を覗かせたのは、八十代に見える、老婆だった。


「アヤノちゃん、こんなところにいたのね」

「やっぱりおばあちゃんだったんだ……」


「お昼、用意できたから……あら?」

 と老婆が見慣れない二人に気付いたようだ。


「アヤノちゃんのお友達?」


 オットイが答えるよりも早く、

「うん」とアヤノが答えた。


「じゃあ、みんなおいで」


 そうして、老婆が去っていく。

 どこの誰でどうしてここにいるのか、詰問されるかと身構えて、それ以前にしばらく顔を出していなかった人見知りがオットイの口を塞いでしまった。


 少しは成長したのかなと思った矢先に、これだ。

 人間はそう変わらないらしい。


 いや、最初から、成長なんてしていないのかもしれない……。

 あの人を助けたいと思って踏み出した一歩は、彼女の領分だろうから。



 食事を終えて、三人は町へ出た。

 目的は、アヤノの「せっかくだから町を見て回る?」というのんきなものだった。


 万が一に備え、老夫婦がいる家から一刻も早く出たかった理由が一つ。

 もう一つは、切羽詰まっていた緊張状態から完全に抜け出すことだった。


「……人が、でも多過ぎて、これじゃあ襲われても分からないんじゃ……」


 休日のショッピングモールである。

 子供を連れた家族が多い。


 学生らしき集団、イベントスタッフなど、客と店員入り交じった多種多様な層が敷地内を歩いていた。


「襲ってこないと思うよ? 神の力は使えないし、だから杖だって持ち込めない。それ以前にさ、武器の所持が認められていないんだよ、この世界は。いや、国かな。アメリカだったらヤバかったかもしれないけど」


