ランド

渡貫とゐち

前編

第1話 小さく可憐な戦士

 黒い布に描かれた白いドクロマーク。

 手で払ったように、血痕がマークに乗っている。

 赤いコートを身に纏う海賊団だ。彼らが乗る大きな帆船が、比べれば一回りも小さい帆船の航路を遮るように、目の前を横切った。

 その場で速度を緩める。

 ひうんっ、と風を切る音。

 鉄の銛が撃たれ、海賊船と小さな帆船が鎖によって繋がれた。

 その鎖の上を、素早く走って数名の海賊たちが渡ってくる。

 荒々しく乗船し、着地と共に帆船が大きく揺れた。

 積んであった木箱が、ずずず、と床と擦れて音を立てる。


「っ!」


 海賊船から銛が撃たれた時点で、彼は身を隠していた。……木箱の裏に、だ。

 元の位置から僅かにずれた木箱から視線を覗かせると、ぴたりと、相手と目が合った。

 慌てて目を伏せたが、足音が近づいてくる。ぎゅっと目を瞑って現実逃避をしても、現状からは逃げられない。

 目の前から大きな鈍い音が鳴り、――がッ、ごッ、と遠ざかっていく音へ続く。

 目を開ければ、足を振り終えた男の姿があった。

 ……中にぎっしりと果実や魚などの食材が詰まっている木箱を、蹴り抜いた?

 人間一人では足らない重さがあるにもかかわらず、だ。


「おい、ガキ」


 赤いコートの男の手が、少年の青みがかった黒髪をくしゃっと握る。


「お前だけか?」

「う……、ぼ、く、だけで……」


 髪を掴まれたまま持ち上げられる。痛みで言葉が途切れ途切れになってしまう。


「んなわけねえよなあ、誰かまだ隠れてるだろ、出てこい」


 男が腰に差していた小さなナイフを取り出した。

 切っ先が少年の喉元へ向かう。勢い良く、薄皮一枚ほど、食い込んだ。


「海に逃げた奴も確認しているが、全員じゃねえだろ。お前みたいに鈍臭く逃げ遅れた奴がいるはずだ。もしくは、身を潜めてオレらに一矢報いようと企んでいる、とかな」


 ぐっ、と男の手に力が入る。食い込んだナイフの刃の上を、少年の血が流れた。


「まあ、出てこないならそれでもいい。狭い船内だ、虱潰しに探せば見つからねえなんてこともねえだろ。見つけた後で遠慮なく殺せばいい……それにしてもお前も残念な奴だ。殺されそうになっているのに誰も助けにこないなんてな」

「…………き、っと……」


 少年の口から僅かに漏れた声。

 首を絞められているわけでもないのに、苦しそうな呼吸を繰り返している。


「たす、けて、くれる…………っ」

「ほお。その根拠はなんだ?」

「根拠、なんて、ないよ……ただ――」


 その時だった。

 波に揺れてずずずと動いていた木箱の一つが、男の近くにあった。

 注目していれば不自然な動きをしていたのは明白だが、そういうものだと解釈して、意識の外に一度出してしまえば気付かないものだ。


 男の背後。

 木箱の蓋を開けて飛び出した少女が、男の後頭部を狙う。


「――いつも、ぼくを守ってくれるから」


 短い棍棒を振り回し、男の後頭部を思い切り打ち抜いた。

 衝撃に、ぐらり、とよろめく男の手からナイフが落ち、少年の体も床に落下する。


「逃げてっ、オットイくん!!」

「で、でも、ニオちゃんは!?」


「わたしはオットイくんが逃げられるための時間を稼ぐ! だからっ!」


 不意を突いた一撃、脳を揺らしたはずだ……普通なら立っていられない。それが大人の男の力であれば――。しかし、少女の細い腕の力では、見た目ほど強力ではない。

 戦い慣れ、打たれ強くなっている大人の男の意識を奪うには、足りなかったようだ。


「こ、の……ッ、クソガキィッッ!!」


 男の手が伸び、少女の首をがしっと鷲掴みにする。

 一瞬で、彼女の呼吸が止まった。


「かっ、は…………っ!?」


 だらんと垂れ下がった手から、棍棒がからんと床に落ちて音を立てる。

 彼女の両足が床から離れて宙に浮かんでいた。


「血が出てるじゃねえか……このオレの、頭からよぉ! 服について染みになったらどうすんだぁ、あぁッ!?」

「し、み、って……赤い服、でしょ……?」


 にへら、と強がって笑う少女の表情が、男の感情を逆撫でした。


「――殺す」


 少女の体が力強く床に叩きつけられる。

 小さくバウンドを繰り返し、少年の足下に少女が転がってくる。


「ニオちゃ……っ!」


 彼女に手を差し伸べる暇もなく、男が銃身の短いピストルをこちらに向けていた。

 ――びくっ、と、少年の体が大きく一度震え、そのまま硬直してしまう。


「大丈夫だよ」


 少女が、ゆっくりと立ち上がった。――少年の前に立つ。


「わたしが、守ってあげるから」

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