第6話 嵐の予感
「……なあ、親方。随分流されちまったみたいだ。……ここはどこだ?」
小舟に乗って釣りをしていた老人と若者がいた。
一眠りしていた老人を起こし、若者が見たままを伝える。
「流されたと言っても、島は三つしかない狭い世界だろうに。迷うこともないだろう、どうせ見知った島の知らない裏側でも見たんだろうよお」
「……いや、そんなわけねえよ。だってよ――」
彼の目の前にあるのは島、というよりは……、
「伝承でしか聞いたことがねえけど……大陸、だろ……これって……っ!」
遙か先まで続いている、大地が見えていた。
全体の八十五パーセント以上が海で占められており、残りの十五パーセントは点在する三つの島である……神であるユカが把握している世界は、なんとも寂しいものだった。
三つの島の内、人が住んでいるのは二つの島だ。
山がそびえ立ち、森に囲まれた自然と一体化した村……対照的に、森を伐採して更地を作り、家や施設を建てて自然から切り離した町がある島に分けられる。
オットイが住んでいる孤児院があるのは、町がある島だ。
ただ、港に近い栄えた町からは離れ、坂道を上った先の丘に施設が建てられている。
他の建物と比べて一際大きな孤児院には、たくさんの子供たちが生活していた。
ほぼ全員が、親を海賊に殺され、生きる術を見失った子供たちだ。
オットイとニオも、例外ではない。
「あっ、ゆかだ!」
「ゆかちー!」
「お姉ちゃーん!!」
と、孤児院に住んでいる子供たちが久しぶりに訪れたユカに群がってくる。
「みんな久しぶり! ……ん?」
群がってくる子供たちから少し離れた位置に、様子を窺っている女の子がいた。
彼女の足下には、四つん這いの赤ん坊もいる。
「……新しい子?」
ユカが近づくと、女の子は怯えて、赤ん坊を抱えて曲がり角に隠れてしまう。
「はじめまして。わたしは味方だよ。……大丈夫、傷つけたりしないから」
「…………」
しかし、女の子はそれきり曲がり角から顔を出してはくれず、遠ざかっていく足音だけが聞こえてきた。
「いいよ、ゆかちー。放っておこうぜ。せっかく優しくしてやってんのに、あいつは心をひらいてくれないんだからさ」
「あれー? 君の時はどうだったっけ?」
男の子がぎくっ、と体を強張らせた。
「味方なんていらないとか言って輪の中に混ざろうとしなかったのに? わたしたちが手を差し伸べなければ、心を開こうとしてくれなかった君が、それをあの子に言っちゃうんだー?」
男の子に限ったことではない。
孤児院にいる子供たちのほとんどが、他者との繋がりに恐怖を感じていた。幼くして親を殺されたのだ、大人は全員、敵に見えてしまっても仕方がないだろう。
近い年齢である子供にしたって同じだ。心を許せば緊張が途切れてしまう……緊張は身を守る盾であり、無防備な姿を晒すことに抵抗があった。まずその壁をどうにかしなければ、子供たちの心は開けない。
ユカ一人ではどうにもならない障害だった。だが、彼女には自分を信じてついてきてくれるニオがいた。……不思議と、彼女が向き合えば子供たちは心を開いてくれる。去ってしまった女の子がこの孤児院で生活できているのは、ニオの恩恵が大きい。
そんなニオは、いつの間にか孤児院の母になりつつあった。
「ちょっと、あんたたち! いつも言ってるでしょ、お姉ちゃんじゃなくて、神様と呼びなさいって!! もっと敬って!! 気軽に呼んじゃいけない人なんだから!!」
「えー。ゆかちーはゆかちーだよなー?」
「だって、お姉ちゃんが良いって言ってたんだよ?」
ユカが訪ねる度にこのやり取りが必ず起こるのだが、もはや様式美となっており、一向に呼び名が改善される様子が一切ない。ユカ本人が構わないと言っているため、子供たちも変えなきゃいけない、という意識が起きないのだ。
未だに諦めていないのはニオだけだった。
「兄ちゃんだって神様とは呼んでなかったぞ」
