第28話 ユカの中にいる者

 ぱしっ、と杖がユカの手元に引き寄せられた。

 杖の先端がニオへ向く――瞬間に、オットイがユカを押し倒していた。


「あっ――」


「ニオ! 早く逃げて!!」


「あっ、でも、どこに!? だって、お兄ちゃんがッ!」

「ぼくのことはいいからっ、とにかく、和歌様を探して!!」


「う、うんっ!」

 と背中を気にしつつもニオがこの場から去っていく。


 足音が消えてから、ユカが呟いた。


「……どういうつもり?」

「消させない……もう二度と、ニオちゃんを殺させてたまるもんかっ!!」


「殺すなんて、人聞き悪いなあ。というかオットイってば、今のニオはほとんど昔のニオみたいだって言ってたのに、あれ、嘘だったんだ?」


 ユカが唇を尖らせて、拗ねたように。

 見た目は可愛らしいが、忘れてはならない。

 手に持つ杖は殺人道具である。


「嘘を言われたことが、わたしは悲しい。ショックだなあ、傷ついたなぁ――」


 杖の先端が、上に覆い被さるオットイの背中に触れた。

 刃が突き立てられているも同然の感触である。



 



 自我を保つという選択肢は、用意されていなかったようだ。


「…………っ、っっ!」


 答えないオットイに痺れを切らしたユカが力を発動させようとした寸前で、彼女の杖を持つ片手が、まるで誰かに取られたように、ねじられていた。


 ぎりぎり、と音が聞こえそうなほど、力が加わっており、彼女の肩が浮いていた。


「いたっ、たた、痛い痛い!?」


 しかし、彼女の手を掴むものはなにもない。

 透明人間か幽霊が、彼女を攻撃しているようにしか見えなかった。


「ダメだよ」


 ユカの声だ。


「な、なんで……ッ!」


 これも。


「その子は、壊してはならないんだ」


 全てはユカで構成された、対話である。


「だから、なんでなのか、聞いてるのに!!」

「困ったらいつもわたしを頼ってるのに、主導権を握って、偉そうだよね」


 そして、ユカ(?)がオットイを見た。


「半分ほどは起きてるみたいだね。でないとわたしもここまで出てこれない」


 彼女はオットイを見ていても、見ていなかった。

 視線はさらに奥、オットイを越えた向こうを見ている。


「――これは、あなたが撒いた種のはずだよ?」


 不気味さが限界を越え、彼女から離れてオットイが駆け出し、ニオの後を追う。

 孤児院を出ると向かってきていた和歌と衝突したが、彼女の大きな胸がいいクッションになった。


 尻餅をついたオットイが見上げ、


「和歌様っ」

「――ああ、さすがにこれ以上は見過ごせない、すぐにユカを説得して……」


 ニオから事情を聞いて、その上で和歌はそう選択したのだろう。


 しかし、


 違う! とオットイが叫んだ。


 彼の叫びは、和歌の急いた足を止めるには効果絶大だった。


 説得は通用しないだろう。

 きっとユカの目的は、すり替わっているはずだ。


 彼女の人格が、入れ替わったように。


「あの人……、もう一人の、神様の場所へ!!」



 天蓋付きベッドに潜り込んで塞ぎ込んでいたアヤノは誰の声にも応えなかった。

 護衛にも、騎士団にも、多くの国民にも。

 誰の声も心には届かない。


 ただし……たった一人を除いて。


「あの……います、か?」


 その声に、待ち望んだ声に、期待して……。

 でももういないはずだと諦めを自分に言い聞かせて、だけど聞こえてしまう幻聴に顔を上げては虚空があるだけの世界に辟易して。


 果たして何度目なのだろう。

 だから今回もそうなのだと、顔を上げる衝動を抑え込んだ。


 窓は開いたままだったらしい。

 床に足をつける、優しい足音がアヤノにも届く。


 似通っている。

 というより、そういった肉体の癖は同一であるようだ。


「わたし、ニオって言います」


 アヤノは顔を上げ、枯渇したはずの涙を、両目から溢れさせた。

 泣き腫らした顔をニオの胸に埋める。

 戸惑いながらも、ニオが彼女の頭を撫でた。



「それで、あたしに助けを求めてきたんだね……」


 ベッドに腰かけるアヤノとニオ。

 彼女たちは隣り合って、手を繋いでいた。


 向かうオットイは床に正座をしており、和歌は壁に背中を預けている。

 指示したわけではなく、各々が一番しっくりくる体勢を望んだ格好だった。


「ユカを説得、もしくは、力でねじ伏せる……そうではなくて、お前に頼ることを選んだのはオットイだ。理由は、分からないがな……彼が期待する回避方法をお前は知っているんじゃないのか?」


