第19話 不可能なシステム
目の下に深い隈を刻ませて、和歌が食卓についた。
「うわ……、先輩、いくら女子力が低いって言っても、それはない」
ユカが半眼で、失望混じりの呆れ顔を見せた。
元々化粧っ気がない和歌だが、今日は一段と手入れがいき届いていない。
目の隈は仕方ないにしても、寝癖くらいは人前に出る以前に、手櫛でいいから整えておくべきだ。
「…………あぁ」
片手の平でくしゃくしゃと整えたつもりなのだろうが、なにも変わっていない。
跳ねた寝癖が別の角度に跳ね変わっただけだ。
「お姉ちゃん、じっとしててね」
「あぁ」
と、声だけの返事だ。
和歌は目の前に用意されていた朝食に手をつけようとしなかった。
モーラが寝癖を整えてくれているから、ではない。
料理に目は向いているが、見てはいない。
意識は上の空だ。
モーラの手によって、乱れた髪型は普段通りに落ち着き、衣装となっているエプロンもさっきまで肩紐がはずれていたのだが、同じくモーラにかけ直されている。
和歌は人の世話をよく焼くが、誰かに施されることを嫌う……よりは、別に理由があるのだが、少なくとも、施されることを良しとは思っていない。
本来であれば頑なに断る和歌が、こうも助けられていることを拒まないのは、昨日の一件が彼女の心に、大きな傷を負わせたためだ。
できることなら寄り添ってあげたい……、そんな感情が透けて見えるモーラは、無意識に前のめりになっているせいか、つま先立ちだった。
しかし、立場が違うモーラには、和歌の傷が分からない。
唯一、共感できそうなユカは、事情を知っていながらもけろっとしている。
和歌とはタイプが真逆なのだ……、共感とはかけ離れた存在だろう。
「大陸にいたあの鎧は全部倒したんだよね? なら、落ち込む必要ないじゃん」
デリカシーのない物言いに、モーラが言葉で噛みついた。
「……おまえ、さ。一体どれだけの子が死んだと思ってるんだ。お姉ちゃんは、駆けつけたけど、助けられなかったんだ……っ。あと一歩、早く辿り着いていれば助けられた命も目の前で失ったんだッ……! あれを見て、平気でいられるほど無神経じゃないッ!」
「まるでわたしが無神経みたいに言ってさー……」
ずっと、待っていたのに。
助けてほしかったのに。
わたしたちは、一番じゃなかったんだね……。
和歌の隈は、夢の中で繰り返された、失った子供たちからの言葉が原因だ。
眠れなかったわけじゃない。
眠ってしまえば、死んだ子供たちに囲まれている夢を必ず見てしまう。
……覚悟はしていたが、それでもきつい。
守れなかったのではなく、一旦は見捨ててしまったからこそ、和歌の罪悪感は二倍、三倍に膨らんでいる。
「言い方は悪いけどさ、作り直せるんだから死んだって大したことなくない?」
「…………そう、だな」
と、和歌がまともに言葉を返した。
彼女の意識を取り戻させたのは、ユカへの怒りだった。
大人げなく、後輩を睨み付ける。
「見た目、記憶、人格、いじれる部分を理想に近づけていけば、そっくりな人間を作り出すことはできる……それが私たちの力だからな」
「お姉ちゃん……、本当に、それでいいって、思ってる、の……?」
「私は、ユカみたいに割り切れない。この世界を、ゲームのようだとは思えないッ!!」
和歌の言う通り、同じ情報を入力しても、そっくりな人間を作り出すまでが限界だ。
双子が同じ環境で生活しても、まったく同じ成長の仕方をしないように。
一度作り出した人間と、まったく同じ人間を作り出すことは不可能だ。
「先輩の自由だから、とやかく言ったりはしないよ? でもさー」
ユカも、彼女なりに和歌を励まそうとしただけだった。
出来不出来はともかく、善意であるのは間違いない。
「それって、しんどいじゃん」
ユカも、同じように生み出した我が子のような存在に、感情移入をしていたのかもしれない。
彼女も、全員をなおざりに扱っているわけではない。
ニオが良い例だ。
特定の誰か、たった数人だけに執着するように、扱い方を割り切ったのかもしれない。
生み出した全員を大切にしていたら、失った悲しみにきりがなくなる。だから――、
しんどいから、失ったものは簡単に補填できると、考え方を変えた――。
事実は分からない。
少なくとも、和歌がそう考え方を変えれば、心労はぐっと減る。
睡眠不足に悩まされることも、罪の意識に心が圧迫されることもない。
「――しんどいけどな、それは私が受けるべき報いだろ」
同じ人間が作れないように、考え方を変えて、ユカのように割り切って心労を減らせる人間性を持つ和歌ではなかった。
どちらにせよ苦しむだろう。
器用ではない、と和歌自身がよく分かっている。
「私だけが背負えばいいんだ」
「ま、先輩が決めたことならいいと思うよ。結局、人の意見よりも自分が出した答えの方が一番しっくりくるだろうしね」
ユカが、とんとん、と指先でテーブルを叩く。
「スープ、冷めるよ。死んだ人間に執着し過ぎて、生きている人間を蔑ろにするのは違うと思う。せっかく作ってくれたんだから、ちゃんと食べて。先輩でしょ」
後輩からの珍しく的を射た説教に、和歌が自分自身に向かって苦笑した。
浜辺に腰を下ろしているニオの背中を見つけた。
ここは以前までは浜辺の王の巣であった……しかし大量殺害された今、残っていたのは王とは呼べない、まだ赤ん坊のワニだ。
ニオの指が、彼らの頭を優しく撫でる。
柔らかい砂を踏む音が鳴る。
ニオは気付いているだろう、しかし振り向かなかった。
オットイが隣に腰を下ろして、そこで初めて彼女の口が開いた。
「……わたしの、せいだよね……」
違う、とは言えなかった。
甲冑たちが大陸へ侵攻し、子供たちを襲ったのは、和歌を自陣へ引き込むためだ。
では、なぜ?
――ニオを手に入れるためだ。
なら、ニオが投降すればいいかと言えば、それも違う。
ユカや和歌が意地でも止めるだろう。
そのため、ニオだけの問題ではなくなっていた。
だから、違うとは言えなかったが、しかし、ニオのせいと言い切るのも違う。
誰かのせいかは明白だ。
ニオを奪おうとする、あの金色の姫が悪いに決まっている。
「理由もなくわたしを欲しがる? あの人は、わたしを昔から知ってるみたい……。なのにわたしは、あの人のことをなにも思い出せなかった……っ! わたしは最低だよ、覚えていれば、たくさんの犠牲が回避できたはずなのに……ッ」
「ニオちゃん……」
赤ん坊のワニの頭を撫でていた指が、甘噛みされ、ニオがはっとする。
「――ううん、ごめんね、オットイくんに弱音を吐いたってどうしようもないのに」
ニオが立ち上がった。
無理をしているのは明白だったが、オットイは彼女の強がりの勢いを削いだりはしなかった。
「思い出せないものはしょうがないっ。和歌様が傷ついている今、わたしまで落ち込むわけにはいかないもんっ。できることをやらなくちゃ――ね、オットイくん!」
誰かが傷ついている、だからニオが不安を押し殺して頑張る理由にはならない……、オットイは口を開きかけたが、ゆっくりと口が閉じた。
想定していた言葉は出なかった。
「ぼくは、ニオちゃんについていくよ、どこまでも」
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