第二十話 育郎の部屋
☆☆☆その①☆☆☆
五階建てのやや古いマンションは、レンガ色の目立たない外観。
しかし日当たりが良くて防犯設備は新しくて、駅からも近い割に家賃も安いと、かなりの優良物件だ。
エレベーターで三階まで上がって、三〇二号室。
ここが青年の部屋だった。
コピーが作れない最新の鍵を開けて、レディーファーストでエスコート。
「えっと…どうぞ」
と言いつつハっと気づいて、慌てて玄関に入り先回りをし、しまいっぱなしでまだ新しいスリッパを、亜栖羽の足下に並べて置く。
「おじゃましま~す♪」
パンク少女は黒いブーツを脱ぐと、丁寧に揃えてから、男性用の大きなスリッパに小さな足を通す。
「せ、狭くて散らかってるけど–ハっ!」
亜栖羽がリビングに入ろうとしたタイミングで、今更のように思い出した。
ロボ。
リビングの棚に飾ってあるロボたち。
少女に対する緊張のまま部屋まで戻ってしまったから、すっかり忘れていたのだ。
(もしアレが見つかったらっ、子供っぽいちか呆れられてしまうっ!?)
「ああああの亜栖羽ちゃんっ–」
引き留めようとした時には、既に遅し。
「わぁ~、男の人の部屋って、こんななんですね~♪」
亜栖羽はリビングの真ん中で、初体験な男性部屋を興味津々で眺めていた。
同時に、育郎は生まれて初めて、女子と二人きりの部屋という体験をしている。
(ぼ、僕の部屋に、女の子がいる…っ!)
要望されたとはいえ、自分で招いたのだから当たり前なのだけれど、女の子が部屋にいるのだ。
(ゆっゆっ、夢じゃないよね…っ!)
何度も妄想して夢にまで見た光景が、現実化している。
なのになんだか、現実離れした光景にも見える。
思わずほっぺたをつねって痛みを実感しても、ウッカリしているとこの幻は消えてしまうのではないか。
そんな心配までしてしまう、気弱な青年。
しかしこれが現実であると、少女から漂う爽やかで優しい柑橘系のフレグランスが教えてくれていた。
(お、女の子って…本当に、優しくて良い香りがするんだ…)
そう感じて、斜め後ろ姿の亜栖羽を、あらためて見る。
恵まれたプロポーションでも、儚さを感じさせる華奢なライン。
衣服は起伏を隠さなくて、背中や腿など覗ける僅かな肌が、室内であることも手伝って、妙に艶めかしく感じたり。
(あ、亜栖羽ちゃんと、部屋で二人きり…)
そんな事を意識してしまうと、今更のように心臓がドクんっと跳ねてしまう。
良からぬ想像や期待も、ムクムクと芽生えてきたり。
(………)
ネットの情報で、男性の部屋に来る女性は、それなりの覚悟を持って入室している。とか読んだ。
(亜栖羽ちゃんも…ぼ、ぼ、ぼ、僕を……)
などと想像すると、後ろから優しく抱きしめたくなる。
「なんだか オジサンの臭いがする~♪」
「えっ!?」
突然の言葉に、青年は邪な願望が消滅する程のショックを受けた。
☆☆☆その②☆☆☆
少女一言で、育郎の理性が強烈に回復。
慌てて両手を、必要以上に背後へと廻した。
「おっおっ–オジサン臭がするの…っ!? ごっ、ごめんなさいっ!」
恥ずかしさにも自らの頭を抑え込まれ、思わず平謝り。
「違いますよ~。い、育郎さんの空気があるって 事で~す♪」
「え…」
育郎の名前を呼んだ少女は、恥ずかしそうに軽く俯く。
青年の誤解を解くために、精いっぱいの名前呼びだったのだろう。
そういえば「オジサン」と呼ばれる事に、何の違和感も感じなくなっている育郎。
食堂「カモメ屋」での自己紹介の時も、最初は名前で呼んでいたけど、すぐにオジサン呼びで話していた。
亜栖羽は、からかってオジサンと呼んでいるのではなく、名前で呼ぶのが恥ずかしいのだと、育郎は気づいた。
(………か……可愛いぃ………っ!)
復権した理性が、アっという間に支持率低下。
再び邪な欲求が支持率を上げて、育郎の脳内では二大政党制を確立。
亜栖羽ちゃん、部屋に来たって事は、つまり。
いやいやそこまで信じてくれているって事だ。男よ紳士たれ。
(いやそもそも亜栖羽ちゃんが、そういう事を考えているかどうかって事も–)
紛糾する脳内会議は、少女の一言で奇跡の一致を見た。
「あ~、これって」
「ん–あああっ!」
(みみみっ、見られたっ!)
すっかり忘れていたけど、つい先日まで彼女無しだったアラサー男のリビングに飾られた、ロボたち。
二大政党も対立している場合ではない。
というか、そもそも育郎にとって、絶対の危機だ。
「私オジサンがこんな子供っぽいなんて知りませんでした~♪ さよなら☆」
(とか言われて捨てられるっ!)
そんな決定的な悲劇が、頭を過る。
「私–」
「いやそのこれはあのっ–」
美味い言い訳なんて、咄嗟に出ない。
焦った青年の耳に届いた、少女の言葉は。
「私、知ってますよ~。これ、異常戦士ランダムの主人公メカの ランダムですよね~♪ こっちはえっと、真異常戦記ランダムウイング? の、ウイングランダム? でしたっけ?」
「え…」
少女の口から、ロボたちの名前が。
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