「オットイくんもそうだけど……様をつけてるからいいの!」
「ニオは兄ちゃんに甘いよな……?」
すると、ニオの服を引っ張る女の子がいた。
「ニオお姉ちゃん、オットイくんが杖とおはなししてたけど、大丈夫なの?」
「杖……? あ、神様の杖ですか?」
「うん? うーん、いや、喋る機能とかあったかな……?」
そこで、場にいる全員が、一つの可能性を思い浮かべた。
「相変わらず兄ちゃんって暗いよなー。輪に入ってくればいいのに」
「いや、オットイくんもわたしがいれば混ざれるんだけど……」
「…………」
その件について、ユカはなにも言わなかった。
「オットイくんはわたしの方で誘っておくから。あと、わたしのいないところでオットイくんに話しかけないように。きっと恐がっちゃうからね」
直立する杖はうんともすんとも言わない。
「な、なんで急に叩いてきたの……?」
急かされるように叩かれて、孤児院まできたものの、ニオがユカと子供たちに付きっきりの今、オットイの優先度は一番低い。
彼女は面倒見が良いとは言っても、ずっと一緒にいてくれるわけではないのだ。
不満もあるが、それは当たり前なのだ。いくら双子だからって、ずっと一緒で、しかも一方的に面倒を見てくれるわけがない。いつかは離れていってしまう。
ニオは誰からも好かれ、必要とされている。一方で、オットイはニオがいなければなにもできない。小さい頃から、そういう体になってしまっている。
彼女の過保護が当たり前だと、心に根付いてしまっていたのだ。
その時――、ガチャリ、と扉が開いて、赤ん坊を抱えた女の子が孤児院から出てきた。
慌てて隠れてしまったオットイが建物の陰から覗くと、女の子は港町とは逆方向の森へ向かって、小走りで丘を下っていった。
「……、知らせた方がいいと思う?」
直立する杖はうんともすんとも言ってくれなかった。
「……あれ? さっきの子、見当たらないけど……」
気付いたユカが孤児院の中を一通り探してみたものの、女の子はどこにもいなかった。
まだ立つこともできない赤ん坊もいない。
「外にいったんじゃねえのー」
と、男の子が興味なさそうに言う。
町がある港の方へ向かったのであればまだ安心だが……森の方となると対応を急がなくてはならない。危険な野生生物などはいないが、所々で傾斜がきつく、気付かない内に足場を踏み外して、高所から滑り落ちてしまう場合も少なくない。
「……けど、わたしの杖で足場を補強したはずだから、崩れる心配は……」
「神様が補強したのは随分と前でしたよね? ……丘を下った先の森の方って、崖ですけど意外と低い場所にあって……少し天候が荒れるだけで波が乗り上げてくるんです。だから補強をしても意外と簡単に崩れてしまって……」
水分を含めばこれまた崩れやすくなってしまう。ただでさえ等間隔に並ぶ木が景色の変化を気付かせてくれない。
崩れやすい足場も、既に崩れていれば分かるが、崩れる前は遠くから見ただけでは気付けない。
足を踏み入れて始めて気付く――気付いた時にはもう遅く、違和感を抱いても、崩れる周辺領域に足を踏み込んでしまった後である。
住み慣れた子供なら身をもって危険性を知っているが、まだ打ち解けていない女の子は森に潜む危険性を知らない。
「一応、危険だってことは言ってあるけど……」
想像力次第だ。女の子が重要視してくれれば避けるだろうが、能天気な男の子のように危険と言いながらも大抵は大丈夫なものだ、と軽視されてしまえば警告に意味はない。
「……探さなきゃ」
感じた嫌な予感に、ニオが孤児院から外に出ると、快晴だったはずの天候が崩れ、暗雲が世界を覆い始めていた。
……ポツポツと、頬に雨が当たる。髪が大きくなびく風が、正面から吹き付けてくる。
「……嵐……?」
島育ちのニオが言うのだから、その的中率は百パーセントに近い。
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