第7話 光の先に見えたもの

「あ、ニオちゃん」

「オットイくん!? 玄関でなにやって……――」


 がばっと、ニオがオットイに詰め寄った。


「女の子が、外に出ていかなかった!?」

「え? ……うん。赤ん坊を抱えた女の子なら。確か、あの子って、最近入ってきた子だったよね? 森は危ないよって、もしかして伝えてなかった?」


「伝えたけど……。……え、オットイくん、そのもしかしてに思い至ったのなら、その場で教えてあげればよかったんじゃ……?」

「だって、その場にニオちゃんがいなかったから」


「――そっか、そうだよね。じゃあ仕方ないか……」


 雨足が強まってくる。


 オットイの傍に直立していた杖が、かかっ、と地面を叩いて音を鳴らし、引っ張られるように移動した。


 ぱしっ、と乾いた音を立てて、杖が持ち主の手に握られる。


「これから嵐がくるね……しかも大分荒れるみたい。神の力で生命の操作、今ある大地の容量からの切り貼り、食材や武器の生成は間接的にできるけど――天候は操れないんだよね。そういう道具を作るにしても、作れる人材から生み出さないといけないし、今からだと時間がかかり過ぎちゃう」


「神様は休んでてください。わたし、探してきます!」

「いいよニオ。わたしが探した方が早いから」


 ユカが杖の球体に手を触れる。彼女の瞳に、複数の四角い窓が現れ始めた。


「森にいる、生体反応……は、一人、こっちに向かってきてる」


 彼女の言う通り、強風にあおられながら、一人の女の子が駆けてきていた。

 途中で躓き、転んでしまった女の子の元に、ニオが駆け寄った。


「良かった……っ! 本格的な嵐になる前で……っ」

「小さいけど、まだ森には生体反応が一つあるみたい」

「あれ? 抱えてた赤ん坊は?」


 オットイの言葉にニオが森の方を見つめた。


「まさか……ッ」

「助けて、あげて……!」


 女の子の手が、ぎゅっとニオの腕を握り締める。


「あの子は、妹じゃ、ない、けど……海賊におそわれた時、怖い思いをしたなか、一緒にいてくれた子、だから……。やだ、離れたく、ない。……気づいたら、いなくなってて、もしかしたら、まだ森のなかで迷っているのかもしれない……だから……っっ!」