 ナイフ一本でさえ、持っていたら危険人物として目をつけられる。


 ユカにも立場がある。

 神の権限で隠蔽、策謀、なんでもできる向こうの世界とは違い、彼女にとっての現実では、法の下で生活している国民の一人だ。


 魔王アヤノを殺すためだけに、帆中結花千という人間が積み重ねたものを棒に振ったりはしないだろう。


「お兄ちゃんっ、あれ、なにあれ!?!?」


 と、ニオがオットイの手をぐいぐいと引っ張った。


 ニオに言われて見ると、周囲の人間とは似ても似つかない一頭身の生物が、ステージ上で子供たちに囲まれている。


「着ぐるみとの撮影会だって」

「着ぐるみですか?」

「そう。中に人が……、あ。くっく、それを言うのは野暮かもねえ」


 上品に手を口に当てて、目を細めながら静かに笑うアヤノ。


「……危険は、ないんですよね?」

「大丈夫大丈夫、あれはちゃんと躾けられてるから」


 声を出さないように笑いを堪えているアヤノを見ると、なにか間違っているのかと不安になってくるが、彼女は教えてくれなかった。


「うん、後で教えてあげる。今は教えられないね、というか、教えたくない。その子のそんな顔を見ちゃったら、言えないって」


 ニオが両目を輝かせて、ステージ上の着ぐるみキャラに心を奪われていた。


 撮影会に参加するには列に並ぶしかない。

 長くもなく、短くもなく、五分、十分で順番が回ってくるだろう列だった。


「ニオ、いかないの?」

「いく!!」


 彼女が走り出して、最後尾に並んだ。

 周囲の子供と比べると、やはり頭一つ出て大きいが、彼女はすぐに馴染んでいた。


 既に友達もできているようだ。

 このあたりの性格は、以前のニオを踏襲しているようで、変わりないコミュニケーション能力である。


 ちなみに、彼女の服装は白いワンピースである。

 アヤノから貰ったお下がりだ。


「……ニオ、なんだよね?」

「? ニオちゃんのことですか? それとも、今のニオのことですか?」


「ううん、オットイの方」


 指を差されて戸惑うも、ああ、とすぐに彼女のことであると分かった。


 しかし、オットイには彼女のことは詳しく分からない。

 百年前の勇者である、としか聞かされていないからだ。

 背中合わせで対話をしただけで、彼女の姿を見たわけでもない。


 確かに、今のニオや以前のニオと近い感覚を感じてはいたが……だから上手く話せたのだろう。

 他人だとは思えなかった。

 自分の心に棲む別の誰かなのだから、他人事でもないのだが。


「会える?」

「今は……ぼくです」

「だよ、ね……」


 変われるなら変わりたいと思った。

 自分なんかよりも、上手く立ち回って全員を幸せにし、事件を解決できる力と勇気を持っている。

 彼女がいた方が、世界にとって正しい。


 ユカの中に潜んでいた次世代の勇者が、ほとんど乗っ取っている、と言っていた。

 なら、オットイのことも彼女はすぐにでも乗っ取ってくれるのではないかと期待した。


 オットイは、落胆するアヤノを慰めるように。


「近い内に、ぼくが彼女に人格を明け渡しますから、待っていてください」

「……喜ばないよ、そんなことされても」


「でも、あの子に会いたいって、そう見えます」

「そりゃさ、会いたいけどね……」


「そのためにニオを狙っていた、んですよね?」


 彼女の姿は分からないが、アヤノがニオと呼んだのだから、見た目は変わらないのだろう。

 アヤノがニオを奪う、というやり方で保護しようとしたのも、分かる。


 愛しの人と似た人を、守りたいと思う気持ちは、理解できなくもない。


 恋人の親類縁者を気にかけるのと同じようなものだろう。


 神の思考はもっと超越しているかもしれないが、オットイはここまでだ。


 なんであれ、アヤノが強く想う勇者ニオのために、今の時代のニオを狙ったのは確実だろうと言えた。

 少なくともユカのように、簡単に分解して再構築し、いくら作り直すのだと言っても実質人殺しと大差ない行動には出ないとアヤノを信じた。


 信じられた。


 助けたかったのは、勇者ニオの意志であり、

 頼りたかったのは、オットイの意思であった。


「でも、あたしは魔王なんだよ」

「その、魔王っていうのが、ぼくには分からないです」


「悪い人」

「主観ですか、概念ですか?」


 小賢しいことを言ってくる、という文句がアヤノの顔に浮かぶ。

 きっと、こういう思考はオットイのものではない。


「……が、概念? かな、どっちかって言うと」

「なら、魔王というのは悪い立場であって、アヤノ様のことじゃないですよ」


「悪い立場にいるあたしは悪い人だよ」

「良い人が悪い立場に立っても、良い人ですよ?」


 ふぅ、とアヤノが息を吐いた。


「意外と頑固じゃん」

「これ、ぼくじゃないですから」

「それ、逃げ口上?」


 ……、オットイは答えなかった。


「ああいや、言いたいことはそうじゃなくてね。話が逸れたけどさ、あたしをこうして信じてくれるのは嬉しいけど、一応衰えても、丸くなっても魔王だからさ、あんまり信じ過ぎるのもどうかと思うよ、って言いたかったの。世界を一度滅ぼしたのはあたしだもん。勇者の助けを振り切って、壊して……それで後悔してる、救えない大悪党なんだ」


「……後悔、してるなら」


 オットイの声質が、少しだけ変わった。


「あの時と違って、救われたいって、思ってくれてる?」


 感じた気配に、アヤノが目を見開いた。


「……ニ、オ……?」

「ぼくです」



「……………………ねえ、オットイってさあ」



「まだ、ぼくですよ」


 そろそろ、ニオが着ぐるみと撮影する番だ。

 呼ばれて、彼女がステージへ上がった。


「ニオ、目立ってますね……」

「そりゃね、小さい子に混じって一人だけ大きいし、単純に可愛いし」


 白いワンピースがニオの焼けた肌を映えさせている。

 元々素材が良いので、注目を集めてしまうのも当然だった。


「お兄ちゃんとしては心配?」


 妹が注目されて、妬けちゃうね、とオットイの深層心理を引き出そうとしてくるが、

 オットイが気にかけているのは、注目を集めている、という点だ。


 襲撃はない、とは言え、あくまで予想である。

 居場所がばれていなければそれに越したことはないはずだ。


 なのに、こうして分かりやすく、我々はここにいる、と表明してしまえば、当然彼女は見つけやすいはずだ。


 日本という国の、一部地域のシッピングモール……ここまで絞って追跡しているとは思えないが、同じ高校に通うアヤノの家の近くとなれば、彼女の索敵範囲には入っている。


「あ、撮影、終わったみたいだよ」


 ニオが着ぐるみに手を振りながら、ステージから下りてくる。

 すぐにプリントしてもらった写真を大事そうに抱えながら駆け寄ってきた。


「楽しかったっ!」


 写真を自慢してくるニオの話を聞いているアヤノを尻目に、オットイは周囲を見回した――すれ違う人々、高い声低い声入り交じった喧噪、基本的に立ち止まらない通路の奥に、ぽつんと立っている人影に、ぐいっと目が引き寄せられた。


 だぼっとした大きめのパーカーを身に纏い、左右の靴下の柄が違うことから急いで準備し、家を出たのだと推測できる。


 だから髪型も整っていないし、アヤノ以上にオシャレには無頓着だった。

 オシャレ以前に最低限の身なりさえ、気にしていない様子だ。


 和歌を指摘した人物だとは思えない。


 袖が長いから、誰も見つけられなかった。


 指先が見えない長さの袖から伸びて見えたのは、光を反射した、刃だ。


 ナイフ一本。

 この国では確かに銃刀法違反で、ナイフを持てない。


 ただし、誰がどうやってどういうタイミングで、それを見破るのだ?


「どこまでも追うよ、たとえ地の果てだろうと、地獄だろうと――魔王は滅ぼす」


 彼女はどんな乱暴なやり方でも、この一言で全てを正当化させている。

 罪悪感を抱かないように、それは儀式のようなものだった。



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