第26話 お姉ちゃん

「悪い夢でも見ていました? ……大丈夫、わたしが傍にいます」


 ニオの手を掴むオットイの力が緩んで、繋がれていた手がするりと抜けていった。


「……ニオちゃん、じゃ、ないよね……?」

「ニオですよ? お兄ちゃんの妹の……」

「ニオちゃんは、ぼくをお兄ちゃんとは、呼ば、ない……よ」


 その時、彼女の視線が横へ逸れた。

 思えば、ニオの中にはかつての記憶がある。

 だから記憶に従っていればオットイを『お兄ちゃん』とは呼ばないはずなのだ。


 なのに、今のニオはオットイをお兄ちゃんと呼んでいる。


 ――持って生まれた彼女自身の人格が、妹らしくあることを望んだのだ。


 見た目で幾分かマシになっていたオットイの人見知りも、彼女の中身が別人だと分かってしまえば、隠し切れない怯えが表に漏れ出し始める。


 オットイも目を逸らした。

 兄妹という設定であるだけで、今ではもうただの他人だ。


「それでも」


 逸らした視線を先に戻したのはニオだった。


「わたしはお兄ちゃんの妹です。……妹で、いたいです。今のわたしには、お兄ちゃんしか頼れる人はいないから……唯一の、強い繋がりですから――」


「……助けてくれる人はいくらでもいると思う。神様ならきっと、助けてくれる」

「死者の記憶をわたしに入れた神様に、ですか?」


 分解という言葉で蓋をしてきた事実を、明確な言葉にされ、オットイが起き上がる。


「死者なんかじゃないッ!!」


 びくっ、とニオが震えて、体を小さくさせる。


「ご、ごめんなさい……」

「あ、いや、ぼくも……」


 思わず声を荒げてしまってから、慣れていないために冷静になるのも早かった。


 かつてのニオを知る、今のニオではないが、詰め込まれた記憶と知識そのものが以前のニオが生きた道なのだろうと推測できる。


 だからオットイがどれだけ彼女に依存していたのかも手に取るように分かるのだろう。

 そして、彼女がオットイをどれだけ大切にしていたのかも――。


「代わりにはなれません。わたしはお兄ちゃんを引っ張っては進めません」


 彼女は言った。


「――お姉ちゃんみたいに、強くはありません」

「……お姉ちゃん」


 ニオから視線を逸らし、伏せたオットイが呟いた。


 見た目は同じだが、確かに、分解されて再構築された今のニオは、かつてのニオの妹だとも言える。

 性格がまったく違うのだ、今更、同一人物だから、と否定もできない。


 まったくの別人だとオットイ自身が魂で感じた違いなのだから。


 ニオはもういない。


 あの光景は夢ではなかった。

 分解、再構築と言いながらも、あれは殺人だろう。


 ニオは、戦争を止めるため、犠牲になったのだ。


 オットイが体を起き上がらせた。

 逸らしていた現実(ニオ)を見る。


 不安に染まった表情で、今にも泣き出しそうだ。

 以前のニオには見られなかった一面。


「ぼくだって、強くないよ。知ってるでしょ、ニオちゃんに頼り切りだったって……」

「はい、お兄ちゃんの情けない姿をたくさん見ています」


 その通りなのだが、少しむっとした。

 むっとするほど、オットイは彼女に心を開き始めていた。


「……情けないぼくに助けを求めるのは、間違ってるよ」


 自分は弱いのだと、自覚している。

 簡単にそう吹聴するほど、彼には自信がなかった。


 弱いことに、慣れてしまっているのだ。

 だけど彼は勘違いをしていた。


 確かに、オットイという人間は弱い。

 しかしだ、なにも彼が世界で最も弱い人間というわけでもないのだ。


 探せばいくらでも弱い人間は見つかる。

 年齢の差ではなく、人としての強さの定規で。


 自他共に認める弱いオットイよりも、今のニオはとても弱い。


 もしも。

 再構築したニオが望んだ形にならなかったとしたら、あの神は、次にどういう手段に出るのだろう?


 妹が抱えている不安が、見え始めてきた。



「あっ、オットイ。体の調子はもういいの?」


 ニオに手を引かれて部屋を出ると、ばったりユカと出くわした。

 オットイが心配で扉の前にいたのではなく、子供たちにこき使われていた最中らしい。


 彼女の腕には洗濯物が積まれていた。

 ニオがオットイの看病をしている間、家事全般は子供たちがおこなっている。


 なにもしないユカに、子供たちが仕事を押しつけたのだ。


「うん、ぼくはもう大丈夫……」


 そう、と興味なさそうに頷き、ユカがニオに近づいた。

 腕に積んでいた洗濯物を彼女に渡す。


「ニオ、任せたよ」

「え…………」

「あれ、やり方分からない? うーん、知識を入れ忘れたかな……?」


 ユカから伸びてくる手に、ニオがびくりと肩を震わせて、


「で、できますよ! 待っててくださいね、神様っ!」


 咄嗟にそう答えて、ユカの横を走り抜けていく。

 唐突なニオの行動に首を傾げるユカは、

「まあいっか」と軽くなった腕を上に伸ばした。


「ユカ様、ニオちゃん、なんです、けど……」

「どう? 和歌先輩は別人だって言うけど、細かい部分を気にしなければあれはもうニオってことでいいでしょ」


 ユカ自身もさすがに違いを自覚しているようだが、大きな差はないと受け入れている。

 この程度なら、まだ修正を入れる必要もないと思っているようだ。


「……もしも、気になる差があったら、修正は簡単にできるんですか……?」


「できないこともないけど、作り直しているのと変わらないかな……ほら、海賊を改心させる時に使うあれ、別人みたいになるでしょ。あれは強い意思を差し込んで、思考を全部思い通りに誘導してるの。ただあれをすると思考が極端化しちゃうからなあ……」


 今のニオには使えないし……できれば使いたくない――らしい。

 だから、必然的に、大きな修正点が見つかれば作り直す手段に出る。


 今のニオを分解し、再構築するために――。

 再び、ニオを殺そうとするつもりなのだ。


「ところでオットイは、ニオを別人だと思ったりするの?」


 ……別人だ、と答えたとしたら、それは大きな差になるのだろうか。

 ユカ自身が感じた違和が基準だとすれば、オットイの意見は関係ないとも言える。


 でも、念のため。

 妹と共に、騙していくと決意した以上は、貫き通す。


「――今までと変わらない、ニオちゃんです」


 だよね! と、ユカが仲間を見つけて、満面の笑みを浮かべた。

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