第四話 古~い男
☆☆☆その①☆☆☆
「ゴホっゴホっ–あっあのっ–」
「とりあえず、行きますか?」
亜栖羽は笑顔で席を立つと、とっとと出口へと向かって歩く。
「待って–お、お会計しますっ!」
ウェイトレスさんに言いながら、礼服青年は慌てて財布を取り出した。
レジで少女も財布を取り出したけど、ここは男の本能で、さっさと支払う。
「いいんですか? ご馳走様でした~♪」
二人で喫茶店を出て、駅寄りな住宅街へと、足が向かう。
制服少女は、周りをキョロキョロ。
「この辺って、Hなホテルとか近いんですか~?」
「エッ–い、いや そうじゃなくて…!」
なぜこれほどまでに、積極的になってくれているのか。
喫茶店で一時間近く過ごしたし、ホテルに入ったとたん怖い男が絡んでくる事もないのは解る。
この少女は、素直に育郎への興味を持っているのだろう。
それはまるで、天使のような存在だ。
「あ、あそこに光ってる看板がありますよ♪」
官能的に輝くラブホの電飾看板を、住宅の屋根越しに見つけた亜栖羽が、素直な微笑みで頬を上気させて、青年との時間を許している。
「ちょっ–ちょっと待って、亜栖羽ちゃん!」
「え…」
「あ、えっと…」
つい名前で呼んでしまった。
しまった。思わずとはいえ図々しかったかな。
とか思った青年だけど、呼ばれた少女は数舜だけ驚いて、すぐに恥ずかし気な俯きを魅せた。
「オジサン…名前で…」
「あ、あの…つい、咄嗟で…」
「えへへ~ オジサン、もう一回、呼んでくれます?」
「えっ、–ぃや、その…ゴホン」
甘々な空気に蕩けそうな育郎だけど、今は目の前の問題を解決しなければならない。
「あの…ぁ亜栖羽…ちゃん」
「は~い♪ あ、別のホテルとかがいいですか?」
「いやそうじゃなくて…僕は、その…ホテルとか 行かないから…!」
「え」
青年の決意に、少女は暫しキョトンとなって、更に頬を赤くする。
「も、もしかして、オジサンのお部屋に連れ込まれちゃうんですか? ど、どうしよう…でも私…覚悟は…」
「ぃいやっ、そうじゃなくて…!」
言葉に詰まっていたら、少女が察したらしい。
「…私、そんなに魅力ないですか…?」
勘違いどころか、真逆だ。
「ち、違うよっ! 亜栖羽ちゃんはっ、その…すっ、凄く可愛くてっ、魅力的でっ、僕だって今すぐっ、ホテルとか行きたいよっ–あわわっ!」
獣の如き欲求が口から溢れて、慌てて口を押える。
「オジサン…それじゃあ–」
「でもっ、ダメ…っ!」
青年の必死な意思が、当たり前だけど少女には伝わっていない。
「どうしてですか? オジサン、ドーテー脱出したいんですよね? 私なら全然 大丈夫で–」
「いやたしかに脱出–っていうか、脱出って言うほどの、大ごとでもないんだけど…っ!」
「やっぱり私…子供だから ですか…?」
向き合う少女の大きな瞳が、潤む。
育郎は、無意識に亜栖羽の細い肩を掴んで、とにかく想いを口にしていた。
「僕はっ–亜栖羽ちゃんをもっとちゃんとっ、知りたいんだっ! 今すぐ一つになろうとか、そういう軽さじゃなくてっ、もっとこう、亜栖羽ちゃんを大切にしたいって言うかっ–僕にとって亜栖羽ちゃんはっ、そのくらいっ、大切にしたい人なんだっ!」
夜の住宅街に、青年の声が木霊した。
☆☆☆その②☆☆☆
「オジサン…」
青年の叫びに、少女は心臓が高鳴った様子だ。
顔を伏せる青年の目には、なぜだか涙が潤っている。
「あ…亜栖羽ちゃんの、気持ちは…すごく嬉しい…でも、ただその気持ちに、一方的に甘えるだけじゃ…僕が、イヤなんだ…。僕なんかに興味を持ってくれた亜栖羽ちゃんだから…僕は、僕なりに、精いっぱい…大切に、したい…!」
言いながら、なぜか涙が溢れてきていた。
そんな青年の顔を、目を、少女き黙って見つめている。
「…………」
「…はあぁ…」
想いを吐き出して、育郎は大きく息を吐いた。
育郎の大きな声に、周囲の家が聞き耳を立てている気配がする。
見上げる少女の両掌が、青年の頬に優しく触れた。
「オジサン…優しくて綺麗な瞳…」
「亜栖羽ちゃん…」
月光を反射させる亜栖羽の大きな瞳が、深い優しさと不思議な想いで、濡れて輝く。
「……!」
育郎は自分の想いを、膝を付いて告げた。
「ぁああっ、亜栖羽ちゃんっ!」
「は、はいっ!」
驚く少女に、言葉を続ける。
「ぼ僕とっ、ぉぉおっ、お付き合いっ、してくださいっ! 僕は亜栖ちゃんをっ、精いっぱいっ、大切にっ、いたしますっっ!」
礼服姿のまま、膝と額をアスファルトに押し付けての、告白というより懇願。
(神様っ、亜栖羽ちゃん様っ–どうか…っ!)
祈る気持ちで、了解を待つ。
そして。
「オジサン、私–あ!」
ポケットの中のスマフォが鳴って、取り出して見ると、時刻は現在、午後九時五十二分。
「ママからだっ–私っ、もう帰らないとっ!」
「…え?」
告白の緊張感が、急速に日常へと戻ってゆく。
「オジサンっ、アドレス交換交換!」
「えっ、あっ、ははいっ!」
慌ててアドレスの交換をすると、亜栖羽は育郎の手を引いて、そのまま駅へ。
「私っ、急いで帰らないと、ママに叱られちゃうのでっ!」
「あ、はい…」
「それじゃ!」
改札を走り抜けると、少女は階段を駆けてゆく。
一人残された礼服青年は、なにが起こっているのか、まだ理解できていない。
「えっと…」
僕の告白は失敗したの?
告白したらやっぱり無理とか思われて逃げられちゃった?
嵐みたいなひと時が過ぎて、育郎はまた、独りぼっちになっていた。
「……やっぱり、僕なんて…」
ガックリと肩を落とし、帰路に着こうとしたその背中に、亜栖羽の声が。
「オジサ~ン! はぁ、はぁ、後で、メールくださ~い! それじゃ、お休みなさ~い!」
慌てて走って戻ったらしく、息を切らした少女の笑顔が、嬉しそうに輝いていた。
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