好きじゃなくって愛してる!
八乃前 陣
プロローグ 運命の異性(ひと)
金曜日の夜は、とある郊外の繁華街でもニギヤカだ。
八時過ぎには会社終わりのサラリーマンたちも呑みに出て、表通りは行き交う人々で楽しい雰囲気。
一本外れた裏通りでも、エロティックな看板に吸い込まれる男性たちが散見できた。
そんな男性たちからも身を隠すかのように、英字新聞で顔を隠した青年が一人、ソープランド前の公園で佇んでいる。
チラチラと周囲を伺いながら、行き交う人々に注意しつつ、誰にも気づかれる事なく入店するタイミングを見計らっていた。
「……人通りが収まってきたぞ…よし、あの二人が通り過ぎたら…っ!」
右側から千鳥足で歩いてくるサラリーマンたちの動きを探る新聞越しの視線は、張り込み刑事の如き鋭さ。
とにかく、性体験!
そんな決心をしている青年が「福生育郎(ふっさ いくろう)」だ。
キッチリと礼服を着込んで緊張しつつ身を震わせているのは、ソープ初体験だとしても意識しすぎだろう。
高い身長と逆三角形の引き締まった、筋肉の体躯。
短くてサッパリとした黒髪。
面立ちはかなりの強面で残念だけど、優しい瞳で、愛嬌もあった。
二人組の酔っ払いが通り過ぎたと同時に、育郎は顔を隠す新聞を、強く握る。
(きょっ、今日こそっ…勇気を出してっ…二十九年間の童貞からっ、卒業するんだっ!)
隠した顔をキビしく引き締め、真っ赤になって意を決して入店しようと一歩踏み出した時、左から歩いてきた人物たちにぶつかってしまった。
「きゃっ!」
「あぶな~!」
「あわっ–ごごごごめんなさいっ!」
新聞越しに聞こえた「きゃっ!」「あぶな~!」は、明らかに少女たちの声。
それでも反射的に、敬語で謝ってしまう育郎である。
「いえいえ~、びっくりしただけで。でも前を見て歩いた方がいいですよ」
冷静で常識的な指摘をくれたのは「きゃっ!」の声の少女。
優しく透き通るような、暖かい美声だ。
対して育郎がつい委縮してしまうのは、風俗に向かう自分と、目の前にいる相手が少女、という事実もあるだろう。
「そっそっ、そぅですねっ…すみません…っ!」
言いながら、つい身を引いてしまうのは、風俗に行くのが恥ずかしいのと、後ろめたいからか。
そんな、未だ顔を隠したままの、不振な礼服男に。
「? 話 訊いてるっすか~?」
もう一人の「あぶな~!」少女が問うてきた。
こちらの少女は「きゃっ!」の少女よりも大人びた感じの声色で、少女らしいキラキラした響きの中に、何か気合のような強さも感じられた。
「また ぶつかっちゃうっすよ~?」
「ほんとですよ」
言われて「ほんとですよ」の少女に新聞を引っ張られる。
「うわっ–」
タイミング的に「きゃっ!」の少女が、新聞を奪った娘だ。
英字新聞の向こうに現れた少女と、目が合った。
一瞬、全てが止まったように感じた。
長くてサラサラな黒い髪。頭の左でそよぐ朱いリボン。
大きな瞳は好奇心いっぱいな子猫のように輝いて、育郎へと向けられている。
細い鼻筋は上品で、小さな唇は艶々に潤っていた。
綺麗なパーツが丸い小顔にバランスよく収まっていて、愛らしく、ほのかな色香と透き通るような清潔感を感じさせている。
身長は平均的に見えるけど、ブレザーに包まれたシルエットは十分に平均以上。
細い首は肌白く、華奢な肩やくびれたウェストは少女らしい儚さを見せている。
比してバストは、純白ブラウスを中からキツそうに押し出していて、抱くと折れてしまいそうなウェストから繋がる、腰のラインは安産型に発達していた。
ミニスカートから覗ける腿はパツパツに艶めいていて、細い膝から更に細い足首へと、魅惑的な引き絞りラインを見せ付けている。
白いソックスが少しユルそうな感じも、愛しい隙としか感じられない育郎だ。
「「……あ……」」
一瞬で無意識に全身を見てしまった礼服青年は、自身の全てが少女に魅了されていた事実に、ただ当たり前の事なのだと、心の奥で認識していた。
一回りも年下の少女に、見惚れる育郎。
対して少女は、一瞬の唖然の後。
「っうっわ~~~っ!すっっっごいお顔のオジサンっ!」
大声で、心の底からの驚きを素直な声で上げていた。
「わっ、バカあんたっ!」
一緒にいる「あぶな~!」の茶髪少女が、黒髪リボンな少女の口元を慌てて塞ぐ。
親友に止められた黒髪少女だけど、正直な驚きは隠せない様子。
「んぱっ–こんなところで礼服とか着て、どうしたんですかっ!? お通夜帰りですかっ!? あっ、もしかして、フーゾクのお店に入るところだったんですかっ!? あっ、もしかして いわゆるドーテー卒業とか、するつもりだったんですかっ!?」
土足でズカズカ入り込んでくるうえ大きな声の質問に、一緒にいる茶髪女子も、恥ずかしそうだ。
少女の、涼し気でよく通る声が聞こえたらしく、周囲の人々、特にOLさんらしき女性たちは、チラと見てクスクス笑う。
「えっあっ…ううぅっ!」
こんなカタチで注目を浴びるなんて、育郎にとっては拷問以外の何物でもない。
英字新聞で顔を隠していた努力も、完全に水の泡だ。
恥ずかしさとショックで何も言えず、育郎は泣きながら遁走をした。
「うわああああああんっ!」
「あっ、オジサーーンっ!」
走り去る育郎を、黒髪少女は興味津々な眼差しで見送っていた。
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