第8話 小舟と未知の生物

 未踏の大陸へ向かうための準備が進められていた。


「わたしだけでいってくるってば」

「ダメです! 神様一人に、危険な場所へいかせるわけにはいかないです。なので、わたしも一緒にいきます!」


「危険な場所だって思ってるなら、尚更ニオを連れていけないって。神の力を持つわたしなら大抵の危機は一人で乗り越えられるし……」


「神様も管理していない、まだ知らない世界ですよね? なら力が通用するか分かりません。そうなったらわたしとなにも変わらないじゃないですか。それに、あの大陸に誰かいるなら、わたしがいた方が絶対に役に立ちます。誰とでも仲良くなれるのが、わたしの特技ですから!」


 それは……、ユカも納得できた。

 孤児院を見れば分かるが、心を閉ざしていた子供たちが多かったにもかかわらず、今では全員がニオに対して心を開いている。


 人柄もあるだろうが、命を懸けてでも守ってくれる彼女の想いを、子供は敏感に感じ取って信頼しているのだ。


「……ニオがいくなら、この子たちはどうするの? 長旅になるかもしれないのに」

「院長がいますから」


 普段はニオが仕切っているが、孤児院を管理する大人もきちんといる。

 揺り椅子に座っている年配の女性だ。ニオのように活発に動けはしないが、子供たちをまとめ上げる手腕に関しては、やはり彼女に軍配が上がるだろう。


 子供たちにも多少の緊張が走るのが分かる……ニオも通ってきた道だ。

 ニオもまた、彼女に育てられた孤児の一人なのだから。


「だから、一緒にいきます、いかせてくださいっ!」


 キラキラと輝く瞳に、ユカも断れなかった。


「……分かったから。ただ、誰かの助けを前提にした無茶はしないこと――……そうね、じゃあ」


 杖が動き、その先端を服に引っかけ、離れた場所から一人の少年を連れてきた。

 宙ぶらりんの彼の頬を指先でぐりぐりと押しながら、


「――オットイも一緒に連れていく」

「えっ、いや、でも……、ううん、やっぱり危ないですからっ、オットイくんは――」


「オットイがいればニオも無茶しないでしょ。そういうわけだから、オットイも出発する準備してね」

「……え?」



「えぇ……」


 とんとん拍子に話が進み、雰囲気に流されて今、海賊船の甲板にいるオットイ。


 孤児院がある島から離れ、随分と経っている。

 見えている大陸はすぐ傍のように見えていたが、意外と距離があった。


 大海賊団だけあって、大きな帆船を囲むように小さな帆船がたくさん併走していた。

 小さな、とは言ったが、島の住民が持つ帆船よりも全然大きい。


「よお、もしかして船酔いか?」

「!?」


 海を眺めていたオットイが振り向くと、そこには赤髪の男がいた。

 ……ついさっき、仲間になったばかりの元赤い海賊団の船長だった。


 彼は頭の中をいじられ、オットイの船を襲った記憶はもうないし、こうしては話しかけてくれたのも純粋に体調を心配してくれているだけなのだが、オットイはその場から逃げ出すことしかできなかった。


 人がいない場所を探して走り回り、ひとけがなくなった場所で、端っこに座り込む。

 樽や木箱が置いてある場所の隣にいるので、一見、人がいるとは気付きにくい。


 そういう、環境に溶け込むのは得意だった。


「はぁ~~~~~~っ」


 と、大きな溜息。


「ニオちゃん……どこにいるんだろ」



「変わらないね、オットイは」


 すると、樽の上に腰を置く、ユカがいた。

 なぜか懐いてくる杖が、カカッと床と接して音を出し、オットイに寄り添ってくる。


「ユカ様……っ、ニオちゃんと一緒じゃない、んだね」

「ニオは優しいから、忙しそうにしてるみんなのお手伝いをしてる。オットイもやる?」

「ぼくが手伝っても、邪魔しちゃうだけだから」

「だろうねー」

 と、ユカは否定しなかった。


 ガッカリするべきなのだろうけど、期待されていないことが、とても楽だった。


「オットイが自分の意思でなにか新しいことを始めようとしたら、ニオは喜ぶんじゃないかって、思ったりしない?」


 ……、

 ニオに縋る生活。

 彼女がいなければ人と喋ることも満足にできず、転んで立ち上がることもできない。

 彼女を待ち続ける自分がいると、自覚している。


 ちょっとは思うところもある。このままでいいのか、成長するべきなのではないか……だけど頑張ろうとすると、首が絞められたように、呼吸ができなくなる。


 まるで、成長を望まない意思が邪魔しているかのように――。


「ぼ、くは」

「ニオはきっと喜ばないよ」


 一瞬だけ、時間が止まったような感覚だった。

 ユカが樽から降りて、ととんっ、と甲板で高い足音を鳴らした。


「あの子はオットイに頼られたいって思ってる。君を助けたい、君に尽くしたい……だから、ニオがいらなくなるような成長は望んでいないんだよ」


 そのままでいいよ、と彼女は言う。


「変わらないねって、褒め言葉だもん。君はそのままでいい、君は、正しいんだから」


 すると、足音が聞こえ、船員がユカの元に駆けつける。


「船長、そろそろ大陸に辿り着きそうです」

「うん、分かった、ありがと」


 遠くから見てて大きかった大陸が、気付けば目の前にあった。

 近くで見たら、視界の半分以上を占める迫力に腰を抜かしそうになる。


「…………小舟?」


 帆がない、オールで漕ぐタイプのごく普通の小舟が浜に乗り上げていた。

 搭乗者はいない。遙か先までなにもない大陸を、歩いて進んだのだろうか?


「神様、神様っ」


 と、ニオが双眼鏡を首に提げながら、ユカの隣に寄り添った。


「浜のところに、変な生き物がいますよ!」


 見ると、確かに二本足で立っている、少し太った人影があった。


 ……だが、人ではない。


 長い尻尾と緑色の鋭い体皮、突き出た口と、中には無数の牙が見えていた。

 口からこぼれ落ちたそれを手を使わず前傾姿勢で口に挟み、再び咀嚼を始めた。


「……え、あ――あ」


 ひうっ、と、双眼鏡を覗いていたニオが怯え、顔を一気に蒼白にさせる。


「ニオちゃん……?」

「……手、だった。人の、肘から、先の……。それを、食べてて…………」


 オットイが見た小舟と結びつければ――。

 迂闊に大陸へ足を踏み込んだ誰かが、あの生物に喰われた、と言える。


 咀嚼を終え、ごくりと腕を飲み込んだ生物が、海賊船に気付いた。


 体は動かさず、首だけを回して、突き出た口がオットイを見ている、ように感じた。


 誰もが自分を差しているのだと、誤解する。


「……タダでは通してくれなさそうだね」

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