 まとまっていない彼女の思考が流れていく。だけど分かった。

 赤ん坊を助けたい気持ちが、伝わってくる。


「……なんでもします、だからあの子を……ッ!」

「――助けるに決まってる、わたしたちは、家族なんだから!」


 ニオが女の子を抱きしめた。家族という言葉と、抱きしめられた温もり、張り続けていた緊張が一瞬でも解けたことで、女の子の募っていた感情が決壊した。


「うぁ、ああ、おか、あ、おか、おかあさぁああああああんっっ!!」


 涙を流す女の子の頭を、ぽんぽんと叩き、


「オットイくん、この子のこと、任せてもいい?」

「え……、う、うん。喋らなくても、傍にいてあげればいい?」

「うん。オットイくんにしては上出来な返事だよ」


 そして。


「神様、場所だけ教えてくれればわたしがいってきます」

「だからね、ニオ。わたしがぱぱっといって助けてくれるから、ここで待ってて」

「でも、神様に迷惑をかけるわけには――」

「嵐が酷くなったらニオだって危ないんだから! いい? ここで待ってることっ!」


 そうニオに釘を刺し、ユカが杖に乗って飛び立ってしまう。

 背中を見送りながら、雨足がさらに強くなる悪天候に顔をしかめ、ニオが呟いた。


「神様、大丈夫かな…………」



 杖に乗って空を飛び、地図に出ている生体反応を見ながら、森の上を進む。


「……この辺、なんだけど――、木が邪魔で見えない……ッ!」


 神の力を使って木を引っこ抜こうとして……途中で気付く。

 二次災害が赤ん坊を傷つける危険性がある以上、迂闊な行動はできない。


「……なんで、そっちの方へ進んでいくの……?」


 地図上に描かれている光点は島の外側、海へ向かっていた。

 距離はまだ大分あるが、その先は断崖絶壁である。


 ――その時だった。


 チリッ、という彼女の身を強張らせる予感があった。


 突如、暗雲から手を伸ばした雷が、森の中の一本の木に落下した。


 一瞬の青白い光と思わず耳を塞ぐ轟音が、近距離から発せられる。


「――ッッ、あ、あの子はッ!?」


 地図を見れば、赤ん坊は変わらず先へ進んでいる。

 ユカは、島の変化を先に地図上で確認した。


 島の一部分が点滅し、消えたのだ。

 赤ん坊を示す光点の目の前――老朽化していた大地が雷の一撃で限界を越えたのか、ぺりっと、剥がれていた。


 斜めに斬られたように、ずずずっ、と大地が滑り落ちていく。

 島の先端が、ごっそりと消え、赤ん坊に残されていた距離の猶予が急激に縮まった。


「まずい――っ!?」


 土砂崩れのような斜面になり、断崖絶壁ではなくなったが、落下すれば変わらない。

 赤ん坊にとっては傾斜であっても滑り落ちればただでは済まないだろう。

 二次災害を気にしている場合でもなくなってきた……!


 杖を急降下させ、森の中へ侵入する。

 赤ん坊の後ろ姿を確認し、周囲の木を抜いて道を確保――しかし、木を引き抜いたことで地面が悲鳴を上げ始める。


 ずずんっっ、という音と共に地面が一段、下がった気がした。


 気のせいではない、周りに比べて地面の一部分が下がっている。

 そして、傾斜に沿ってゆっくりと滑っていた。

 切り離された地面には、赤ん坊が乗っている。


 神の力で地面を操作して赤ん坊を助ける? 

 海の水を操作して受け止める? 

 どちらを選択するにしても、赤ん坊の体がそれらの衝撃に耐えられるかが心配だった。


 たとえるなら、落下する生卵を硬い素材で受け止めるようなものだ。

 受け止めることは可能だが、助けるべき赤ん坊を潰してしまっては意味がない。


 せめて、赤ん坊を包み込むクッションでもあれば――、


 しかし、時間もなかった。


 既にユカが全速力で向かって、赤ん坊を掴み上げる時間さえも……。


「こんな、木さえなければ……ッ!!」


 強まった雨が、彼女の片目を塞いだ。

 視界不良の中――すると、隣の茂みを走り抜ける足音が聞こえた。


「え」


 滑り落ちていく地面に飛び乗り、赤ん坊を抱えた少女――ニオだった。


「……ッ、ニオ!?」

「神様!!」


 少女が言う。

 後先考えない、だけど彼女らしい一言だった。


「勝手なことしてごめんなさい……、でも! こうしなくちゃ、この子を救えないと思ったから――だから!! ……助けてっ」


 滑り落ちていく地面が、遂に島を離れ、海へ落下し始めた。

 赤ん坊を抱えるニオが、ぎゅっと目を瞑る。

 それは、死を覚悟したからではないだろう。


 己の全てを神に委ねたためだ。


 反射的な行動をして、ユカを戸惑わせないために。

 彼女は危機的状況でも動かないことを選択した。


「ニオの、ばか……っ」


 だけど、彼女のおかげで赤ん坊を守るクッション役が埋まった。


 多少の衝撃なら、ニオも耐えられる。


 杖の球体が光り、海が鳴動した。海に見える黄色く発光するサークルに沿って、海が上に噴き上がった。途中で地面が崩れ、落下していたニオを、水の円柱が押し上げる。


「う、わっ」

 と声を上げたニオが、宙に舞った後、杖に乗るユカの両手に着地した。


 抱えた近距離に、ニオの顔が見える。


「はぁ。……ほんとに、無茶ばっかりして……っ!」


 しゅんとするニオだったが、胸に抱えていた赤ん坊が笑いながらユカに手を伸ばしたことで二人から思わず笑みがこぼれた。


「神様のおかげで、こうしてわたしたち、無事でしたよ」


 暗雲は依然として島を覆ったままだが、遙か先では暗雲が途切れ日の光が差していた。

 眩しいくらいのオレンジの明かりである。


「……? ねえ、なに、あれ……」


 思えば、赤ん坊はまるでなにかに引っ張られるように、海へ向かっていた。


 もしかしたら、赤ん坊は、あの巨大な存在に気付いていたのかもしれない。


「神様……?」

「大陸……、だけど、わたしはそんなの知らない……。わたしの世界に、あんなに広い大陸はなかったはずなのに……!!」


 世界に異変が起きている。

 その善し悪しは、この時点ではまだ分からなかった。

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