「なんであたしなの?」


 アヤノが問いかけた。

 視線が和歌に向いており、和歌が首を左右に振る。


 あっ、そうかと気付いたアヤノが視線を下げてオットイへ向けた。


「分かりません……、でも、あなたならどうにかしてくれるって、思いました」

「ニオを連れていけばなんでも言うこと聞いてくれるかもー、って思ったんじゃない?」


 そういう画策は、正直言えばなかった。

 本当に。


 単純に、ユカから逃げる、でも和歌の方法はきっと失敗するだろうと予感し、逆に、アヤノなら成功するだろうと思った。


 根拠はない。

 絞り出すなら――直感だ。


 ユカのような危ない匂いがするほどではないが、

 どうしたらいい? という問いに、

 アヤノを頼る、という答えがぽんっと出てきた感覚だった。


 正確に言うなら、アヤノが心配だった。

 頼る、というのはオットイなりの解釈である。


「方法は……、あるよ」



 ユカの脅威からニオを守る方法。


「ほんと!? ……ですか」

「近いって。言葉遣いに冷静になったなら、距離感も気付いてほしかったよ」


 前傾姿勢でベッドに手を置き、拳一つ挟んだ先にアヤノの顔があった。

 泣き続けて充血した彼女の瞳と目が合う。


「……まじまじと見られるとさすがにあたしでも照れるんだけど――」

「あっ、ご、ごめんなさい!」


 視線を逸らすとアヤノが。

「ちょっと待って」

 とオットイの両頬を手で挟んだ。


 逸らした視線が、ぐいっと戻される。


「な、なにを……?」

「…………………………んーん、双子、なんだもんね」


 納得したアヤノが自虐的な笑みを見せた。


「で、アヤノ、その方法は?」


「ゆかちーがどうして脅威なのか。当然、神の力を持つからでしょ? あの人の管理下に置かれているから、二人は回避できない絶対の力には対抗できない――なら、簡単」


 方法は二つある。


「力自体をゆかちーから奪う。これについてはあたしも方法は知らないから、実質手段にはないね。で、本命がもう一つ。神の力はあくまでもこの世界で扱える力。和歌先輩は向こうに戻ってこの力が使えた試しはないでしょー?」


 壁に寄りかかっていた和歌が、背中を浮かす。


「……まさか、お前……っ。でも、そんなこと、できるわけが……!」

「できるんだなー、これが」


 ユカと和歌とは違い、アヤノは神である以前に魔王である。

 彼女は三人の中で唯一、精神体で世界を跨いでいるわけではない。


 世界と世界を繋げる、扉を作り出せる。


 部屋にあった巨大な姿見の鏡面が波紋を作り出した。

 アヤノが指を触れれば、本当に水面のように、指が中へ沈んでいく。

 それでいて、鏡としての役割をきちんと持っていた。


「世界を移動すれば、ゆかちーの神の力に怯えることもない。向こうはこっちと違って暴力沙汰にはうるさいからね。ゆかちーが常識を忘れていないなら、問答無用で消される心配はないと思う。あたしがいるし、和歌先輩もいるしね」


「その先の、世界って、もしかして……神の世界、ですか……?」


 オットイが期待と不安を入り混ぜた表情を浮かべた。


「どういう想像をしてるか知らないけど、大した世界じゃないよ? あたしが言うのもなんだけどさ」


 すると、和歌が窓の外に意識を向けた。


「ユカが追ってきたな……アヤノ、向こうの世界にいくのは賛成だが、その先は!? まさか二人を路頭に迷わせるなんてつもりじゃ……」


「あたしの家に置くよ。おばあちゃんもきっと許してくれるはず……、広過ぎる家で部屋もいくつか余ってるから心配はいらないかな」


「そうか……なら、アヤノに任せる」


 背を向けた和歌から感じる、決意が見えた。


「先輩は……」

「ユカを止める。あいつ、昔から無茶ばっかりするからな」


「あー、最初に会った時もそうだったもんね。悪者は全部悪い、みたいな正義感を振りかざしてた。善悪を盾にして、結局は自分が決めたことは最後までやり遂げるっていう強い意志があったんだよね。どうしてそこまで自信満々でいられるのか、分からないけど」


「それって……」


 オットイが気付いたのは、さっき目の当たりにしたユカの異変だ。

 しかし、それを伝える前に、襲撃は迅速だった。


 空からバルコニーに降り立ったユカが部屋の中に足を踏み入れた。


 カーテンがなびくも、破壊されたものはない。

 襲撃と言うには静かな登場だった。


 ……逆に、不穏さが際立っているようにも、感じられる。


「結花」

 と、和歌が進路を塞いだ。


「どうしても……、ニオを分解するのか?」


「正直、それはもうどうでも良かったりするねえ」


 え、とオットイが思わず声を出し、全員の背に守られていたニオがまだ早い安堵の息を吐いた。

 無力な二人とは違い、アヤノは油断しなかったし、和歌はすぐに気付いた。


 ユカは顕著に変化を見せている。



「お前……、結花じゃないな?」

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