第三十二話 追試を乗り越え


              ☆☆☆その①☆☆☆


 やる気に満ちた亜栖羽の笑顔は、輝く力で眩しく感じる。

「オジサン、今日は本当にありがとうございました~♪ 追試、絶対に八十点以上 取って、良い報告をしてみせますからねっ!」

「うん、楽しみにしてるよ」

 と、少女は小走りで駆け寄って来て、耳打ちするように囁く。

「オジサン オジサン」

「ん?」

 何だろうと、青年が耳を寄せつつ屈んだら。

「ちゅ」

「!」

 柔らかい唇が、頬に触れた。

 驚いて背すじがピンとなる育郎に、上気する亜栖羽は恥ずかしげに嬉しそうに、今度こそ改札を駆けてゆく。

 イタズラを成功させたような少女を、驚かされた青年は、頬を真っ赤にして立ち尽くすだけだ。

「えへへ~♪ すっっごくパワー貰っちゃいました~!」

 弾むように改札を抜けると、振り向いて、告げる。

「それじゃ、帰ったらメールしま~す♪」

「あ…う、うん。追試、応援してるからね…!」

 亜栖羽の「は~い」という返事が喧噪の中に消えつつ、すぐに電車が来て、乗り込んだ少女がガラス越しに手を振っていた。

「亜栖羽ちゃん…」

 亜栖羽と別れる時間は、やはり胸が苦しくなる。

 恋をすると幸せ天国みたいな気分かと思っていたけど、実際は気になる事の方が増えてゆく。

 やっぱり、亜栖羽を家まで送った方が良かったのでは。

 でも亜栖羽の意思を無視するみたいで。

 そして、思う。

(ずっと一緒に入られたらなぁ…)

 電車が走り出して、亜栖羽は見えなくなるまで手を振っていた。

 そして育郎は、あらためて決意をする。

「…今度のデートからは、やっぱり家まで ちゃんと送ろう…っ!」

 強く拳を握って、フと気づく。

「あ、デートの話…全然してない…。あ、でも…明日は追試の予習をした方がいいに決まってるし…。こっちからも、そういう応援メールを送った方がいいかな…?」

 立ち尽くしながら暫し思案をして、ブツブツ考えながらマンションまで戻る。

 亜栖羽がメールをくれると言っていたので、こちらからのメールはせず、まずは待つ事にした。

 そして午後七時、亜栖羽からのメールが。

「来た! なになに…?」

 急いでチェックして、安心する育郎。

『育郎センセー、今日は勉強を教えてくれて ありがとうございました~♪ 今日はもうちょっと復習して、明日も明後日も頑張って、月曜日の追試を乗り越えてみせま~す♪』

 メールと一緒に、勉強したノートを手に、可愛いガッツポーズの亜栖羽の写真も。

「家について良かった…」

 心配しすぎの二十九歳。

「それにしても、やる気まんまんだ」

 少女の姿が嬉しくて、青年も、ずっと考えていたメールを返す。

『来週の日曜日、結果報告ください。頑張ってね』

 さりげなくデートの誘いも入れる。

 ワクワクで送ってから、考えてしまう。

「フンフン♪ ……こ、これから追試なのに…ちょっと空気 読まなさすぎたかなぁ…それになんか、図々しい感じかな…あっ、亜栖羽ちゃんの都合とか、全く聞かずに書いちゃってるし…!」

 空気読めない男として嫌われたらどうしよう。

 などと、焦りの気持ちで身を焼かれそうだ。

 悩乱に身悶えしていると、少女からメールが返ってくる。

「ハっ–まさか…激怒されているのでは…!?」

『は~い♡♡♡ ご褒美、用意して待っててくださ~い♪』

 メールを見て、心の底からホっとする。

「よ、良かった…嫌がられてないし、デートもOKみたいだ…」

 それだけで、地獄から天国へと舞い上がる育郎だった。


              ☆☆☆その②☆☆☆


 明けて、月曜日。

 日中、育郎はソワソワしながら仕事を進める。

「亜栖羽ちゃん、テスト大丈夫かな…。緊張しないで出来るかな…?」

 追試なのに、入学試験の娘を心配する父親のような育郎だ。

 仕事をしながら、心配して手が止まり、これではダメだと珈琲を飲んで、仕事をして心配で手が止まり、ダメだと珈琲を飲んで。

 などと、つい同じループでグルグルしていたら、珈琲を飲み過ぎたのか、胃がキリキリと痛くなった。

 夕方になって、亜栖羽からメールが届く。

『追試終了で~す♪ 肩の荷が下りた感じ~?』

 一緒に送られてきた写真には、教室で両手Vサインの制服少女が三人。

 亜栖羽と、友達だろう。

 みんな嬉しそうで、解放感でキラキラしていた。

 追試が終わってすぐに取った写真らしく、窓からの光が、亜栖羽たちを薄く朱く、色づけている。

「可愛いなぁ…ん?」

 ピース写真に見惚れていた育郎は、フと違和感を覚え、窓の外をチラり。

 夕日が沈み始めた街は、各家庭の明かりが暖かそうに点っている。

「……この写真、明るさからすると、撮ったのは一時間くらい前みたいだけど…」

 一時間も経ってか、らメールを送ってきたのだろうか。

 その間、亜栖羽の身に何かあったのでは。

「ま、まさかそんなっ–でもっ、じゃあこの一時間のタイムラグはっ–あわわっ!?」

 気になりだすと、心配し出すと、どんどんと悪い方へと素考えてしまう。恋する二十九歳独身男性。

 自分の想像に、リビングでオロオロしていたら、再び亜栖羽からメールが届いた。

『今やっと テスト用紙が戻ってきました~♪ 採点がこんなに時間かかるなら、さっきのメール テスト終わってすぐに送ればよかった~☆』

「そ、そうか…ホ…」

 自ら心臓に悪い育郎だ。

 とにかく、テストは無事に乗り越えたらしい。

「えっと…『追試、お疲れ様でした。今夜はゆっくり休んでください』…と」

 労いのメールを送ったら、割とすぐに三度目のメールが。

『今度の日曜日、オジサンをビックリさせちゃうんですから♪ お楽しみに~』

 一緒に送られてきた写真には、なんとテスト用紙の裏側を見せながらの、ウィンク付きでのVサイン。

 表情を見るに、自信満々と言うか、誇らしい鼻息まで聞こえてきそうだ。

「あはは…八十点以上だったのは 間違いないみたいだ」

 また一つ、お宝写真が増えた育郎だった。

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