第三十一話 亜栖羽の決心


              ☆☆☆その①☆☆☆


 大口を開けてかじりついたら、口の中に広がるごはんと海苔と、オカカの香り。

 そして程よい塩加減。

「………?………」

 大きな口でかぶりついたら、口内いっぱいに広がるごはんと海苔と、オカカの香りと、割と強い甘み。

 (甘い…?)

 予想外の味に、思考が停止して全身が硬直。

「私も 戴きま~す。あむ…」

「あ…」

 思わず引き留めようとして、しかし亜栖羽を傷つける事になるのでは。

 と、一瞬で戸惑っているうちに、手遅れ。

 同じく手に取って一口かじった少女も、一瞬で固まって動かなくなった。

 これは「砂糖と塩を間違えた」のではなく「塩と砂糖を間違えた」のだ。

 食べた亜栖羽も、自分の失敗に気づいたようだ。

「うみゃああっ–何これ甘~いっ!」

 思わずネコみたいな悲鳴が出て、ちょっと可愛い。と、育郎は思った。

「あっれ~? なんでこんな 変な味に~?」

「さ、砂糖のせいだね…」

「…! や~~~んっ!」

 オニギリを作ったのは初めてらしいし、そもそも開封して時間がたって空気中の水分を吸ってサラサラ感の弱くなった砂糖の感触と、最初からザラザラな塩の区別がつかなくても、無理はないだろう。

 しかし亜栖羽は、失敗した料理を出してしまった恥ずかしさで、耳まで真っ赤だ。

「ごっ、ごめんなさいっ! 私っ、こんなひどいオニギリをっ、作っちゃって…っ!」

 強く目を閉じる少女は、失敗も恥ずかしいけれど、食べ物を粗末にしてしまった事、そして失敗した料理を食べさせてしまった事に、強い申し訳なさを感じている様子だった。

「い、いやそれは…そんな 気にしないで…」

 青年の慰めも、失敗したばかりの亜栖羽には、上手く伝わらない感じ。

「私、オジサンに、こんな迷惑かけちゃって…こんなつもりじゃ なかったのに…っ!」

「亜栖羽ちゃん…」

 オニギリの失敗が、それほど心に刺さってしまったらしい。

 言葉では、伝わらない。

 今、育郎にできる事は。

「戴きま~す、あむ、もぐもぐ」

「オ、オジサン…っ!」

 青年は、少女がにぎったオニギリを、黙って、笑顔で、大きな口で、一つまた一つと平らげてゆく。

「んぐんぐ…ごくん。もう一個貰うね。ぱく」

 と言いながら、お皿の上の甘いオニギリを全て食べきると、緑茶で旨味を流して一息。

「ふ~、ご馳走様」

「オ、オジサン、お腹とか 痛くないですかっ!?」

 心配して尋ねる少女の目は、複雑に色づいている。

「ははは、大丈夫だよ。オニギリだから、最初は違和感を感じたけど、食べるとおはぎの変化球みたいで、食べてて楽しかったよ。ああ、つい 亜栖羽ちゃんの分まで全部食べちゃって、ゴメンゴメン…げぷ」

「オジサン…」

 育郎の誠意に、亜栖羽の心がジンワリと、確実に、暖かく抱きしめられてゆく。

「私…あむっ!」

「あ、亜栖羽ちゃん…!」

 少女は、自ら一口かじったオニギリを、頑張って食べきった。

「んくん…お、オカカの方が、味に合わなかった感じですね~。えへへ♪」

「ん…そうだね。あははは」

「えへへ~♪」

 二人で笑ってしまった。


              ☆☆☆その②☆☆☆


 お茶で一服して、亜栖羽はシミジミと語る。

「私…全然ダメな娘ですね」

「えっ!?」

 しょんぼりしながら自省する少女の姿に、いつもとは違う感じで、強い庇護欲を刺激されてしまう青年。

(亜栖羽ちゃん可愛い–っじゃなくてっ! あ、亜栖羽ちゃんを元気づけるつもりがっ…失敗したかなっ!?)

「いやそんな事はっ–あのっ–えっとっ!」

 慌てふためく青年に、少女はグっと、胸元で決意の拳。

「うん! 私、決めましたっ! 勉強もお料理も い~っぱい頑張って、オジサンに喜んでもらうんですっ!」

「?」

「月曜日の追試でも良い点数を取って、デートの時にもオジサンにちゃんとした手料理をご馳走するんですっ!」

 涙目でフンっと鼻息も荒い制服少女は、さっきの落ち込みもドコへやら。

 大きな両の瞳を、涙ではなく決心と希望で、キラキラと輝かせていた。

(えっと…元気になった…みたいだ)

 よく分からないけど、良かった。

 亜栖羽の元気と輝きが戻ってくると、やはりやる気を応援したくなる。

「そ、それじゃあ約束しよっか。テストで八十点以上取れたら、ん~…お祝いに、何か好きな物をプレゼントしてあげる」

「えっ、本当ですか~っ!?」

 育郎の提案に、大きな瞳が更に大きく、嬉しそうに輝く。

「オジサンが応援してくれるなら、私っ、断然 頑張っちゃいます~♪」

「うん、亜栖羽ちゃんなら大丈夫だよ」

「はいっ!」

 頬を染めつつ、亜栖羽は嬉しそうなやる気に満ち溢れていた。

 その後も、亜栖羽に予習と復習の仕方をレクチャーして、午後五時。

 「あ、もうこんな時間~。早いな~☆」

 今日一日、育郎の脳裡に「また亜栖羽とキスしたい」と過った瞬間が、正直、何度もあった。

 というか。そればかりが頭を駆け巡っていた。

 今だって、キスしたい。

(いやいや、とにかく 亜栖羽ちゃんの追試が先だっ!)

 必死に自制する青年だった。

 そんな忍耐が強面に出ているのか、亜栖羽は何かを想う。

 制服少女を、今度こそは家まで送ろうと決意していたけれど、亜栖羽自身が、駅までで十分ですと言ってきた。

「だって~、今日はお世話になってばかりでご迷惑までかけちゃいましたし~。これで家まで送って頂いたら、罰が当たっちゃいますよ~♪」

 と言われたら、駅までで我慢するしかない。

 駅に到着すると、改札を潜る直前に、亜栖羽が振り向いた。

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