第29話 選ばれたオットイ

 指摘された彼女の片側の口角が上がった。


 ユカが持つ杖が剣に変わる。

 和歌の変化した薙刀は長さはそのままだが、ユカの場合は長さがかなり短縮され、取り回しやすくなっている。

 その分、当然リーチはなくなった。


「いいや、わたしもユカの一部でしょうよ、先輩」


 それとも、ユカがわたしの一部だったり、とおどけてみせた。


「……結花、なのは間違いなさそうだ。ただ、とても危うい方の、お前だ」


 剣を手にしているから、ではない。

 和歌が問題視しているのは彼女の考え方だ。


「壊れたブレーキを備えた正義感を振り回す、お前のことを言ってるんだっ!」


「おかしな話だよね、先輩。まるで悪い正義があるみたいだ。悪を野放しにしてもいいとでも? 悪党が改心するとでも? 一度染まってしまえば、抜け出せないよ。生来から、あれらは人の害にしかならない。だからわたしが、制裁を下しているの」


「悪党がずっと悪党だと、決めつけるなよ……それ以前にだ、お前は何様なんだ? 正義感が強く行動を起こすのは結構だが、やり過ぎだ。人の罪をお前が裁くのは違うだろう」


「いいや、これはわたしの役目――から授けられた、使命だね」


 勇者、という言葉に、和歌は呆れた様子だ。

 ユカの妄想だと決めつける。

 フィクションにおいて有名な、実在しない人物であると知っていたからだ。


 反応を示したのは、アヤノだ。

 彼女は魔王であり、今の世界を二周目と仮に名付けるのであれば、一周目の世界の住人だ。

 今は亡き勇者とは強い因縁がある。


 ニオの姿が、一周目の勇者の姿なのだが、まだ生まれたばかりの彼女は当然、勇者の存在など知らないし、捏造された記憶にも、知識にも、勇者については含まれていなかった――そのため、きょとんとしているしかない。


 そして、オットイは。


「………………かっ、はッッ」


 ユカを見ていると、全身が熱くなっていくのを感じる。

 呼吸が乱れ、酸素が上手く取り込めない。

 激しい緊張状態が続いていた。


「お兄ちゃん!?」


 ニオに背中を撫でられても体調は戻らない。

 全身から汗が噴き出て膝が地面に落ちた。


「オットイ、お前っ――」

「先輩、ちょっと退いてくれる?」


 ユカの剣が、一瞬、気を抜いただけの和歌の体を吹き飛ばす。

 咄嗟に杖で受け止めたが関係なく、力だけで部屋の壁ごと、外へ放り出された。


「…………勇者が、なんでいるの……? 勇者は、ニオの代で途絶えたはず!!」


「でも、わたしはこうして勇者の使命を背負っている。それはつまり、途絶えていなかったってことになるんじゃないかな?」


 アヤノが世界を滅ぼした時、生物は全て死滅させた。

 だから末裔がもしいても生き残れるはずがない。


 勇者は血縁関係なく力が譲渡できる……そのため魔王のように子孫を残す必要はない。

 だからと言って別世界へ、どうやって勇者の意志を授けると言うのか。


「先代の勇者が死ぬ前に残したんだろうねえ。強い意志を込めてさあ」

「……もしかして、ニオの魂を、持ってるわけ……?」


 可能性があるとすれば最も近い予想だった。

 アヤノからすれば、最悪に近いシナリオでもある。


「わたしは普通の魂だよ。前世が特別な人だったわけでもないね」


 ほっとしたのも束の間、なら、勇者の使命は、どうやって伝えられた?


「生物は死滅した――なら、生物でなければ、意志を伝えることはできるでしょ?」

「生物、じゃなくて……?」


 アヤノが分からなかったのも無理はない。

 彼女たちを、アヤノは見られないのだから。


「――精霊しか、いないじゃん」



 エメラルド色の体と蝶々の羽を持つ、ナメクジだろうか。

 本物は見ていて嫌悪感を抱くアヤノだったが、透き通る体と色のおかげで神秘的に見えた。


 精霊は、選ばれた者の前にしか現れない。


 勇者であっても一生において数匹が限度だろう。


 その数は世界中に散らばっているため、数え切れないほどだ。


 それが魔王であるアヤノにも見えている。


 考え得る限り、精霊が絶対に姿を見せない相手であるにもかかわらず、だ。



「彩乃ッッ!!」


 和歌の叫び声が、見とれていたアヤノの意識を引き戻した。

 ユカが、アヤノの首へ狙いを定め、剣を構えていた。


「魔王候補をたくさん見てきて、制裁を下していったけど、中々いなくなってはくれないみたい……でも、根源である魔王を殺せば、世界から悪はいなくなるだろうね――」


「ゆか、ち……っ」

「もうわたしはユカじゃないよ。ほとんど、もう半分以上、次世代の勇者かな?」


 たとえ聖剣でなくても、魔王は殺せる。


 首を落とせば容易く命は散るのだ。


 アヤノは魔王として、衰えた。

 ただの女の子へ成り下がっていた。


 身も心も、魔王から遠ざかってしまっている。


「世界平和のために、魔王はおとなしく、滅ぼされろ」


 正面から向けられた百年ぶりの殺意に、アヤノは身動きが取れなかった。


 迫る刃を最後に見たのはまだ遠い距離。


 ユカが振るう前。

 アヤノは反射的に、ぎゅっと目を瞑っていた――。




『ずっと、救いたかった』

「ぼくには無理だよ」


 背中合わせの対話だった。


『そんなことない。だって、君はわたしなんだから』

「君が誰か、ぼくは知らないよ」


『自信を持って。それさえあれば、君はどんな壁も乗り越えられる』

「ぼくは弱いんだ」


『強さなんて必要ない』

「強さは……必要だよ」


『強さは、わたしが持ってる』

「なら、ぼくは必要ないじゃないか」


『必要だよ。だって、今の時代を生きているのは、君なんだから――』




 アヤノの手が掴まれ、ぐいっと後ろへ引っ張られた。

 へっ? と目を開けた時、走る刃が目の前を通り過ぎていった。


「ちっ」

 という舌打ちがユカから聞こえる。


 アヤノが背後を見た――。


「…………ニオ?」


 姿が重なって見えたが、彼女は、彼であり、ニオではなく、オットイだった。



『あの人を頼んだよ、オットイくん』


「君は、一体……?」


『そうだね、わたしは――』



「百年前の勇者から伝言です……、あなたを救いにきた……らしいです」


 勇者ニオの魂は、巡り巡って、この時代に人間として生まれていた。


 ――そう、オットイとして。

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